『大学』が引用する詩経12箇所の該当章(文王×3・玄鳥・緜蛮・淇奥・烈文・桃夭・蓼蕭・鳲鳩・南山有台・節南山)
文王上に在り、於天に昭らかなり。周は舊邦なりと雖も、其の命維れ新たなり。有周顯かならざらんや、帝命時ならざらんや。文王陟降して、帝の左右に在り。
文王の霊は天上にあって、天にも明らかに照り輝いている。周は古くからの国だが、その天命は今や新たに定まった。周室が栄えないことがあろうか、天の命が時にかなわぬことがあろうか。文王の霊は天に昇り降りして、上帝のかたわらにいらっしゃる。
「周雖舊邦、其命維新」=日新の徳の証(傳二章)。周は旧い国でありながら、文王の代に天命を新たにしたという故事。
穆穆たる文王、於緝熙にして敬止す。假いなるかな天命、商の孫子有り。商の孫子、其の麗億ならず。上帝既に命じて、周に服せしむ。
深く落ち着いた文王は、ああ、光り輝く徳をもって敬い慎んでおられた。偉大な天命よ、殷の子孫たちがいる。殷の子孫は数え切れぬほど多いが、上帝がすでに命じて、周に服従させられた。
「穆穆文王、於緝熙敬止」=文王が至善に止まった深遠な風格の証(傳三章)。
爾の祖を念う無からんや、聿に厥の德を脩む。永く言に命に配し、自ら多福を求む。殷の未だ師を喪わざるとき、克く上帝に配す。宜しく殷に鑒みるべし、駿命易からず。
汝の祖先を思わぬことがあろうか、その徳をひたすら修めよ。永く天命にかなうよう努め、自ら多くの福を求めよ。殷がまだ民の心を失わなかったとき、よく上帝の意にかなっていた。殷を鑑としてよく見るがよい、大いなる天命は保ちがたいものだ。
「殷之未喪師、克配上帝」=衆を得れば国を得、失えば国を失う証。徳と天命の関係(傳十章)。
龍旂十乘、大糦是れ承く。邦畿千里、維れ民の止まる所、肇めて彼の四海を域とす。
龍の旗を掲げた十台の車が、供物の穀物を捧げ持つ。都のまわり千里の地、そこは民の住まうところ、はじめて四海の果てまでを領土とした。
「邦畿千里、惟民所止」=至善に止まる(止まる所を知る)証(傳三章)。
緜蠻たる黃鳥、丘隅に止まる。豈に敢えて行くを憚らんや、趨く能わざるを畏る。之に飮ましめ之に食わしめ、之を教え之を誨う。彼の後車に命じて、之に謂いて之を載せしむ。
美しい声で鳴く黄鳥は、丘のすみに止まっている。どうして道を行くのを憚ろうか、ただ思うように進めないことを恐れるのだ。水を飲ませ食べさせ、教え諭してくれる。後ろの車に命じて、彼を乗せてやってくれと言う。
「緡蛮黄鳥、止于丘隅」=鳥すら止まる所を知る証(傳三章)。この後に孔子評が続く。
彼の淇奧を瞻れば、綠竹猗猗たり。匪たる君子有り、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し。瑟たり僩たり、赫たり咺たり。匪たる君子有り、終に諼るべからず。
あの淇水の曲がり角を眺めれば、緑の竹が美しく茂っている。文采ある君子がおいでになる、骨を切るように磋くように、玉を琢つように磨くように、自らを修めておられる。その姿は端正で威厳があり、光り輝いて堂々としている。文采ある君子がおいでになる、いつまでも忘れることはできない。
衛の武公を詠んだ詩。切磋琢磨・自ら修める学問の証(傳三章)。
競う無きは維れ人、四方其れ之に訓う。顯かならざる無きは維れ德、百辟其れ之に刑る。於乎、前王忘れられず。
人材と争わぬこと、四方の国々はこれに従う。徳を明らかにすること、多くの諸侯はこれに倣う。ああ、前代の王は忘れられることがない。
「於戲、前王不忘」=盛徳至善の前王を民が長く忘れない証(傳三章)。
桃の夭夭たる、其の葉蓁蓁たり。之の子于に歸ぐ、其の家人に宜し。
桃の木は若々しく美しく、その葉は生い茂っている。この娘は嫁いでゆく、その嫁ぎ先の家人たちとも仲睦まじいことだろう。
「之子于帰、宜其家人」=家を斉えてのち国人を教える証(傳九章)。
蓼いなる彼の蕭斯、零露泥泥たり。既に君子を見る、孔だ燕んじ豈弟たり。兄に宜しく弟に宜し、令德壽豈なり。
大きく茂ったあの蕭(よもぎ)に、露がしっとりと降りている。すでに君子にお目にかかった、たいそう安らかで、うちとけたご様子だ。兄弟の間も睦まじく、その麗しい徳は末永く続くであろう。
「宜兄宜弟」=兄弟の道を尽くしてのち国人を教える証(傳九章)。
鳲鳩桑に在り、其の子棘に在り。淑人君子、其の儀忒わず。其の儀忒わず、是の四國を正す。
郭公は桑の木にいて、その雛はいばらの木にいる。善良な君子は、その立ち居振る舞いに狂いがない。その立ち居振る舞いに狂いがないからこそ、四方の国々の手本となる。
「其儀不忒、正是四国」=君子が家中で手本となり国が治まる証(傳九章)。
南山に杞有り、北山に李有り。樂しめる只の君子、民の父母たり。樂しめる只の君子、德音已まず。
南山には杞の木があり、北山には李の木がある。楽しげなあの君子は、民の父母である。楽しげなあの君子は、その美しい評判がいつまでも絶えることがない。
「楽只君子、民之父母」=民の好悪を共にする君主が民の父母である証(傳十章・絜矩の道)。
節たる彼の南山、維れ石巖巖たり。赫赫たる師尹、民具さに爾を瞻る。
険しくそびえるあの南山は、岩がごつごつと重なり合っている。威光赫々たる太師尹氏は、民がみなあなたを仰ぎ見ている。
上位者は民に瞻られる存在であり、慎まねば天下の咎となる証(傳十章)。
底本:中國哲學書電子化計劃(ctext.org)等に基づく通行の『毛詩』本文。訓読は伝統的な読み方に拠ったが、読み誤りが残っている場合はお知らせいただければ随時修正します。