書経 虞書 全文

堯典・舜典・大禹謨・皋陶謨・益稷 全5篇

この読本について

『書経』(尚書)の最初の部分「虞書」5篇(堯典・舜典・大禹謨・皋陶謨・益稷)の全文を、原文(漢文)・訓読文・現代語訳の3本立てで収めています。段落ごとにカードで区切り、難読の語には読みを付しました。虞書は堯・舜という理想の聖王の政治と、禹・皋陶ら賢臣との問答を描いた、儒教の政治思想の原点にあたる部分です。訓読は本読本のために新たに作成したもので、読み誤りが残っている場合は随時修正します。続く夏書・商書・周書は今後順次作成予定です。

① 堯典(ぎょうてん)

堯帝の徳と治世、暦の制定、後継者選びから舜の登用までを記す、書経の巻頭篇。

昔在帝堯、聰明文思、光宅天下。將遜于位、讓于虞舜、作《堯典》。

むかし帝堯ていぎょうり、聰明文思そうめいぶんしひかり天下てんかやどる。まさくらいゆずらんとして、虞舜ぐしゅんゆずる。堯典ぎょうてんつくる。

昔、帝堯という方がおられた。聡明で徳があり、その光は天下に満ちわたっていた。帝位を譲ろうとして虞舜にお譲りになった。この経緯を「堯典」として記す。

曰若稽古帝堯、曰放勳。欽明文思安安、允恭克讓、光被四表、格于上下。克明俊德、以親九族。九族既睦、平章百姓。百姓昭明、協和萬邦。黎民於變時雍。

曰若ここいにしえの帝堯をかんがうるに、曰わく放勳ほうくんと。欽明文思きんめいぶんし安安あんあんまことうやうやしくゆずり、ひかり四表しひょうおおい、上下じょうげいたる。克く俊徳しゅんとくを明らかにして、以て九族きゅうぞくしたしむ。九族既すでむつまじく、百姓ひゃくせい平章へいしょうす。百姓昭明しょうめいにして、万邦ばんぽう協和きょうわす。黎民れいみんああへんじてこれやわらぐ。

いにしえの帝堯について考えるに、その名は放勲といった。慎み深く聡明で物事に通じ、心穏やかであった。まことに恭しく、よく人に譲り、その徳の輝きは四方の果てまで及び、天地に達した。よく自らの大いなる徳を明らかにして、まず身近な一族を親しませた。一族が睦み合うと、次に多くの官吏を正しく治め、官吏たちの働きが明らかになると、さらに多くの国々を協調させた。こうして民はみな移り変わり、和やかになった。

乃命羲和、欽若昊天、暦象日月星辰、敬授人時。

すなわ羲和ぎかに命じて、昊天こうてん欽若きんじゃくし、日月星辰じつげつせいしん暦象れきしょうし、つつしんで人時じんじさずけしむ。

そこで羲氏・和氏に命じて、大いなる天を敬い従い、日月星辰の運行を観測して暦を作り、慎んで人々に季節を授けさせた。

分命羲仲、宅嵎夷、曰暘谷。寅賓出日、平秩東作。日中、星鳥、以殷仲春。厥民析、鳥獸孳尾。申命羲叔、宅南交。平秩南爲、敬致。日永、星火、以正仲夏。厥民因、鳥獸希革。分命和仲、宅西、曰昧谷。寅餞納日、平秩西成。宵中、星虛、以殷仲秋。厥民夷、鳥獸毛毨。申命和叔、宅朔方、曰幽都。平在朔易。日短、星昴、以正仲冬。厥民隩、鳥獸氄毛。

羲仲ぎちゅう分命ぶんめいして、嵎夷ぐういらしめ、暘谷ようこくと曰う。ずるを寅賓いんぴんし、東作とうさく平秩へいちつせしむ。日中にっちゅう星鳥せいちょう、以て仲春ちゅうしゅんさだむ。たみき、鳥獣ちょうじゅう孳尾じびす。羲叔ぎしゅく申命しんめいして、南交なんこうに宅らしめ、南爲なんいを平秩し、敬んでいたさしむ。日永ながく星火せいか、以て仲夏ちゅうかさだむ。厥の民はり、鳥獣は希革きかくす。和仲かちゅうに分命して、西にしに宅らしめ、昧谷まいこくと曰う。日のるを寅餞いんせんし、西成せいせいを平秩せしむ。宵中しょうちゅう星虚せいきょ、以て仲秋ちゅうしゅうを殷む。厥の民はたいらぎ、鳥獣は毛毨もうせんす。和叔かしゅくに申命して、朔方さくほうに宅らしめ、幽都ゆうとと曰う。朔易さくえき平在へいざいせしむ。日短みじかく、星昴せいぼう、以て仲冬ちゅうとうを正む。厥の民はおくし、鳥獣は氄毛じょうもうす。

羲仲には東の嵎夷(暘谷)に住まわせ、日の出を敬い迎えて春の農作業を整えさせた。日と夜の長さが等しく、星鳥の星が見える頃を仲春と定めた。羲叔には南の地に住まわせ、夏の農事を整え敬い務めさせた。昼が最も長く、星火の星が見える頃を仲夏と定めた。和仲には西の昧谷に住まわせ、日の入りを見送り秋の収穫を整えさせた。夜と昼の長さが等しく、星虚の星が見える頃を仲秋と定めた。和叔には北の幽都に住まわせ、冬の変わり目の仕事を整えさせた。昼が最も短く、星昴の星が見える頃を仲冬と定めた。

帝曰、咨、汝羲曁和。期三百有六旬有六日、以閏月定四時成歳。允釐百工、庶績咸熙。

帝曰わく、ああなんじと、三百さんびゃく有六旬ゆうりくじゅん有六日ゆうりくじつ閏月じゅんげつを以て四時しじを定めてとしせ。まこと百工ひゃっこうおさめて、庶績しょせきみなさかんならしめよ。

帝は仰せられた。「ああ、羲氏・和氏よ。一年は三百六十六日、閏月を置いて四季を定め、暦を完成させよ。誠実に多くの職務を治め、あらゆる仕事を盛んにせよ。」

帝曰、疇咨若時登庸。放齊曰、胤子朱啓明。帝曰、吁嚚訟、可乎。帝曰、疇咨若予采。驩兜曰、都、共工方鳩僝功。帝曰、吁、靜言庸違、象恭滔天。

帝曰わく、たれときしたがうをうて登庸とうようせん、と。放齊ほうせい曰わく、胤子いんししゅ啓明けいめいなり、と。帝曰わく、ああ嚚訟ぎんしょうなり、ならんや、と。帝曰わく、疇かわれことに若うを咨わん、と。驩兜かんとう曰わく、ああ共工きょうこうまさ鳩僝きゅうせんこうあり、と。帝曰わく、吁、靜言せいげんにしてもちうればたがい、かたちうやうやしくして滔天とうてんす、と。

帝は「誰か時勢に従える者を訪ね求め、登用しようか」と仰せられた。放齊は「ご子息の丹朱は聡明でございます」と言った。帝は「ああ、口先だけで訴え争う者だ、それでよかろうか」と仰せられた。帝はまた「誰か私の仕事に従える者を訪ね求めようか」と仰せられた。驩兜は「ああ、共工がまさに人々をまとめ功績を挙げております」と言った。帝は「ああ、物静かに話すが行いは違い、うわべは恭しいが実は天を欺くほど傲慢な者だ」と仰せられた。

帝曰、咨四岳、湯湯洪水方割、蕩蕩懷山襄陵、浩浩滔天。下民其咨、有能俾乂。僉曰、於、鯀哉。帝曰、吁、咈哉、方命圮族。岳曰、异哉、試可乃已。帝曰、往、欽哉。九載、績用弗成。

帝曰わく、ああ四岳しがくよ、湯湯しょうしょうたる洪水こうずいまさがいし、蕩蕩とうとうとしてやまつつおかのぼり、浩浩こうこうとしててんあふる。下民かみん其れなげく、おさめしむるもの有りや、と。みな曰わく、ああこんならんか、と。帝曰わく、吁、もとれり、めいそむぞくやぶる、と。岳曰わく、ことなれり、こころみるべくしてすなわめん、と。帝曰わく、け、つつしめや、と。九載きゅうさいせきもって成らず。

帝は「ああ、四方の重臣たちよ、荒れ狂う洪水がまさに害をなし、広大な水は山を包み丘を越え、天にまで満ちあふれている。民は嘆いている。誰か治水を成し遂げられる者はいないか」と仰せられた。皆は「ああ、鯀ではどうでしょう」と言った。帝は「ああ、あれは道理に背き、一族を損なう者だ」と仰せられた。重臣たちは「それでも他に人がおりません。ひとまず試してみて、だめならやめさせましょう」と言った。帝は「行くがよい、慎んで務めよ」と仰せられた。しかし九年経っても、治水の功績は上がらなかった。

帝曰、咨四岳。朕在位七十載。汝能庸命、巽朕位。岳曰、否德忝帝位。曰、明明揚側陋。師錫帝曰、有鰥在下、曰虞舜。帝曰、俞、予聞。如何。岳曰、瞽子、父頑、母嚚、象傲。克諧以孝、烝烝乂、不格姦。帝曰、我其試哉。女于時、觀厥刑于二女。釐降二女于媯汭、嬪于虞。帝曰、欽哉。

帝曰わく、ああ四岳しがくよ、ちんくらいること七十載しちじっさいなんじめいもちいて、朕が位をゆずれ、と。岳曰わく、否徳ひとく帝位ていいけがさん、と。曰わく、めいを明らかにして側陋そくろうげよ、と。もろもろ帝にたてまつりて曰わく、かんしもに在る有り、虞舜ぐしゅんと曰う、と。帝曰わく、しかり、われ聞けり。如何いかん、と。岳曰わく、にして、父頑ちちがん母嚚ははぎんしょうおごれり。克くこうを以てととのえ、烝烝乂じょうじょうがいにして、かんいたらず、と。帝曰わく、われ其れこころみん、と。むすめこれかしめ、二女にじょのっとるをん、と。二女を釐降りこうして媯汭きぜいかしめ、とつがしむ。帝曰わく、欽めや、と。

帝は「ああ、四方の重臣たちよ、私が位にあること七十年、そなたらの誰かこの命に従い、私の位を継いではくれぬか」と仰せられた。重臣たちは「私どもは徳が足りず、帝位を汚してしまいます」と言った。帝は「身分の高い者に限らず、埋もれた賢者を挙げよ」と仰せられた。皆が帝に申し上げた。「民間に独り身の者がおります。虞舜と申します」。帝は「そうか、私も聞いている。どのような人物か」と仰せられた。重臣たちは「盲目の楽師の子で、父は頑固、母は口先だけの人、弟の象は傲慢な者です。それでも舜は孝行によって家をよく治め、次第に良い方向へ導き、悪事に至らせません」と言った。帝は「それでは試してみよう」と仰せられ、二人の娘を舜のもとへ嫁がせ、その人柄を確かめることにした。二人の娘を媯水のほとりへ嫁がせ、虞の家に嫁がせた。帝は「慎んで努めよ」と仰せられた。

② 舜典(しゅんてん)

舜が試練を経て堯より帝位を受け継ぎ、賢者を要職に任じて天下を治めるまでを記す。

慎徽五典、五典克從。納于百揆、百揆時敍。賓于四門、四門穆穆。納于大麓、烈風雷雨弗迷。

つつしんで五典ごてんくし、五典克く従う。百揆ひゃっきれ、百揆時ときじょす。四門しもんひんたらしめ、四門穆穆ぼくぼくたり。大麓たいろくれしに、烈風雷雨れっぷうらいうにもまよわず。

舜は慎んで五つの人倫の教えを美しく実践させ、人々はよくこれに従った。あらゆる政務を任せると、政務は順序よく治まった。四方の門で賓客を迎える役に任じると、四方の門は和やかに治まった。大きな山林に入らせても、激しい風雨にも惑わされなかった。

帝曰、格、汝舜。詢事考言、乃言厎可績、三載。汝陟帝位。

帝曰わく、いたれ、なんじしゅんよ。ことげんかんがうるに、すなわげんせきいたきこと三載さんさいなり。汝帝位ていいのぼれ、と。

帝(堯)は仰せられた。「参れ、舜よ。事を問い言葉を確かめてみると、そなたの言葉は三年にわたって実を結んできた。そなたは帝位に登るがよい。」

正月上日、受終于文祖。在璿璣玉衡、以齊七政。肆類于上帝、禋于六宗、望于山川、徧于羣神。

正月上日しょうがつじょうじつおわり文祖ぶんそに受く。璿璣玉衡せんきぎょくこうりて、以て七政しちせいととのう。つい上帝じょうているいし、六宗りくそういんし、山川さんせんのぞみ、群神ぐんしんあまねくす。

正月の吉日、舜は文祖の廟にて堯より譲位を受けた。天体観測の器(璿璣玉衡)によって日月五星の運行を整え、そこで上帝を祀り、六宗の神々を祀り、山川を望み祀り、あらゆる神々をあまねく祀った。

舜生三十徴庸、三十在位、五十載陟方乃死。

しゅんせい三十さんじゅうにしてもちいられ、三十位くらいり、五十載ごじっさいほうのぼりてすなわち死す。

舜は生まれて三十年で登用され、三十年帝位にあり、(摂政の期間を含め)五十年を経て世を去った。

③ 大禹謨(たいうぼ)

舜・禹・皋陶の三者が、政治のあるべき姿と徳による統治について語り合う。

曰若稽古大禹、曰文命敷于四海、祗承于帝。曰、后克艱厥后、臣克艱厥臣、政乃乂、黎民敏德。

曰若ここいにしえ大禹たいうかんがうるに、曰わく文命ぶんめい四海しかいき、つつしんでていくと。曰わく、きみこうたるをかたしとし、しん克く厥のしんたるを艱しとせば、まつりごとすなわおさまり、黎民れいみんとくさとからん、と。

いにしえの大禹について考えると、その名声は四海に広まり、慎んで帝の意を受け継いだ。禹は言った。「君主が君主たることの難しさを知り、臣下が臣下たることの難しさを知れば、政治はよく治まり、民は徳に敏くなりましょう。」

帝曰、俞、允若茲、嘉言罔攸伏、野無遺賢、萬邦咸寧。稽于衆、舍己從人、不虐無告、不廢困窮、惟帝時克。

帝(舜)曰わく、しかり、まことこれごとくならば、嘉言かげんするところく、遺賢いけん無く、万邦ばんぽうみなやすからん。しゅうかんがえ、おのれててひとしたがい、ぐる無きものしいたげず、困窮こんきゅうてざるは、ただていのみこれくせり、と。

帝(舜)は仰せられた。「その通りだ。まことにそうであれば、良い意見が埋もれることなく、民間に賢者が取り残されることもなく、あらゆる国が安らかになるだろう。衆議に照らし、自分の考えに固執せず人の言に従い、訴える術のない者を虐げず、困窮した者を見捨てない――これができたのは堯帝だけであった。」

禹曰、惠迪吉、從逆凶、惟影響。

曰わく、みちしたがえばきちぎゃくしたがえばきょうなること、ただ影響えいきょうのごとし、と。

禹は言った。「正しい道に従えば吉、逆らえば凶となることは、影が形に添い、音に響きが応じるようなものです。」

益曰、吁、戒哉、儆戒無虞、罔失法度。罔遊于逸、罔淫于樂。任賢勿貳、去邪勿疑。疑謀勿成、百志惟熙。罔違道以干百姓之譽、罔咈百姓以從己之欲。無怠無荒、四夷來王。

えき曰わく、ああいましめよ、おそきに儆戒けいかいし、法度ほうどを失うことかれ。いつあそぶこと罔く、らくふけること罔かれ。けんにんじてうたがうことく、じゃりて疑うこと勿かれ。うたがわしきはかりごとすこと勿かれ、百志ひゃくしさかんならん。みちたがいて以て百姓ひゃくせいほまれもとむること罔く、百姓にもとりて以ておのれよくに従うこと罔かれ。おこたること無くすさむこと無ければ、四夷しいきたりておうとせん、と。

益は言った。「ああ、心せられよ。何事もない時にこそ用心し、法や制度を失わぬようになさいませ。安逸に遊ばず、快楽にふけらぬこと。賢者に任せたら疑わず、邪な者は迷わず退けること。疑わしい策は実行せず、あらゆる志を盛んになさいませ。道理に背いて民の称賛を求めず、民意に逆らって自分の欲に従うことのないように。怠らず気を緩めなければ、周辺の異民族もやってきて王と仰ぐでしょう。」

禹曰、於、帝念哉。德惟善政、政在養民。水、火、金、木、土、穀、惟修、正德、利用、厚生、惟和。九功惟敍、九敍惟歌。戒之用休、董之用威、勸之以九歌俾勿壞。

禹曰わく、ああ帝念おもえや。とくただ善政ぜんせいにあり、まつりごとたみやしなうにあり。すいきんもくこくおさめ、正徳せいとく利用りよう厚生こうせい、惟れす。九功きゅうこう惟れじょし、九敍きゅうじょ惟れうたう。これいましむるにきゅうもってし、之をただすにを用いて、之をすすむるに九歌きゅうかを以てし、やぶれしむることからしめよ、と。

禹は言った。「ああ、帝よ、お心にお留めください。徳とは善い政治にあり、政治とは民を養うことにあります。水・火・金・木・土・穀物の六つをよく修め、徳の正しさ・器具の利用・生活の充実の三つを調和させるのです。この九つの功績が順序よく整えられ、歌に詠まれるようになりましょう。善行をもって戒め、威厳をもって正し、九つの歌をもって奨励し、この秩序が崩れぬようになさいませ。」

④ 皋陶謨(こうようぼ)

刑法を司る賢臣・皋陶が、徳による人材登用と民の安定について論じる。

曰若稽古、皋陶曰、允迪厥德、謨明弼諧。禹曰、俞、如何。皋陶曰、都、慎厥身、修思永。惇敍九族、庶明勵翼、邇可遠、在茲。禹拜昌言曰、俞。

曰若ここいにしえかんがうるに、皋陶こうよう曰わく、まこととくまば、はかりごと明らかにたすととのわん、と。曰わく、しかり、如何いかん、と。皋陶曰わく、ああ、厥のつつしみ、おさむることながきを思え。九族きゅうぞく惇敍とんじょし、庶明しょめい励翼れいよくせば、ちかきよりとおきにおよぶこと、ここり、と。禹昌言しょうげんはいして曰わく、俞、と。

いにしえを考えると、皋陶は言った。「誠にその徳を実践すれば、良い計画が明らかとなり、補佐もよく調和するでしょう。」禹は「その通りだ。どのようにすればよいか」と言った。皋陶は言った。「ああ、我が身を慎み、長く徳を修めることを心がけましょう。身近な一族を厚く睦ませ、多くの賢明な人材が奮い立って助ければ、近きより遠きに及ぶ道理も、まさにここにあるのです。」禹はこの立派な言葉に敬意を表し、「その通りだ」と言った。

皋陶曰、都、在知人、在安民。禹曰、吁、咸若時、惟帝其難之。知人則哲、能官人。安民則惠、黎民懷之。能哲而惠、何憂乎驩兜、何遷乎有苗、何畏乎巧言令色孔壬。

皋陶曰わく、都、ひとるに在り、たみやすんずるにり、と。禹曰わく、ああみなこれごとくならば、ただていこれかたしとせん。人を知れば則ちてつく人をかんとす。民を安んずれば則ちけい黎民れいみん之になつく。能く哲にして恵ならば、なん驩兜かんとううれえん、何ぞ有苗ゆうびょううつさん、何ぞ巧言令色孔壬こうげんれいしょくこうじんおそれん、と。

皋陶は言った。「ああ、要は人を見抜くことと、民を安んずることにあります。」禹は言った。「ああ、すべてそのようにできれば、帝(舜)でさえこれを難しいとされるほどのことでしょう。人を見抜けば明智となり、よく人材を登用できます。民を安んずれば恵み深くなり、民衆はこれになつきます。よく明智で恵み深くあれば、驩兜のような者を憂えることも、有苗を追放することも、巧言令色の悪しき者を恐れることもありますまい。」

皋陶曰、寛而栗、柔而立、愿而恭、亂而敬、擾而毅、直而溫、簡而廉、剛而塞、彊而義。彰厥有常、吉哉。

皋陶曰わく、かんにしてりつじゅうにしてりつげんにしてきょうらんにしてけいじょうにしてちょくにしておんかんにしてれんごうにしてそくきょうにしてなる。つね有るをあきらかにせば、きちなるかな、と。

皋陶は言った。「寛容でありながら厳粛、柔和でありながら自立し、実直でありながら恭しく、多才でありながら慎み深く、従順でありながら剛毅、正直でありながら温和、簡素でありながら清廉、剛健でありながら着実、強くありながら道理をわきまえている――このような徳を常に備えた人物を明らかに用いることができれば、まことに吉きことです。」

天叙有典、勑我五典五惇哉。天秩有禮、自我五禮有庸哉。同寅協恭和衷哉。天命有德、五服五章哉。天討有罪、五刑五用哉。政事懋哉懋哉。天聰明、自我民聰明。天明畏、自我民明威。達于上下、敬哉有土。

てんじょてん有り、五典ごてんちょくしていつつながらあつくせよ。天秩てんちつれい有り、我が五礼ごれいよりつね有らしめよ。ともつつしうやうやしくしてちゅうせよ。天命てんめいとく有り、五服ごふく五章ごしょうせよ。天討てんとうつみ有り、五刑ごけいいつつながらもちいよ。政事せいじつとめよ懋めよ。てん聡明そうめいは、我がたみ聡明そうめいよりす。天の明畏めいいは、我が民の明威めいいよりす。上下じょうげたっす、つつしめやたもてるものよ。

天が定めた人倫の教えがある。我らの五つの倫(父義・母慈・兄友・弟恭・子孝)を励まし、五つながら篤くせよ。天が定めた礼がある。我らの五つの礼制より常のこととして行え。共に慎み、共に恭しくして、心を和らげよ。天は徳ある者に命を下す。五等の服をもってこれを表せ。天は罪ある者を討つ。五つの刑罰を用いよ。政務にはひたすら努めよ。天の聡明さは、我が民の聡明さによって示される。天の明察と畏敬すべき力も、我が民の明察と威厳によって示される。天意と民意は上下に通じ合うものだ。国土を治める者よ、慎むがよい。

⑤ 益稷(えきしょく)

禹が治水の功績を語り、舜・禹・皋陶が音楽と歌を通じて君臣一体の理想を確認する。

帝曰、來、禹。汝亦昌言。禹拜曰、都、帝、予何言、予思日孜孜。

帝曰わく、きたれ、よ。なんじまた昌言しょうげんせよ、と。禹拝はいして曰わく、ああていよ、われなにをか言わん、予は日々孜孜ししたるを思うのみ、と。

帝は「参れ、禹よ。そなたも良い意見を述べよ」と仰せられた。禹は敬意を表して言った。「ああ、帝よ、私に何を申し上げましょうか。ただ日々努め励むことを思うばかりです。」

禹曰、洪水滔天、浩浩懷山襄陵、下民昏墊。予乘四載、隨山刊木、曁益奏庶鮮食。予決九川、距四海、濬畎澮距川、曁稷播、奏庶艱食鮮食。懋遷有無、化居。烝民乃粒、萬邦作乂。皋陶曰、俞、師汝昌言。

禹曰わく、洪水こうずいてんあふれ、浩浩こうこうとしてやまつつおかのぼり、下民かみん昏墊こんてんせり。われ四載しさいじょうじ、山にしたがいてり、えきとももろもろ鮮食せんしょくすすむ。われ九川きゅうせんけっして四海しかいいたらしめ、畎澮けんかいさらいてかわに距らしめ、しょくと暨にし、庶に艱食かんしょく鮮食せんしょくを奏む。有無うむ懋遷ぼうせんし、きょす。烝民じょうみんすなわりゅうし、万邦ばんぽうおさまるをす、と。皋陶曰わく、しかり、なんじ昌言しょうげんもはんとせん、と。

禹は言った。「洪水が天まで満ちあふれ、広々と山を包み丘を越え、民は水に沈み苦しんでおりました。私は四種の乗り物を乗り継ぎ、山に沿って木を伐って道しるべとし、益とともに人々に新鮮な食料を届けました。私は九つの大河を切り開いて四海に至らせ、田の溝を浚って川に通じさせ、稷とともに種を播き、人々に穀物や食料を届けました。物資の有無を融通し合い、住まいを整えました。こうして万民は穀物を得て安定し、あらゆる国が治まったのです。」皋陶は「その通りだ、そなたの立派な言葉を手本としよう」と言った。

夔曰、戛擊鳴球、搏拊、琴、瑟、以詠。祖考來格、虞賓在位、羣后德讓。下管鼗鼓、合止柷敔、笙鏞以間。鳥獸蹌蹌。簫韶九成、鳳凰來儀。夔曰、於、予擊石拊石、百獸率舞。

曰わく、鳴球めいきゅう戛擊かつげきし、搏拊はくふきんしつもて以てうたう。祖考そこう来格らいかくし、虞賓ぐひんくらいり、群后ぐんこうとくもてゆずる。しも鼗鼓とうこかんじ、柷敔しゅつぎょ合止がっしし、笙鏞しょうよう以てあいだす。鳥獣ちょうじゅう蹌蹌そうそうたり。簫韶しょうしょう九成きゅうせいにして、鳳凰ほうおうきたのっとる、と。夔曰わく、ああわれいしち石をで、百獣ひゃくじゅうひきいてう、と。

音楽を司る夔は言った。「鳴球の玉磬を打ち鳴らし、搏拊・琴・瑟に合わせて詠います。祖先の霊が降臨し、虞舜の賓客(前代堯帝の子孫)もその席に連なり、諸侯たちは互いに徳をもって譲り合います。堂下では鼗鼓を奏で、柷と敔で音楽の始まりと終わりを整え、笙と鏞の音が響き合います。すると鳥獣までもが群れをなして舞い、簫韶の楽が九回奏でられると、鳳凰までもが儀を正して飛来しました。」夔はまた言った。「ああ、私が石の楽器を打ち鳴らすと、あらゆる獣までもが誘われて舞い踊るのです。」

帝庸作歌、曰、勅天之命、惟時惟幾。乃歌曰、股肱喜哉、元首起哉、百工熙哉。皋陶拜手稽首颺言曰、念哉、率作興事、慎乃憲、欽哉。屡省乃成、欽哉。乃賡載歌曰、元首明哉、股肱良哉、庶事康哉。又歌曰、元首叢脞哉、股肱惰哉、萬事墮哉。帝拜曰、俞、往欽哉。

帝(舜)つねうたつくりて曰わく、てんめいちょくし、惟れなり、と。すなわち歌いて曰わく、股肱ここうよろこべるかな、元首げんしゅこれるかな、百工ひゃっこうさかんなるかな、と。皋陶手はいこうべけいして颺言ようげんして曰わく、おもえや、ひきいてこと作興さっこうするに、なんじのりつつしめ、つつしめや。しばしば乃のせいかえりみよ、欽めや、と。乃ち賡載こうさいして歌いて曰わく、元首明あきらかなるかな、股肱良きかな、庶事しょじやすらかなるかな、と。又歌いて曰わく、元首叢脞そうざなるかな、股肱惰おこたるかな、万事ばんじやぶるるかな、と。帝拝して曰わく、しかり、きて欽めや、と。

帝(舜)は常々歌を作って言った。「天の命を慎んで受け、時に応じ、事の兆しに注意せよ。」そして歌った。「手足たる臣下たちは喜ばしい、元首たる君主も奮い立つ、あらゆる仕事は盛んになる。」皋陶は両手を合わせ頭を下げて声高らかに言った。「お心に留めください。人々を率いて事を起こすには、法をよく慎み、敬い務めなければなりません。たびたび成果を省みて、慎み務めましょう。」そして続けて歌った。「元首が明智であれば、手足たる臣下も善良で、あらゆる事が安らかになる。」また歌った。「元首がこせこせと些事にとらわれれば、手足たる臣下も怠け、あらゆることが崩れてしまう。」帝は敬意を表して「その通りだ、行って慎み務めよ」と仰せられた。