堯典・舜典・大禹謨・皋陶謨・益稷 全5篇
『書経』(尚書)の最初の部分「虞書」5篇(堯典・舜典・大禹謨・皋陶謨・益稷)の全文を、原文(漢文)・訓読文・現代語訳の3本立てで収めています。段落ごとにカードで区切り、難読の語には読みを付しました。虞書は堯・舜という理想の聖王の政治と、禹・皋陶ら賢臣との問答を描いた、儒教の政治思想の原点にあたる部分です。訓読は本読本のために新たに作成したもので、読み誤りが残っている場合は随時修正します。続く夏書・商書・周書は今後順次作成予定です。
昔帝堯在り、聰明文思、光天下に宅る。将に位を遜らんとして、虞舜に譲る。堯典を作る。
昔、帝堯という方がおられた。聡明で徳があり、その光は天下に満ちわたっていた。帝位を譲ろうとして虞舜にお譲りになった。この経緯を「堯典」として記す。
曰若に古の帝堯を稽うるに、曰わく放勳と。欽明文思安安、允に恭しく克く讓り、光四表を被い、上下に格る。克く俊徳を明らかにして、以て九族に親しむ。九族既に睦まじく、百姓を平章す。百姓昭明にして、万邦を協和す。黎民於変じて時雍らぐ。
いにしえの帝堯について考えるに、その名は放勲といった。慎み深く聡明で物事に通じ、心穏やかであった。まことに恭しく、よく人に譲り、その徳の輝きは四方の果てまで及び、天地に達した。よく自らの大いなる徳を明らかにして、まず身近な一族を親しませた。一族が睦み合うと、次に多くの官吏を正しく治め、官吏たちの働きが明らかになると、さらに多くの国々を協調させた。こうして民はみな移り変わり、和やかになった。
乃ち羲和に命じて、昊天を欽若し、日月星辰を暦象し、敬んで人時を授けしむ。
そこで羲氏・和氏に命じて、大いなる天を敬い従い、日月星辰の運行を観測して暦を作り、慎んで人々に季節を授けさせた。
羲仲に分命して、嵎夷に宅らしめ、暘谷と曰う。日の出ずるを寅賓し、東作を平秩せしむ。日中、星鳥、以て仲春を殷む。厥の民は析き、鳥獣は孳尾す。羲叔に申命して、南交に宅らしめ、南爲を平秩し、敬んで致さしむ。日永、星火、以て仲夏を正む。厥の民は因り、鳥獣は希革す。和仲に分命して、西に宅らしめ、昧谷と曰う。日の入るを寅餞し、西成を平秩せしむ。宵中、星虚、以て仲秋を殷む。厥の民は夷ぎ、鳥獣は毛毨す。和叔に申命して、朔方に宅らしめ、幽都と曰う。朔易を平在せしむ。日短く、星昴、以て仲冬を正む。厥の民は隩し、鳥獣は氄毛す。
羲仲には東の嵎夷(暘谷)に住まわせ、日の出を敬い迎えて春の農作業を整えさせた。日と夜の長さが等しく、星鳥の星が見える頃を仲春と定めた。羲叔には南の地に住まわせ、夏の農事を整え敬い務めさせた。昼が最も長く、星火の星が見える頃を仲夏と定めた。和仲には西の昧谷に住まわせ、日の入りを見送り秋の収穫を整えさせた。夜と昼の長さが等しく、星虚の星が見える頃を仲秋と定めた。和叔には北の幽都に住まわせ、冬の変わり目の仕事を整えさせた。昼が最も短く、星昴の星が見える頃を仲冬と定めた。
帝曰わく、咨、汝羲と和と、期は三百有六旬有六日、閏月を以て四時を定めて歳を成せ。允に百工を釐めて、庶績咸熙ならしめよ。
帝は仰せられた。「ああ、羲氏・和氏よ。一年は三百六十六日、閏月を置いて四季を定め、暦を完成させよ。誠実に多くの職務を治め、あらゆる仕事を盛んにせよ。」
帝曰わく、疇か時に若うを咨うて登庸せん、と。放齊曰わく、胤子の朱は啓明なり、と。帝曰わく、吁、嚚訟なり、可ならんや、と。帝曰わく、疇か予が采に若うを咨わん、と。驩兜曰わく、都、共工方に鳩僝の功あり、と。帝曰わく、吁、靜言にして庸うれば違い、象恭しくして滔天す、と。
帝は「誰か時勢に従える者を訪ね求め、登用しようか」と仰せられた。放齊は「ご子息の丹朱は聡明でございます」と言った。帝は「ああ、口先だけで訴え争う者だ、それでよかろうか」と仰せられた。帝はまた「誰か私の仕事に従える者を訪ね求めようか」と仰せられた。驩兜は「ああ、共工がまさに人々をまとめ功績を挙げております」と言った。帝は「ああ、物静かに話すが行いは違い、うわべは恭しいが実は天を欺くほど傲慢な者だ」と仰せられた。
帝曰わく、咨、四岳よ、湯湯たる洪水方に割し、蕩蕩として山を懐み陵を襄り、浩浩として天に滔る。下民其れ咨く、能く乂めしむる者有りや、と。僉曰わく、於、鯀ならんか、と。帝曰わく、吁、咈れり、命に方き族を圮る、と。岳曰わく、异れり、試みるべくして乃ち已めん、と。帝曰わく、往け、欽めや、と。九載、績用て成らず。
帝は「ああ、四方の重臣たちよ、荒れ狂う洪水がまさに害をなし、広大な水は山を包み丘を越え、天にまで満ちあふれている。民は嘆いている。誰か治水を成し遂げられる者はいないか」と仰せられた。皆は「ああ、鯀ではどうでしょう」と言った。帝は「ああ、あれは道理に背き、一族を損なう者だ」と仰せられた。重臣たちは「それでも他に人がおりません。ひとまず試してみて、だめならやめさせましょう」と言った。帝は「行くがよい、慎んで務めよ」と仰せられた。しかし九年経っても、治水の功績は上がらなかった。
帝曰わく、咨四岳よ、朕位に在ること七十載、汝能く命に庸いて、朕が位を巽れ、と。岳曰わく、否徳帝位を忝さん、と。曰わく、明を明らかにして側陋を揚げよ、と。師帝に錫りて曰わく、鰥の下に在る有り、虞舜と曰う、と。帝曰わく、俞り、予聞けり。如何、と。岳曰わく、瞽の子にして、父頑に母嚚、象傲れり。克く孝を以て諧え、烝烝乂にして、姦に格らず、と。帝曰わく、我其れ試みん、と。女を時に于かしめ、厥の二女に刑るを観ん、と。二女を釐降して媯汭に于かしめ、虞に嬪がしむ。帝曰わく、欽めや、と。
帝は「ああ、四方の重臣たちよ、私が位にあること七十年、そなたらの誰かこの命に従い、私の位を継いではくれぬか」と仰せられた。重臣たちは「私どもは徳が足りず、帝位を汚してしまいます」と言った。帝は「身分の高い者に限らず、埋もれた賢者を挙げよ」と仰せられた。皆が帝に申し上げた。「民間に独り身の者がおります。虞舜と申します」。帝は「そうか、私も聞いている。どのような人物か」と仰せられた。重臣たちは「盲目の楽師の子で、父は頑固、母は口先だけの人、弟の象は傲慢な者です。それでも舜は孝行によって家をよく治め、次第に良い方向へ導き、悪事に至らせません」と言った。帝は「それでは試してみよう」と仰せられ、二人の娘を舜のもとへ嫁がせ、その人柄を確かめることにした。二人の娘を媯水のほとりへ嫁がせ、虞の家に嫁がせた。帝は「慎んで努めよ」と仰せられた。
慎んで五典を徽くし、五典克く従う。百揆に納れ、百揆時に敍す。四門に賓たらしめ、四門穆穆たり。大麓に納れしに、烈風雷雨にも迷わず。
舜は慎んで五つの人倫の教えを美しく実践させ、人々はよくこれに従った。あらゆる政務を任せると、政務は順序よく治まった。四方の門で賓客を迎える役に任じると、四方の門は和やかに治まった。大きな山林に入らせても、激しい風雨にも惑わされなかった。
帝曰わく、格れ、汝舜よ。事を詢い言を考うるに、乃ち言績を底す可きこと三載なり。汝帝位に陟れ、と。
帝(堯)は仰せられた。「参れ、舜よ。事を問い言葉を確かめてみると、そなたの言葉は三年にわたって実を結んできた。そなたは帝位に登るがよい。」
正月上日、終を文祖に受く。璿璣玉衡に在りて、以て七政を斉う。肆に上帝に類し、六宗に禋し、山川を望み、群神に徧くす。
正月の吉日、舜は文祖の廟にて堯より譲位を受けた。天体観測の器(璿璣玉衡)によって日月五星の運行を整え、そこで上帝を祀り、六宗の神々を祀り、山川を望み祀り、あらゆる神々をあまねく祀った。
舜生三十にして庸いられ、三十位に在り、五十載方に陟りて乃ち死す。
舜は生まれて三十年で登用され、三十年帝位にあり、(摂政の期間を含め)五十年を経て世を去った。
曰若に古の大禹を稽うるに、曰わく文命四海に敷き、祗んで帝に承くと。曰わく、后克く厥の后たるを艱しとし、臣克く厥の臣たるを艱しとせば、政乃ち乂まり、黎民徳に敏からん、と。
いにしえの大禹について考えると、その名声は四海に広まり、慎んで帝の意を受け継いだ。禹は言った。「君主が君主たることの難しさを知り、臣下が臣下たることの難しさを知れば、政治はよく治まり、民は徳に敏くなりましょう。」
帝(舜)曰わく、俞り、允に茲の若くならば、嘉言伏する攸罔く、野に遺賢無く、万邦咸寧からん。衆に稽え、己を舍てて人に従い、告ぐる無き者を虐げず、困窮を廃てざるは、惟帝のみ時克くせり、と。
帝(舜)は仰せられた。「その通りだ。まことにそうであれば、良い意見が埋もれることなく、民間に賢者が取り残されることもなく、あらゆる国が安らかになるだろう。衆議に照らし、自分の考えに固執せず人の言に従い、訴える術のない者を虐げず、困窮した者を見捨てない――これができたのは堯帝だけであった。」
禹曰わく、迪を惠えば吉、逆に従えば凶なること、惟影響のごとし、と。
禹は言った。「正しい道に従えば吉、逆らえば凶となることは、影が形に添い、音に響きが応じるようなものです。」
益曰わく、吁、戒めよ、虞れ無きに儆戒し、法度を失うこと罔かれ。逸に遊ぶこと罔く、楽に淫ること罔かれ。賢に任じて貳うこと勿く、邪を去りて疑うこと勿かれ。疑わしき謀は成すこと勿かれ、百志惟れ熙ならん。道に違いて以て百姓の誉を干むること罔く、百姓に咈りて以て己の欲に従うこと罔かれ。怠ること無く荒むこと無ければ、四夷来りて王とせん、と。
益は言った。「ああ、心せられよ。何事もない時にこそ用心し、法や制度を失わぬようになさいませ。安逸に遊ばず、快楽にふけらぬこと。賢者に任せたら疑わず、邪な者は迷わず退けること。疑わしい策は実行せず、あらゆる志を盛んになさいませ。道理に背いて民の称賛を求めず、民意に逆らって自分の欲に従うことのないように。怠らず気を緩めなければ、周辺の異民族もやってきて王と仰ぐでしょう。」
禹曰わく、於、帝念えや。徳は惟善政にあり、政は民を養うにあり。水・火・金・木・土・穀、惟れ修め、正徳・利用・厚生、惟れ和す。九功惟れ敍し、九敍惟れ歌う。之を戒むるに休を用てし、之を董すに威を用いて、之を勧むるに九歌を以てし、壊れしむること勿からしめよ、と。
禹は言った。「ああ、帝よ、お心にお留めください。徳とは善い政治にあり、政治とは民を養うことにあります。水・火・金・木・土・穀物の六つをよく修め、徳の正しさ・器具の利用・生活の充実の三つを調和させるのです。この九つの功績が順序よく整えられ、歌に詠まれるようになりましょう。善行をもって戒め、威厳をもって正し、九つの歌をもって奨励し、この秩序が崩れぬようになさいませ。」
曰若に古を稽うるに、皋陶曰わく、允に厥の徳を迪まば、謨明らかに弼け諧わん、と。禹曰わく、俞り、如何、と。皋陶曰わく、都、厥の身を慎み、修むること永きを思え。九族を惇敍し、庶明励翼せば、邇きより遠きに及ぶこと、茲に在り、と。禹昌言を拝して曰わく、俞、と。
いにしえを考えると、皋陶は言った。「誠にその徳を実践すれば、良い計画が明らかとなり、補佐もよく調和するでしょう。」禹は「その通りだ。どのようにすればよいか」と言った。皋陶は言った。「ああ、我が身を慎み、長く徳を修めることを心がけましょう。身近な一族を厚く睦ませ、多くの賢明な人材が奮い立って助ければ、近きより遠きに及ぶ道理も、まさにここにあるのです。」禹はこの立派な言葉に敬意を表し、「その通りだ」と言った。
皋陶曰わく、都、人を知るに在り、民を安んずるに在り、と。禹曰わく、吁、咸時の若くならば、惟帝其れ之を難しとせん。人を知れば則ち哲、能く人を官とす。民を安んずれば則ち恵、黎民之に懐く。能く哲にして恵ならば、何ぞ驩兜を憂えん、何ぞ有苗を遷さん、何ぞ巧言令色孔壬を畏れん、と。
皋陶は言った。「ああ、要は人を見抜くことと、民を安んずることにあります。」禹は言った。「ああ、すべてそのようにできれば、帝(舜)でさえこれを難しいとされるほどのことでしょう。人を見抜けば明智となり、よく人材を登用できます。民を安んずれば恵み深くなり、民衆はこれになつきます。よく明智で恵み深くあれば、驩兜のような者を憂えることも、有苗を追放することも、巧言令色の悪しき者を恐れることもありますまい。」
皋陶曰わく、寛にして栗、柔にして立、愿にして恭、乱にして敬、擾にして毅、直にして温、簡にして廉、剛にして塞、彊にして義なる。厥の常有るを彰らかにせば、吉なるかな、と。
皋陶は言った。「寛容でありながら厳粛、柔和でありながら自立し、実直でありながら恭しく、多才でありながら慎み深く、従順でありながら剛毅、正直でありながら温和、簡素でありながら清廉、剛健でありながら着実、強くありながら道理をわきまえている――このような徳を常に備えた人物を明らかに用いることができれば、まことに吉きことです。」
天叙に典有り、我が五典を勑して五つながら惇くせよ。天秩に礼有り、我が五礼より庸有らしめよ。同に寅み協い恭しくして衷を和せよ。天命に徳有り、五服五章せよ。天討に罪有り、五刑五つながら用いよ。政事懋めよ懋めよ。天の聡明は、我が民の聡明よりす。天の明畏は、我が民の明威よりす。上下に達す、敬めや土を有てる者よ。
天が定めた人倫の教えがある。我らの五つの倫(父義・母慈・兄友・弟恭・子孝)を励まし、五つながら篤くせよ。天が定めた礼がある。我らの五つの礼制より常のこととして行え。共に慎み、共に恭しくして、心を和らげよ。天は徳ある者に命を下す。五等の服をもってこれを表せ。天は罪ある者を討つ。五つの刑罰を用いよ。政務にはひたすら努めよ。天の聡明さは、我が民の聡明さによって示される。天の明察と畏敬すべき力も、我が民の明察と威厳によって示される。天意と民意は上下に通じ合うものだ。国土を治める者よ、慎むがよい。
帝曰わく、来れ、禹よ。汝も亦昌言せよ、と。禹拝して曰わく、都、帝よ、予何をか言わん、予は日々孜孜たるを思うのみ、と。
帝は「参れ、禹よ。そなたも良い意見を述べよ」と仰せられた。禹は敬意を表して言った。「ああ、帝よ、私に何を申し上げましょうか。ただ日々努め励むことを思うばかりです。」
禹曰わく、洪水天に滔れ、浩浩として山を懐み陵を襄り、下民昏墊せり。予四載に乗じ、山に随いて木を刊り、益と暨に庶に鮮食を奏む。予九川を決して四海に距らしめ、畎澮を濬いて川に距らしめ、稷と暨に播し、庶に艱食鮮食を奏む。有無を懋遷し、居を化す。烝民乃ち粒し、万邦乂まるを作す、と。皋陶曰わく、俞り、汝が昌言を師とせん、と。
禹は言った。「洪水が天まで満ちあふれ、広々と山を包み丘を越え、民は水に沈み苦しんでおりました。私は四種の乗り物を乗り継ぎ、山に沿って木を伐って道しるべとし、益とともに人々に新鮮な食料を届けました。私は九つの大河を切り開いて四海に至らせ、田の溝を浚って川に通じさせ、稷とともに種を播き、人々に穀物や食料を届けました。物資の有無を融通し合い、住まいを整えました。こうして万民は穀物を得て安定し、あらゆる国が治まったのです。」皋陶は「その通りだ、そなたの立派な言葉を手本としよう」と言った。
夔曰わく、鳴球を戛擊し、搏拊・琴・瑟もて以て詠う。祖考来格し、虞賓位に在り、群后徳もて讓る。下に鼗鼓を管じ、柷敔を合止し、笙鏞以て間す。鳥獣蹌蹌たり。簫韶九成にして、鳳凰来り儀る、と。夔曰わく、於、予石を撃ち石を拊で、百獣率いて舞う、と。
音楽を司る夔は言った。「鳴球の玉磬を打ち鳴らし、搏拊・琴・瑟に合わせて詠います。祖先の霊が降臨し、虞舜の賓客(前代堯帝の子孫)もその席に連なり、諸侯たちは互いに徳をもって譲り合います。堂下では鼗鼓を奏で、柷と敔で音楽の始まりと終わりを整え、笙と鏞の音が響き合います。すると鳥獣までもが群れをなして舞い、簫韶の楽が九回奏でられると、鳳凰までもが儀を正して飛来しました。」夔はまた言った。「ああ、私が石の楽器を打ち鳴らすと、あらゆる獣までもが誘われて舞い踊るのです。」
帝(舜)庸に歌を作りて曰わく、天の命を勅し、惟れ時惟れ幾なり、と。乃ち歌いて曰わく、股肱喜べるかな、元首起これるかな、百工熙なるかな、と。皋陶手を拝し首を稽して颺言して曰わく、念えや、率いて事を作興するに、乃の憲を慎め、欽めや。屢乃の成を省よ、欽めや、と。乃ち賡載して歌いて曰わく、元首明らかなるかな、股肱良きかな、庶事康らかなるかな、と。又歌いて曰わく、元首叢脞なるかな、股肱惰るかな、万事墮るるかな、と。帝拝して曰わく、俞り、往きて欽めや、と。
帝(舜)は常々歌を作って言った。「天の命を慎んで受け、時に応じ、事の兆しに注意せよ。」そして歌った。「手足たる臣下たちは喜ばしい、元首たる君主も奮い立つ、あらゆる仕事は盛んになる。」皋陶は両手を合わせ頭を下げて声高らかに言った。「お心に留めください。人々を率いて事を起こすには、法をよく慎み、敬い務めなければなりません。たびたび成果を省みて、慎み務めましょう。」そして続けて歌った。「元首が明智であれば、手足たる臣下も善良で、あらゆる事が安らかになる。」また歌った。「元首がこせこせと些事にとらわれれば、手足たる臣下も怠け、あらゆることが崩れてしまう。」帝は敬意を表して「その通りだ、行って慎み務めよ」と仰せられた。