旅獒・金滕・大誥
殷討伐直後の3篇です。旅獒は召公が武王を戒めた徳治論、金滕は武王の病に周公が身代わりを願い出た感動的な物語、大誥は武王没後、周公が殷の残党の反乱を討つにあたり諸侯を説得した誥(告げ文)です。大誥は盤庚と並び難解な篇として知られます。
惟れ商に克ちて、遂に道を九夷八蛮に通ず。西旅厥の獒を貢するに厎り、太保乃ち旅獒を作りて、用て王に訓う。曰わく、嗚呼、明王徳を慎み、西夷咸賓す。遠邇有ること無く、畢く方物を献ずるも、惟服食器用のみなり。王乃ち徳の致す所を異姓の邦に昭らかにし、厥の服を替れしむること無かれ。宝玉を伯叔の国に分かち、時に庸て親を展べよ。人物を易んぜざるは、惟れ徳もて其の物とすればなり。
殷に勝利したのち、周は九夷八蛮にまで道を通じさせた。西方の旅国が大犬を献上してきたので、太保(召公)は「旅獒」という文を作り、これによって王を戒めた。「ああ、明王は徳を慎み重んじられたので、西の夷までも皆賓客としてやってきました。遠近を問わず、あらゆる方物を献上してきますが、それらはただの衣食器具にすぎません。王はその徳の及ぶところを、異姓の国々にも明らかにし、彼らの職務を怠らせぬようになさいませ。宝玉は同姓の国々に分け与え、それによって親愛の情を示してください。人が物を軽んじないのは、ただ徳によってこそその物に価値が生まれるからです。」
徳盛(さか)んなれば狎侮せず。君子を狎侮すれば、以て人心を尽くす罔し。小人を狎侮すれば、以て其の力を尽くす罔し。耳目に役せられずんば、百度惟れ貞なり。人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪う。志は道を以て寧んじ、言は道を以て接す。無益を作して有益を害すること無くんば、功乃ち成る。異物を貴びて用物を賤しむこと無くんば、民乃ち足る。犬馬其の土性に非ざれば畜わず、珍禽奇獣国に育てず。遠物を宝とせざれば、則ち遠人格り、宝とする所惟れ賢なれば、則ち邇人安んず。
「徳が盛んであれば、人を侮ることはありません。君子を侮れば、人々の心を尽くさせることができません。小人を侮れば、その力を尽くさせることができません。目や耳の快楽に使われなければ、あらゆる法度は正しく保たれます。人を弄べば徳を失い、物を弄べば志を失います。志は道によって安らぎ、言葉は道によって人と交わります。無益なことをして有益なことを害さなければ、功績はおのずと成ります。珍しい物を貴んで実用の品を賤しまなければ、民の暮らしは満ち足ります。犬馬もその土地の産でなければ飼わず、珍しい鳥獣も国内で育てません。遠方の珍品を宝としなければ、遠くの人々もやってきます。ただ賢者を宝とすれば、身近な人々も安んじます。」
嗚呼、夙夜或は勤めざること罔く、細行を矜まずんば、終に大徳を累わさん。山を為ること九仞、功一簣に虧く。允に茲に迪わば、生民厥の居を保ち、惟れ乃ち世々王たらん。
「ああ、朝な夕なに努めぬことのないようになさり、些細な行いをも慎まなければ、ついには大いなる徳をも損なうことになりましょう。九仞もの高さの山を築いても、最後の一もっこの土が足りなければ、その功は成りません。まことにこの道に従われれば、万民はその暮らしを保ち、周は代々にわたって王であり続けることでしょう。」
既に商に克ちて二年、王疾有り、予ばず。二公曰わく、我其れ王の為に穆卜せん、と。周公曰わく、未だ以て我が先王を戚えしむべからず、と。公乃ち自ら以て功と為し、三壇を為りて墠を同じくす。壇を南方に為り、北面して、周公立てり。璧を植て珪を秉り、乃ち太王・王季・文王に告ぐ。
殷に勝利してから二年、王(武王)が重い病にかかり、体調が優れなかった。太公・召公の二人は「我らが王のために謹んで占いを行いましょう」と言った。周公は「まだ我らの先王方をお煩わせするには及びません」と言った。周公は自ら身をもって功を成そうと考え、三つの祭壇を同じ場所に築いた。壇は南向きに築かれ、周公は北を向いて立った。璧の玉を立て珪の玉を手に持ち、太王・王季・文王にお告げした。
史乃ち冊祝して曰わく、惟れ爾ら元孫某、厲虐の疾に遘う。若し爾ら三王是れ丕子の責を天に有たば、旦を以て某の身に代(か)えよ。予仁にして考能に若き、多材多芸にして、能く鬼神に事う。乃ら元孫は旦の多材多芸なるに若かず、鬼神に事うる能わず。乃ち帝庭に命ぜられ、敷(あまね)く四方を佑け、用て能く爾ら子孫を下地に定む。四方の民祗畏せざる罔し。嗚呼、天の降す宝命を墜とすこと無くんば、我が先王も亦永く依帰する有らん、と。
史官は冊書を作り、祝詞を読み上げた。「あなた方の長孫である某(発、すなわち武王)が、厳しい病にかかっております。もしあなた方三代の王が、天において父たる責務をお持ちであれば、どうかこの私・旦(周公)を彼の身代わりとしてください。私は仁愛深く、亡き父(文王)に似た能力を持ち、多くの才能と技芸に恵まれ、よく鬼神にお仕えできます。あなた方の長孫は、私ほど多くの才能と技芸を持たず、鬼神にお仕えする力に劣ります。しかし彼は天帝の朝廷より天命を受け、あまねく四方をお助けになり、それによってあなた方の子孫をこの地上に安定させることができる方です。天下の民で彼を敬い畏れぬ者はありません。ああ、天の降されたこの貴い使命を失うことがなければ、我らが先王方も永く安んじて拠り所を得られることでしょう。」
今我元亀に命を即くに、爾ら之を我に許さば、我其れ璧と珪とを以て帰り爾らの命を俟たん。爾ら我に許さずば、我乃ち璧と珪とを屏けん。乃ち三亀を卜するに、一に習吉す。籥を啓きて書を見るに、乃ち並びに是吉なり。公曰わく、体、王其れ害罔けん。予小子新たに三王に命ぜられ、惟れ永終を是れ図る、茲攸俟、能く予一人を念えかし、と。公帰りて、乃ち冊を金滕の匱中に納る。王翼日乃ち瘳ゆ。
「今、私は大亀の占いに問うております。あなた方がこの願いをお許しくださるならば、私はこの璧と珪の玉を持ち帰り、あなた方の命をお待ちいたします。もしお許しくださらなければ、私はこの璧と珪の玉を退けましょう。」そして三つの亀甲で占ったところ、いずれも重ねて吉と出た。占いの記録を鍵で開いて見ると、それもまた皆吉であった。周公は言った。「兆しの形からして、王には害がないでしょう。この私も新たに三代の王より命をお受けし、ただ末永い安泰をこそ図ろうとしております。この願いをお待ちくださるならば、どうかこの私一人のことをお心に留めてくださいますように。」周公は帰ると、その祝詞の冊書を金属の紐で封じた箱に納めた。王は翌日には病が癒えた。
武王既に喪せしとき、管叔及び其の群弟乃ち流言を国に流して、曰わく、公将に孺子に利あらざらんとす、と。周公乃ち二公に告げて曰わく、我之を辟けずんば、我以て我が先王に告ぐる無からん、と。周公東に居ること二年、則ち罪人斯れ得たり。後に、公乃ち詩を為りて以て王に貽り、之を名づけて鴟鴞と曰う。王も亦未だ敢えて公を誚らず。
武王が世を去られたのち、管叔とその弟たちは国内に流言を広め、「周公はまさに幼き王(成王)にとって不利益なことをなさろうとしている」と言った。周公は太公・召公の二人に告げて言った。「私がこの困難を避けて摂政の任を退けば、私は先王方に何と申し開きができましょうか。」周公は東方に二年間留まり、ついに罪人(反乱の首謀者たち)を捕らえることができた。その後、周公は詩を作って王に贈り、これを「鴟鴞」と名づけた。それでも王はいまだ周公を非難しようとはしなかった。
秋、大いに熟せしも、未だ穫らず、天大いに雷電して以て風ふき、禾尽く偃れ、大木斯れ抜(ぬ)け、邦人大いに恐る。王大夫と尽く弁して以て金滕の書を啓くに、乃ち周公自ら以て功と為して武王に代わらんとする説を得たり。二公及び王乃ち諸の史と百執事とに問う。対えて曰わく、信なり、噫、公我らに命じて敢えて言うこと勿からしめり、と。
秋、穀物は大いに実ったが、まだ収穫していなかったところ、天は激しい雷鳴と稲妻と共に大風を起こし、稲はことごとく倒れ伏し、大木も根こそぎ抜けてしまい、国中の人々は大いに恐れた。王は大夫たちと共に礼服を整え、金属の紐で封じられた箱の書を開くと、そこに周公が自らを犠牲にして武王の身代わりになろうとしたという言葉が記されているのを見出した。太公・召公の二人と王は、史官や多くの役人たちに尋ねた。すると彼らは答えて言った。「本当のことでございます。ああ、周公は私どもに、決して申し上げてはならぬと命じておられました。」
王書を執りて以て泣き、曰わく、其れ穆卜すること勿かれ。昔公王家に勤労せしも、惟予が沖人知るに及ばざりき。今天威を動かして以て周公の徳を彰らかにす、惟れ朕小子其れ新たに逆え、我が国家の礼も亦之に宜しかるべし、と。王郊に出でしに、天乃ち雨ふり、風反り、禾則ち尽く起く。二公邦人に命じて凡そ大木の偃るる所、尽く起こして之を築かしむ。歳則ち大熟す。
王はその書を手に取って泣き、言った。「もう占う必要はない。昔、周公は王家のために勤め労苦されたのに、この未熟な私はそれを知るに及ばなかったのだ。今、天はその威を動かして周公の徳を明らかにされた。この私が自ら新たにお迎えするのが、我が国家の礼儀としても相応しいであろう。」王が郊外に出向くと、天は雨を降らせ、風向きは逆転し、倒れていた稲はことごとく起き上がった。太公・召公の二人は国人に命じて、倒れていた大木もすべて起こして土台を築かせた。その年は大豊作となった。
王若曰わく、猷、大いに爾ら多邦と爾ら御事とに誥ぐ。弔せられず、天割を我が家に降し、少しも延びず。洪いに惟れ我幼沖の人、無疆の大歴服を嗣ぐ。哲を造さず、民を康んずるに迪かず、矧んや其れ能く天命を格知する有りと曰わんや。已、予惟れ小子、淵水を渉るが若し、予惟れ往きて朕が済る攸を求めん。
王(成王、実質は周公の言)はこう仰せられた。「ああ、大いにそなたら多くの国々と、政務を司る者たちに告げよう。喪に服する間もなく、天は我が家に災いを降し、少しも猶予を与えられなかった。それゆえこの若く未熟な私が、限りなく大いなる大業を継ぐこととなった。まだ知恵を成すこともできず、民を安んずる道を導くこともできない、まして天命を確かに知ることができるなどと、どうして言えようか。ああ、私はこの若輩の身で、まるで深い淵の水を渡るかのようだ、私はこれから渡るべき道を求めていかねばならない。」
敷き賁り前人の受命を敷き、茲大功を忘れず、予敢えて天降す威を閉ざさず。寧王の我に遺せる大宝亀を用て、天明を紹ぎて命に即く。曰わく、大艱西土に有り、西土の人も亦静かならず、茲の蠢く殷の小腆に越び、誕いに敢えて其の敘を紀す。天威を降し、我が国に疵有ることを知り、民康からず。曰わく、予復らん、と。反りて我が周邦を鄙る。今蠢き今翼日、民の献ずる者十夫有り、予翼けて以て寧武の図功を敉でん。我に大事有り、休ならんか、朕が卜並らびに吉ならんか、と。
「先人の受けられた天命を広め飾り、この大いなる功業を忘れることなく、私はあえて天の下される威光を閉ざすことはしない。文王が私に遺された大いなる占いの亀を用いて、天の明らかな意志を受け継ぎ天命に従おう。占いにこうあった。『西の地に大きな困難がある、西の地の人々もまた落ち着かない、この蠢く殷の残党の勢力に及び、大胆にもその企てを再興しようとしている。天は威光を降し、我が国に弱点があること、民が安らかでないことをお示しになった。彼ら(殷の残党)は「我らは復興する」と言い、かえって我らが周の国を侮っている。今まさに動き始め、まさに明日にも、民のうちに献策する十人の賢者がおり、私はその助けを得て、文王・武王の遺された大業を成し遂げよう。私にはこれから大事業がある、これは吉であろうか、私の占いはことごとく吉と出るであろうか』と。」
肆に予我が友邦の君と尹氏・庶士・御事とに告げて、曰わく、予吉卜を得、爾ら庶邦を以て、殷の逋播の臣を伐たん、と。爾ら庶邦の君と庶士・御事と、反りて曰わざる罔し、艱大にして、民静かならず、亦惟れ王宮・邦君の室に在り、予が小子の考に越び、翼征す可からず、王害ぞ卜に違わざる、と。肆に予沖人永く艱を思う。曰わく、嗚呼、允に鰥寡を蠢かす、哀しきかな。予天役に造い、大いなるを遺して艱を朕が身に投げ、予沖人に越ぶも、卬自ら恤えず。
「そこで私は、我が友好国の君主たち、そして尹氏や多くの士人、政務担当者たちに告げて言った。『私は吉なる占いを得た、そなたら多くの国々と共に、殷の逃亡し反乱した臣下たちを討とう』と。しかしそなたら多くの国々の君主たちや、士人、政務担当者たちは、こぞって反対してこう言った。『困難は大きく、民は落ち着いておりません、この困難は王宮や諸侯の家々の内にも及んでおり、あなた様のご逝去された父上(武王)にまで関わることです、これは軽々しく征伐すべきではありません、王よ、なぜ占いに背かれないのですか』と。それゆえ、この若輩の私は、長くこの困難について思い巡らせた。ああ、まことに身寄りのない者たちまでもが動揺している、なんと哀しいことか。私はこの天からの試練に遭い、大いなる困難をこの身に投げかけられ、この若輩の私にまで及ぶことになったが、私は自分自身のことを憂えているのではない。」
義ある爾ら邦君と爾ら多士・尹氏・御事と、予を綏んじて曰わく、恤いを毖むこと無かれ、乃の寧考の図功を成さざるべからず、と。已、予惟れ小子、敢えて上帝の命を替れしめず。天寧王を休んじ、我が小邦の周を興す。寧王惟れ卜を用い、克く綏んじて茲の命を受く。今天其れ民を相けん、矧んや亦惟れ卜を用いてをや。嗚呼、天の明畏、我が丕丕たる基を弼けよ。
「しかし義を重んじるそなたら諸侯や、多くの士人、尹氏、政務担当者たちは、私を励まして言った。『憂いに閉じこもってばかりいてはなりません、あなた様の亡き父君(武王)が図られた大業を、成し遂げないわけにはまいりません』と。ああ、私はこの若輩の身ではあるが、あえて上帝の命を廃れさせることはしない。天は文王を安んじ、我が小国であった周を興隆させられた。文王はただ占いを用いられ、よく安んじてこの天命をお受けになった。今、天はまさに民をお助けになろうとしている、まして占いによってなおのことである。ああ、天の明らかで畏るべき意志よ、我が大いなる基業をどうかお助けください。」
王曰わく、昔の若く朕其れ逝かん、朕が言艱日に思う。考室を作るが若く、既に法を厎すも、厥の子乃ち堂を肯えてせずんば、矧んや構を肯えんや。厥の父菑するも、厥の子乃ち播を肯えてせずんば、矧んや穫を肯えんや。厥の考翼其れ肯えて曰わんや、予後有り、基を棄てずと。肆に予曷ぞ敢えて卬寧王の大命を敉でざらんや。兄考の若く、乃ち友有りて厥の子を伐てば、民養いて其れ勧めて救わざらんや。
王は言われた。「昔のように、私はこれから征伐に赴こう、私はこの困難な日々にこの言葉を思うのだ。たとえば父が家を建てようとして、すでに基礎の設計を終えたのに、その子が壁を立てようともしないならば、まして屋根を組むことなどできようか。父が田畑を耕したのに、その子が種を蒔こうともしないならば、まして収穫することなどできようか。その父の霊は、はたして『私には後継ぎがいる、この基業を捨てることはない』と喜んで言えるだろうか。だからこそ私は、どうしてあえて文王の大いなる命を成し遂げずにいられようか。もし年長の兄が病に倒れ、味方の者がその子を討とうとしているならば、民を養い育てる立場の者が、これを励まして救おうとしないことがあろうか。」
王曰わく、嗚呼、肆めよや、爾ら庶邦の君と爾ら御事と。邦を爽らかにするは哲に由る、亦惟れ十人、上帝の命と天の棐忱とを迪知す。爾ら時に敢えて法を易うる罔かれ、矧んや今天戾りを周邦に降せるをや。惟れ大艱の人、誕いに鄰して厥の室を胥伐ち、爾も亦天命の易からざるを知らず。予永く念いて曰わく、天惟れ殷を喪ぼす、穡夫の若く、予曷ぞ敢えて朕が畝を終えざらんや。天も亦惟れ前の寧人を休とす、予曷ぞ其れ卜を極め、敢えて従わずして、寧人に率いて疆土を指す有らんや。矧んや今卜並らびに吉なるをや。肆に朕誕いに爾らを以て東征す、天命僭わず、卜陳惟れ茲の若し、と。
王は言われた。「ああ、努めよ、そなたら多くの国々の君主たちと、政務を担当する者たちよ。国を明らかに治めるのは知恵によるものだが、それはただ十人ばかりの賢者たちが、上帝の命と天の助け守る誠実さとを深く理解しているからである。そなたらは常にあえて法度を変えることのないように、まして今、天は周の国に戻すべき試練を降されているのだから。この大きな困難をもたらす者たち(殷の残党)が、大いに隣人として互いにその家を討ち合っている、そなたらもまた天命の容易ならぬことを知らねばならぬ。私は長く思案してこう言った。『天はまさに殷を滅ぼそうとしている、それはあたかも農夫が畑を耕すようなものだ、私がどうしてあえて自分の畝を耕し終えずにいられようか。天もまた先の文王・武王を善しとされている、私がどうして占いを極め尽くさず、あえてそれに従わずして、文王・武王の御跡に従ってこの国土を指し示す者となれようか』と。まして今、占いはことごとく吉と出ているのだから。それゆえ私は、大いにそなたらを率いて東方の征伐に赴く、天命は違うことなく、占いの示すところもまさにこの通りである。」