書経 周書(三)

旅獒・金滕・大誥

この読本について

殷討伐直後の3篇です。旅獒は召公が武王を戒めた徳治論、金滕は武王の病に周公が身代わりを願い出た感動的な物語、大誥は武王没後、周公が殷の残党の反乱を討つにあたり諸侯を説得した誥(告げ文)です。大誥は盤庚と並び難解な篇として知られます。

① 旅獒(りょごう)

西方の旅国が大犬を献上した際、太保・召公が物を大切にするより徳を大切にすべきと武王を諫めた言葉。

惟克商、遂通道于九夷八蠻。西旅厎貢厥獒、太保乃作《旅獒》、用訓于王。曰、嗚呼、明王慎德、西夷咸賓。無有遠邇、畢獻方物、惟服食器用。王乃昭德之致于異姓之邦、無替厥服。分寶玉于伯叔之國、時庸展親。人不易物、惟德其物。

しょうちて、ついみち九夷八蛮きゅういはちばんに通ず。西旅せいりょごうこうするにいたり、太保たいほすなわ旅獒りょごうつくりて、もっおうおしう。曰わく、嗚呼ああ明王めいおうとくを慎み、西夷せいいみなひんす。遠邇えんじ有ること無く、ことごと方物ほうぶつを献ずるも、ただ服食器用ふくしょくきようのみなり。王乃ち徳のいたす所を異姓いせいくにあきらかにし、ふくすたれしむること無かれ。宝玉ほうぎょく伯叔はくしゅくの国に分かち、ときもっしんべよ。ひとものかろんぜざるは、惟れ徳もて其の物とすればなり。

殷に勝利したのち、周は九夷八蛮にまで道を通じさせた。西方の旅国が大犬を献上してきたので、太保(召公)は「旅獒」という文を作り、これによって王を戒めた。「ああ、明王は徳を慎み重んじられたので、西の夷までも皆賓客としてやってきました。遠近を問わず、あらゆる方物を献上してきますが、それらはただの衣食器具にすぎません。王はその徳の及ぶところを、異姓の国々にも明らかにし、彼らの職務を怠らせぬようになさいませ。宝玉は同姓の国々に分け与え、それによって親愛の情を示してください。人が物を軽んじないのは、ただ徳によってこそその物に価値が生まれるからです。」

德盛不狎侮。狎侮君子、罔以盡人心。狎侮小人、罔以盡其力。不役耳目、百度惟貞。玩人喪德、玩物喪志。志以道寧、言以道接。不作無益害有益、功乃成。不貴異物賤用物、民乃足。犬馬非其土性不畜、珍禽奇獸不育于國。不寶遠物、則遠人格、所寶惟賢、則邇人安。

徳盛(さか)んなれば狎侮こうぶせず。君子くんしを狎侮すれば、以て人心じんしんを尽くすし。小人しょうじんを狎侮すれば、以て其のちからを尽くす罔し。耳目じもくえきせられずんば、百度ひゃくど惟れていなり。ひともてあそべば徳をうしない、物を玩べばこころざしを喪う。志はみちを以てやすんじ、げんは道を以てせっす。無益むえきして有益を害すること無くんば、こうすなわち成る。異物いぶつたっとびて用物ようぶついやしむこと無くんば、たみ乃ち足る。犬馬けんば其の土性どせいあらざればわず、珍禽奇獣ちんきんきじゅうくにそだてず。遠物えんぶつたからとせざれば、則ち遠人えんじんきたり、宝とする所惟れけんなれば、則ち邇人じじんやすんず。

「徳が盛んであれば、人を侮ることはありません。君子を侮れば、人々の心を尽くさせることができません。小人を侮れば、その力を尽くさせることができません。目や耳の快楽に使われなければ、あらゆる法度は正しく保たれます。人を弄べば徳を失い、物を弄べば志を失います。志は道によって安らぎ、言葉は道によって人と交わります。無益なことをして有益なことを害さなければ、功績はおのずと成ります。珍しい物を貴んで実用の品を賤しまなければ、民の暮らしは満ち足ります。犬馬もその土地の産でなければ飼わず、珍しい鳥獣も国内で育てません。遠方の珍品を宝としなければ、遠くの人々もやってきます。ただ賢者を宝とすれば、身近な人々も安んじます。」

嗚呼、夙夜罔或不勤、不矜細行、終累大德。為山九仞、功虧一簣。允迪茲、生民保厥居、惟乃世王。

嗚呼ああ夙夜しゅくやあるいつとめざることく、細行さいこうつつしまずんば、つい大徳だいとくわずらわさん。山をつくること九仞きゅうじんこう一簣いっきく。まことこれしたがわば、生民せいみんきょたもち、すなわ世々よよ王たらん。

「ああ、朝な夕なに努めぬことのないようになさり、些細な行いをも慎まなければ、ついには大いなる徳をも損なうことになりましょう。九仞もの高さの山を築いても、最後の一もっこの土が足りなければ、その功は成りません。まことにこの道に従われれば、万民はその暮らしを保ち、周は代々にわたって王であり続けることでしょう。」

② 金滕(きんとう)

武王の重病に際し、周公が自らの命を差し出して身代わりを願う祝詞を捧げる。その真心が後に明らかになる感動の物語。

既克商二年、王有疾、弗豫。二公曰、我其為王穆卜。周公曰、未可以戚我先王。公乃自以為功、為三壇同墠。為壇于南方、北面、周公立焉。植璧秉珪、乃告太王王季文王。

すでしょうちて二年にねんおうやまい有り、よろこばず。二公にこう曰わく、われ其れ王のため穆卜ぼくぼくせん、と。周公しゅうこう曰わく、いまだ以て先王せんおううれえしむべからず、と。こうすなわち自ら以てこうと為し、三壇さんだんつくりてぜんを同じくす。壇を南方なんぽうに為り、北面ほくめんして、周公立てり。へきけいり、乃ち太王たいおう王季おうき文王ぶんおうに告ぐ。

殷に勝利してから二年、王(武王)が重い病にかかり、体調が優れなかった。太公・召公の二人は「我らが王のために謹んで占いを行いましょう」と言った。周公は「まだ我らの先王方をお煩わせするには及びません」と言った。周公は自ら身をもって功を成そうと考え、三つの祭壇を同じ場所に築いた。壇は南向きに築かれ、周公は北を向いて立った。璧の玉を立て珪の玉を手に持ち、太王・王季・文王にお告げした。

史乃冊祝曰、惟爾元孫某、遘厲虐疾。若爾三王是有丕子之責于天、以旦代某之身。予仁若考能、多材多藝、能事鬼神。乃元孫不若旦多材多藝、不能事鬼神。乃命于帝庭、敷佑四方、用能定爾子孫于下地。四方之民罔不祗畏。嗚呼、無墜天之降寶命、我先王亦永有依歸。

すなわ冊祝さくしゅくして曰わく、なんじ元孫げんそんぼう厲虐れいぎゃくやまいう。し爾ら三王さんおう丕子ひしせきを天にたば、たんを以てぼうに代(か)えよ。われじんにして考能こうのうき、多材多芸たざいたげいにして、鬼神きしんつかう。なんじ元孫げんそんは旦の多材多芸なるに若かず、鬼神に事うる能わず。すなわ帝庭ていていに命ぜられ、敷(あまね)く四方しほうたすけ、もって能く爾ら子孫しそん下地かちに定む。四方のたみ祗畏しいせざるし。嗚呼ああてんくだ宝命ほうめいとすこと無くんば、先王せんおうまたなが依帰いきする有らん、と。

史官は冊書を作り、祝詞を読み上げた。「あなた方の長孫である某(発、すなわち武王)が、厳しい病にかかっております。もしあなた方三代の王が、天において父たる責務をお持ちであれば、どうかこの私・旦(周公)を彼の身代わりとしてください。私は仁愛深く、亡き父(文王)に似た能力を持ち、多くの才能と技芸に恵まれ、よく鬼神にお仕えできます。あなた方の長孫は、私ほど多くの才能と技芸を持たず、鬼神にお仕えする力に劣ります。しかし彼は天帝の朝廷より天命を受け、あまねく四方をお助けになり、それによってあなた方の子孫をこの地上に安定させることができる方です。天下の民で彼を敬い畏れぬ者はありません。ああ、天の降されたこの貴い使命を失うことがなければ、我らが先王方も永く安んじて拠り所を得られることでしょう。」

今我即命于元龜、爾之許我、我其以璧與珪歸俟爾命。爾不許我、我乃屏璧與珪。乃卜三龜、一習吉。啟籥見書、乃並是吉。公曰、體、王其罔害。予小子新命于三王、惟永終是圖、茲攸俟、能念予一人。公歸、乃納冊于金滕之匱中。王翼日乃瘳。

今我われ元亀げんきめいくに、なんじこれを我に許さば、我其へきけいとを以てかえり爾らのめいたん。爾ら我に許さずば、我乃すなわち璧と珪とをしりぞけん。乃ち三亀さんきぼくするに、いつ習吉しゅうきつす。やくひらきてしょるに、乃ちならびにこれきちなり。こう曰わく、てい、王其れがいけん。われ小子しょうしあらたに三王さんおうめいぜられ、惟れ永終えいしゅうはかる、これ攸俟ゆうし予一人いちにんおもえかし、と。公帰かえりて、乃ちさく金滕きんとう匱中きちゅうる。王翼日よくじつ乃ちゆ。

「今、私は大亀の占いに問うております。あなた方がこの願いをお許しくださるならば、私はこの璧と珪の玉を持ち帰り、あなた方の命をお待ちいたします。もしお許しくださらなければ、私はこの璧と珪の玉を退けましょう。」そして三つの亀甲で占ったところ、いずれも重ねて吉と出た。占いの記録を鍵で開いて見ると、それもまた皆吉であった。周公は言った。「兆しの形からして、王には害がないでしょう。この私も新たに三代の王より命をお受けし、ただ末永い安泰をこそ図ろうとしております。この願いをお待ちくださるならば、どうかこの私一人のことをお心に留めてくださいますように。」周公は帰ると、その祝詞の冊書を金属の紐で封じた箱に納めた。王は翌日には病が癒えた。

武王既喪、管叔及其群弟乃流言于國、曰、公將不利于孺子。周公乃告二公曰、我之弗辟、我無以告我先王。周公居東二年、則罪人斯得。于後、公乃為詩以貽王、名之曰《鴟鴞》。王亦未敢誚公。

武王ぶおうすでそうせしとき、管叔かんしゅくおよび其の群弟ぐんていすなわ流言りゅうげんくにながして、曰わく、こうまさ孺子じゅしあらざらんとす、と。周公乃ち二公にこうに告げて曰わく、われこれけずんば、我以て先王せんおうに告ぐる無からん、と。周公東ひがしること二年、則ち罪人斯たり。のちに、公乃ちつくりて以て王におくり、之を名づけて鴟鴞しきょうと曰う。王もまたいまだ敢えて公をそしらず。

武王が世を去られたのち、管叔とその弟たちは国内に流言を広め、「周公はまさに幼き王(成王)にとって不利益なことをなさろうとしている」と言った。周公は太公・召公の二人に告げて言った。「私がこの困難を避けて摂政の任を退けば、私は先王方に何と申し開きができましょうか。」周公は東方に二年間留まり、ついに罪人(反乱の首謀者たち)を捕らえることができた。その後、周公は詩を作って王に贈り、これを「鴟鴞」と名づけた。それでも王はいまだ周公を非難しようとはしなかった。

秋、大熟、未穫、天大雷電以風、禾盡偃、大木斯拔、邦人大恐。王與大夫盡弁以啟金滕之書、乃得周公所自以為功代武王之說。二公及王乃問諸史與百執事。對曰、信、噫、公命我勿敢言。

あき、大いにじゅくせしも、いまらず、てん大いに雷電らいでんして以てかぜふき、ことごとたおれ、大木たいぼくれ抜(ぬ)け、邦人ほうじん大いにおそる。おう大夫たいふことごとべんして以て金滕きんとうしょひらくに、すなわ周公しゅうこう自ら以てこうして武王ぶおうわらんとするせつを得たり。二公にこう及び王乃ちもろもろ百執事ひゃくしつじとに問う。こたえて曰わく、まことなり、ああ、公我らに命じて敢えて言うことからしめり、と。

秋、穀物は大いに実ったが、まだ収穫していなかったところ、天は激しい雷鳴と稲妻と共に大風を起こし、稲はことごとく倒れ伏し、大木も根こそぎ抜けてしまい、国中の人々は大いに恐れた。王は大夫たちと共に礼服を整え、金属の紐で封じられた箱の書を開くと、そこに周公が自らを犠牲にして武王の身代わりになろうとしたという言葉が記されているのを見出した。太公・召公の二人と王は、史官や多くの役人たちに尋ねた。すると彼らは答えて言った。「本当のことでございます。ああ、周公は私どもに、決して申し上げてはならぬと命じておられました。」

王執書以泣、曰、其勿穆卜。昔公勤勞王家、惟予沖人弗及知。今天動威以彰周公之德、惟朕小子其新逆、我國家禮亦宜之。王出郊、天乃雨、反風、禾則盡起。二公命邦人凡大木所偃、盡起而築之。歲則大熟。

王書しょりて以てき、曰わく、其れ穆卜ぼくぼくすることかれ。むかしこう王家おうか勤労きんろうせしも、ただ沖人ちゅうじん知るに及ばざりき。今天てんを動かして以て周公しゅうこうとくあきらかにす、惟れちん小子しょうし其れ新たにむかえ、国家こっかれいまたこれよろしかるべし、と。王郊こうに出でしに、天乃ち雨ふり、風反かえり、則ちことごとく。二公邦人ほうじんに命じておよ大木たいぼくたおるる所、尽く起こして之をかしむ。とし則ち大熟だいじゅくす。

王はその書を手に取って泣き、言った。「もう占う必要はない。昔、周公は王家のために勤め労苦されたのに、この未熟な私はそれを知るに及ばなかったのだ。今、天はその威を動かして周公の徳を明らかにされた。この私が自ら新たにお迎えするのが、我が国家の礼儀としても相応しいであろう。」王が郊外に出向くと、天は雨を降らせ、風向きは逆転し、倒れていた稲はことごとく起き上がった。太公・召公の二人は国人に命じて、倒れていた大木もすべて起こして土台を築かせた。その年は大豊作となった。

③ 大誥(たいこう)

武王没後、殷の遺臣・武庚と管叔・蔡叔らが反乱を起こす。摂政の周公が、動揺する諸侯たちに東征の大義を説く。書経随一の難解篇とされる。

王若曰、猷、大誥爾多邦越爾御事。弗弔、天降割于我家、不少延。洪惟我幼沖人、嗣無疆大歷服。弗造哲、迪民康、矧曰其有能格知天命。已、予惟小子、若涉淵水、予惟往求朕攸濟。

王若かく曰わく、ああ、大いになんじ多邦たほうなんじ御事ぎょじとにぐ。よみせられず、てんがいいえくだし、すこしもびず。おおいに我幼沖ようちゅうひと無疆むきょう大歴服だいれきふくぐ。てつさず、たみやすんずるにみちびかず、いわんや其れ天命てんめい格知かくちする有りと曰わんや。ああわれ小子しょうし淵水えんすいわたるがごとし、予惟れきてちんわたところを求めん。

王(成王、実質は周公の言)はこう仰せられた。「ああ、大いにそなたら多くの国々と、政務を司る者たちに告げよう。喪に服する間もなく、天は我が家に災いを降し、少しも猶予を与えられなかった。それゆえこの若く未熟な私が、限りなく大いなる大業を継ぐこととなった。まだ知恵を成すこともできず、民を安んずる道を導くこともできない、まして天命を確かに知ることができるなどと、どうして言えようか。ああ、私はこの若輩の身で、まるで深い淵の水を渡るかのようだ、私はこれから渡るべき道を求めていかねばならない。」

敷賁敷前人受命、茲不忘大功、予不敢閉于天降威。用寧王遺我大寶龜、紹天明即命。曰、有大艱于西土、西土人亦不靜、越茲蠢殷小腆、誕敢紀其敘。天降威、知我國有疵、民不康。曰、予復。反鄙我周邦。今蠢今翼日、民獻有十夫、予翼以于敉寧武圖功。我有大事、休、朕卜並吉。

かざ前人ぜんじん受命じゅめいき、これ大功たいこうを忘れず、われ敢えててん降すざさず。寧王ねいおうわれのこせる大宝亀たいほうきもって、天明てんめいぎてめいく。曰わく、大艱たいかん西土せいどに有り、西土の人もまたしずかならず、うごめいん小腆しょうてんおよび、おおいに敢えて其のじょす。天威を降し、我が国にきず有ることを知り、たみやすからず。曰わく、予復かえらん、と。かえりて周邦しゅうほうあなどる。今蠢うご今翼日よくじつたみけんずる者十夫じゅっぷ有り、予翼たすけて以て寧武ねいぶ図功とこうでん。我に大事だいじ有り、きゅうならんか、ちんぼくらびにきちならんか、と。

「先人の受けられた天命を広め飾り、この大いなる功業を忘れることなく、私はあえて天の下される威光を閉ざすことはしない。文王が私に遺された大いなる占いの亀を用いて、天の明らかな意志を受け継ぎ天命に従おう。占いにこうあった。『西の地に大きな困難がある、西の地の人々もまた落ち着かない、この蠢く殷の残党の勢力に及び、大胆にもその企てを再興しようとしている。天は威光を降し、我が国に弱点があること、民が安らかでないことをお示しになった。彼ら(殷の残党)は「我らは復興する」と言い、かえって我らが周の国を侮っている。今まさに動き始め、まさに明日にも、民のうちに献策する十人の賢者がおり、私はその助けを得て、文王・武王の遺された大業を成し遂げよう。私にはこれから大事業がある、これは吉であろうか、私の占いはことごとく吉と出るであろうか』と。」

肆予告我友邦君越尹氏庶士御事、曰、予得吉卜、以爾庶邦、于伐殷逋播臣。爾庶邦君越庶士御事、罔不反曰、艱大、民不靜、亦惟在王宮邦君室、越予小子考、翼不可征、王害不違卜。肆予沖人永思艱。曰、嗚呼、允蠢鰥寡、哀哉。予造天役、遺大投艱于朕身、越予沖人、不卬自恤。

ついわれ友邦ゆうほうきみ尹氏いんし庶士しょし御事ぎょじとに告げて、曰わく、われ吉卜きつぼくなんじ庶邦しょほうを以て、いん逋播ほはの臣をたん、と。爾ら庶邦の君と庶士・御事と、かえりて曰わざるし、かん大にして、たみしずかならず、また王宮おうきゅう邦君ほうくんしつり、小子しょうしこうおよび、つばさせいからず、おうなんぼくたがわざる、と。つい予沖人われちゅうじん永くかんを思う。曰わく、嗚呼ああまこと鰥寡かんかうごかす、かなしきかな。予天役てんえきい、大いなるをのこしてかんちんに投げ、予沖人におよぶも、われみずかうれえず。

「そこで私は、我が友好国の君主たち、そして尹氏や多くの士人、政務担当者たちに告げて言った。『私は吉なる占いを得た、そなたら多くの国々と共に、殷の逃亡し反乱した臣下たちを討とう』と。しかしそなたら多くの国々の君主たちや、士人、政務担当者たちは、こぞって反対してこう言った。『困難は大きく、民は落ち着いておりません、この困難は王宮や諸侯の家々の内にも及んでおり、あなた様のご逝去された父上(武王)にまで関わることです、これは軽々しく征伐すべきではありません、王よ、なぜ占いに背かれないのですか』と。それゆえ、この若輩の私は、長くこの困難について思い巡らせた。ああ、まことに身寄りのない者たちまでもが動揺している、なんと哀しいことか。私はこの天からの試練に遭い、大いなる困難をこの身に投げかけられ、この若輩の私にまで及ぶことになったが、私は自分自身のことを憂えているのではない。」

義爾邦君越爾多士尹氏御事、綏予曰、無毖于恤、不可不成乃寧考圖功。已、予惟小子、不敢替上帝命。天休于寧王、興我小邦周。寧王惟卜用、克綏受茲命。今天其相民、矧亦惟卜用。嗚呼、天明畏、弼我丕丕基。

あるなんじ邦君ほうくんと爾ら多士たし尹氏いんし御事ぎょじと、われやすんじて曰わく、うれいをつつしむこと無かれ、なんじ寧考ねいこう図功とこうを成さざるべからず、と。ああ、予惟れ小子しょうし、敢えて上帝じょうていめいすたれしめず。天寧王ねいおうやすんじ、小邦しょうほうしゅうおこす。寧王惟れぼくを用い、やすんじての命を受く。今天其れたみたすけん、いわんや亦惟れ卜を用いてをや。嗚呼ああてん明畏めいい、我が丕丕ひひたるもといたすけよ。

「しかし義を重んじるそなたら諸侯や、多くの士人、尹氏、政務担当者たちは、私を励まして言った。『憂いに閉じこもってばかりいてはなりません、あなた様の亡き父君(武王)が図られた大業を、成し遂げないわけにはまいりません』と。ああ、私はこの若輩の身ではあるが、あえて上帝の命を廃れさせることはしない。天は文王を安んじ、我が小国であった周を興隆させられた。文王はただ占いを用いられ、よく安んじてこの天命をお受けになった。今、天はまさに民をお助けになろうとしている、まして占いによってなおのことである。ああ、天の明らかで畏るべき意志よ、我が大いなる基業をどうかお助けください。」

王曰、若昔朕其逝、朕言艱日思。若考作室、既厎法、厥子乃弗肯堂、矧肯構。厥父菑、厥子乃弗肯播、矧肯穫。厥考翼其肯曰、予有後、弗棄基。肆予曷敢不越卬敉寧王大命。若兄考、乃有友伐厥子、民養其勸弗救。

王曰わく、むかしごとちん其れかん、朕がげん艱日かんじつに思う。こうしつつくるが若く、すでほういたすも、すなわどうえてせずんば、いわんやこうを肯えんや。厥のちちするも、厥の子乃ちを肯えてせずんば、矧んやかくを肯えんや。厥のこうつばさ其れ肯えて曰わんや、われあと有り、もといてずと。ついわれなんぞ敢えてわれ寧王ねいおう大命たいめいでざらんや。兄考けいこうの若く、乃ちとも有りて厥の子をてば、たみやしないて其れすすめて救わざらんや。

王は言われた。「昔のように、私はこれから征伐に赴こう、私はこの困難な日々にこの言葉を思うのだ。たとえば父が家を建てようとして、すでに基礎の設計を終えたのに、その子が壁を立てようともしないならば、まして屋根を組むことなどできようか。父が田畑を耕したのに、その子が種を蒔こうともしないならば、まして収穫することなどできようか。その父の霊は、はたして『私には後継ぎがいる、この基業を捨てることはない』と喜んで言えるだろうか。だからこそ私は、どうしてあえて文王の大いなる命を成し遂げずにいられようか。もし年長の兄が病に倒れ、味方の者がその子を討とうとしているならば、民を養い育てる立場の者が、これを励まして救おうとしないことがあろうか。」

王曰、嗚呼、肆哉、爾庶邦君越爾御事。爽邦由哲、亦惟十人、迪知上帝命越天棐忱。爾時罔敢易法、矧今天降戾于周邦。惟大艱人、誕鄰胥伐于厥室、爾亦不知天命不易。予永念曰、天惟喪殷、若穡夫、予曷敢不終朕畝。天亦惟休于前寧人、予曷其極卜、敢弗于從、率寧人有指疆土。矧今卜並吉。肆朕誕以爾東征、天命不僭、卜陳惟若茲。

王曰わく、嗚呼ああつとめよや、なんじ庶邦しょほうきみと爾ら御事ぎょじと。くにあきらかにするはてつる、また十人じゅうにん上帝じょうていめいてん棐忱ひしんとを迪知てきちす。爾らつねに敢えてほううるかれ、いわんや今天戾もとりを周邦しゅうほうくだせるをや。惟れ大艱たいかんひとおおいにとなりしてしつあいち、爾も亦天命てんめいやすからざるを知らず。予永くおもいて曰わく、天惟れいんほろぼす、穡夫しょくふごとく、予曷なんぞ敢えてちんを終えざらんや。天も亦惟れさき寧人ねいじんきゅうとす、予曷ぞ其れぼくきわめ、敢えて従わずして、寧人ねいじんしたがいて疆土きょうどを指す有らんや。いわんや今卜並らびにきちなるをや。ついちんおおいに爾らを以て東征とうせいす、天命僭たがわず、卜陳ぼくちんかくごとし、と。

王は言われた。「ああ、努めよ、そなたら多くの国々の君主たちと、政務を担当する者たちよ。国を明らかに治めるのは知恵によるものだが、それはただ十人ばかりの賢者たちが、上帝の命と天の助け守る誠実さとを深く理解しているからである。そなたらは常にあえて法度を変えることのないように、まして今、天は周の国に戻すべき試練を降されているのだから。この大きな困難をもたらす者たち(殷の残党)が、大いに隣人として互いにその家を討ち合っている、そなたらもまた天命の容易ならぬことを知らねばならぬ。私は長く思案してこう言った。『天はまさに殷を滅ぼそうとしている、それはあたかも農夫が畑を耕すようなものだ、私がどうしてあえて自分の畝を耕し終えずにいられようか。天もまた先の文王・武王を善しとされている、私がどうして占いを極め尽くさず、あえてそれに従わずして、文王・武王の御跡に従ってこの国土を指し示す者となれようか』と。まして今、占いはことごとく吉と出ているのだから。それゆえ私は、大いにそなたらを率いて東方の征伐に赴く、天命は違うことなく、占いの示すところもまさにこの通りである。」