書経 周書(四)

微子之命・康誥・酒誥・梓材

この読本について

周公東征ののち、殷の旧都の民を治めるための3篇(康誥・酒誥・梓材)と、殷王の庶兄・微子を宋の君主に封じた命(微子之命)を収めます。康誥は『大学』が「克明徳」として引用する一節を含みます(書経_引用箇所抜粋.htmlに詳細)。酒誥は現存する中国最古の禁酒令として知られます。

① 微子之命(びしのめい)

周公が武庚の乱を平定したのち、成王が殷王の庶兄・微子啓を宋の君主に封じ、殷の祭祀を継がせた命。

王若曰、猷、殷王元子。惟稽古、崇德象賢。統承先王、修其禮物。作賓于王家、與國咸休、永世無窮。嗚呼、乃祖成湯、克齊聖廣淵。皇天眷佑、誕受厥命。撫民以寬、除其邪虐。功加于時、德垂後裔。

王若かく曰わく、ああ殷王いんおう元子げんしよ。いにしえかんがうるに、とくたっとけんかたどる。先王せんおう統承とうしょうし、其の礼物れいぶつおさむ。王家おうかひんり、国とみなきゅうにして、永世えいせいきわまり無し。嗚呼ああなんじ成湯せいとう斉聖広淵せいせいこうえんなり。皇天こうてん眷佑けんゆうし、おおいにめいを受く。たみするにかんを以てし、其の邪虐じゃぎゃくを除く。こうときくわわり、徳後裔とくこうえいる。

王(成王せいおう)はこう仰せられた。「ああ、いん王の長子よ。いにしえを考えるに、徳を崇め賢者に倣うという制度がある。先王の伝統を受け継ぎ、その礼制れいせいを修めることだ。王家の賓客ひんきゃくとなり、国と共に栄え、永遠に窮まることがない。ああ、そなたの祖先そせんである成湯せいとうは、よく厳粛で聖明、広く深い徳をお持ちであった。偉大いだいな天はこれを見守り助け、大いなる天命てんめいを受けられた。民を寛容さをもって慈しみ、その邪悪じゃあく暴虐ぼうぎゃくを取り除かれた。その功績は時代に加わり、その徳は後の世まで垂れ伝わっている。」

爾惟踐修厥猷、舊有令聞、恪慎克孝、肅恭神人。予嘉乃德、曰篤不忘。上帝時歆、下民祗協、庸建爾于上公、尹茲東夏。欽哉、往敷乃訓、慎乃服命、率由典常、以蕃王室。弘乃烈祖、律乃有民、永綏厥位、毗予一人。世世享德、萬邦作式、俾我有周無斁。嗚呼、往哉惟休、無替朕命。

なんじみち践修せんしゅうし、もとより令聞れいぶん有り、恪慎かくしんにしてこう神人しんじん粛恭しゅくきょうす。われなんじとくよみし、あつくして忘れずと曰う。上帝じょうていこれけ、下民かみん祗協しきょうす、もって爾を上公じょうこうに建て、東夏とうかおさめしむ。つつしめや、きて乃のおしえをき、乃の服命ふくめいを慎み、典常てんじょう率由そつゆうして、以て王室おうしつまもれ。乃の烈祖れっそひろめ、乃のたみただし、永くくらいやすんじ、予一人いちにんたすけよ。世世よよ徳をけ、万邦ばんぽうしきり、有周ゆうしゅうをしてむこと無からしめよ。嗚呼ああ、往きて惟れきゅうなれ、ちんめいを替(すた)えること無かれ、と。

「そなたはその道を踏み修め、もとより良き評判があり、慎み深く孝行であり、神々や人々に恭しく仕えてきた。私はそなたの徳を称え、これを篤く忘れることはない、と言おう。上帝じょうていもこれをお受けになり、下々の民も敬いこれに協力する、それゆえそなたを上公の位に立て、この東方の夏(宋国)を治めさせよう。慎んで、赴いてそなたの教えを広め、その職務を慎み、常なる法に従って、周の王室を守る藩屏はんぺいとなってほしい。そなたの輝かしい祖先そせんの業績を広め、そなたの民を正しく治め、永くその位を安んじ、この私一人を助けてほしい。代々にわたって徳を受け継ぎ、天下万国の模範もはんとなり、我が周国を飽きさせることのないように。ああ、赴いてよき治世ちせいを行い、私のこの命を廃れさせることのないように。」

② 康誥(こうこう)

殷の遺民を治めるため衛に封じられた弟・康叔(封)に、周公が成王の名において、徳による統治(明徳)と刑罰の慎み(慎罰)を訓した篇。『大学』が「克く徳を明らかにす」として引く一節を含む。新釈漢文大系の五節構成に拠る。

第一節(錯簡)

惟三月哉生魄、周公初基作新大邑于東國洛、四方民大和會。侯甸男邦、采衞百工播民、和見士于周。周公咸勤、乃洪大誥治。

三月さんがつ哉生魄さいせいはく周公しゅうこう初めて新大邑しんだいゆう東国洛とうごくらくもといつくるに、四方しほうたみ大いに和会わかいす。侯甸男邦こうでんだんほう采衞さいえい百工ひゃっこう播民はみんしてしゅうあらわす。周公みなきんし、すなわおおいに大誥たいこうす。

三月、月の光が生じ始めた頃、周公しゅうこうが初めてらくの地に新しい大都市の基礎を築くと、四方の民は大いに和やかに集まった。侯・甸・男の諸侯しょこう、采・衛の役人たち、そして各地から移り住んだいん遺民いみんたちも、和やかに士人しじんとして周のもとに参上した。周公しゅうこうはことごとく労をとって治め、大いに治世ちせいの方針を告げられた。

第二節 王が康叔に殷民の統治を命じ、明徳・慎罰を総説す

王若曰、孟侯、朕其弟、小子封。惟乃丕顯考文王、克明德慎罰、不敢侮鰥寡、庸庸、祗祗、威威、顯民、用肇造我區夏、越我一二邦、以修我西土。惟時怙冒、聞于上帝、帝休、天乃大命文王。殪戎殷、誕受厥命越厥邦民、惟時敘、乃寡兄勖。肆汝小子封、在茲東土。

王若かく曰わく、孟侯もうこうちんおとうと小子封しょうしほうよ。なんじ丕顕ひけんなる考文王こうぶんおうとくあきらかにしてばつつつしみ、敢えて鰥寡かんかあなどらず、もちうべきを庸い、つつしむべきを祗み、おそるべきを威れてたみあらわれ、もって我が区夏くか肇造ちょうぞうし、我が一二邦いちにほうえて以て我が西土せいどおさむ。惟れ怙冒こぼうし、上帝じょうていに聞こえ、ていきゅうしたまい、天すなわち大いに文王にめいじたまう。戎殷じゅういんたおし、おおいにの命と厥の邦民ほうみんとを受く。惟れ時にじょし、乃ちの寡兄かけいつとむ。ゆえなんじ小子封、東土とうどり。

王(成王せいおう、実は周公しゅうこうの言)はこう仰せられた。「諸侯しょこうの長よ、私の弟、若き封(康叔こうしゅく)よ。あなたの偉大いだいな父・文王ぶんおうは、よく徳を明らかにして刑罰けいばつを慎み、身寄りのない者を侮らず、用いるべき人を用い、慎むべきことを慎み、恐れ慎むべきことを恐れて、民の前にその徳を現された。そうして我らの中原ちゅうげんの地を築き起こし、周辺の国々を治めて西の地を治められた。この徳が天に届き、上帝じょうていはこれを嘉したまい、天は大いに文王ぶんおうに天下を治めるよう命じられた。文王ぶんおういんを討ち滅ぼし、その天命てんめいと国と民とを受け継がれた。政はよく秩序立ち、兄上(武王ぶおう)もこれに励まれた。だからこそ、若い封よ、そなたは今この東の地におるのだ。」

王曰、嗚呼、封、汝念哉。今民將在祗遹乃文考、紹聞衣德言。往敷求于殷先哲王用保乂民、汝丕遠惟商耇成人宅心知訓。別求聞由古先哲王用康保民。弘于天、若德、裕乃身不廢在王命。

王曰わく、嗚呼ああ、封よ、なんじおもえや。今たみまさなんじ文考ぶんこう祗遹しじゅつするにらんとす、衣徳言いとくげん紹聞しょうぶんせよ。きていん先哲王せんてつおう敷求ふきゅうし、もって民を保乂ほがいせよ、汝おおいに遠くしょう耇成人こうせいじん宅心知訓たくしんちくんおもえ。別にいにしえの先哲王にりて聞くを求め、用て民を康保こうほせよ。天にひろくし、徳にしたがい、乃のゆたかにして王命おうめいに在るをはいすること無かれ。

王は言われた。「ああ、封よ、心に留めよ。今、民はまさにそなたの父・文考(文王ぶんおう)を敬い従おうとしている、その徳ある言葉を受け継ぎ聞くがよい。赴いていんの先の賢明けんめいな王たちの教えをあまねく求め、それによって民を保護し治めよ。そなたは大いに遠く、しょうの年老いた経験ある人々の、心の落ち着きと教訓の知恵を思うがよい。また別に、いにしえの賢明けんめいな王たちの教えを求め、それによって民を安らかに保て。天のように広くあり、徳に従い、そなた自身を豊かに保ち、王命にあることを廃れさせぬように。」

王曰、嗚呼、小子封、恫瘝乃身、敬哉。天畏棐忱、民情大可見、小人難保。往盡乃心、無康好逸豫、乃其乂民。我聞曰、怨不在大、亦不在小、惠不惠、懋不懋。已、汝惟小子、乃服惟弘王、應保殷民、亦惟助王宅天命、作新民。

王曰わく、嗚呼ああ小子封しょうしほうなんじ恫瘝どうかんするがごとくにして、つつしめや。天はおそるべくまことたすく、民情みんじょう大いにるべく、小人しょうじんやすんじがたし。きて乃のこころつくし、やすんじて逸豫いつよこのむこと無かれ、すなわち其れ民をおさめん。我くに曰わく、うらみは大に在らず、また小に在らず、めぐまざるを恵み、つとめざるを懋めよ、と。ああ、汝れ小子、乃のつとめれ王をひろめ、まさ殷民いんみんやすんずべく、亦れ王をたすけて天命てんめいさだめ、新民しんみんおこすにあり。

王は言われた。「ああ、若き封よ、我が身に病の痛みを覚えるように民の苦しみを我がこととして、慎み深くあれ。天は畏れ多く、誠ある者を助けられる。民の心の動きは大いに見て取ることができ、しかも小さき民は安んじさせることが難しい。赴いてそなたの心を尽くし、安逸あんいつをむさぼり享楽きょうらくを好むことのないように。そうしてこそ民をよく治められる。私はこう聞いている。『怨みは事の大小によるのではない、恵むべきでない者にも恵み、努めるべきでない小さなことにも努めよ』と。ああ、そなたは若いとはいえ、その務めは王の徳を広め、いんの民を安んじ保ち、また王を助けて天命てんめいを定め、民を新たに教化することにある。」

第三節 王が康叔に罰を慎むべきことを教ふ

王曰、嗚呼、封、敬明乃罰。人有小罪、非眚、乃惟終自作不典、式爾。有厥罪小、乃不可不殺。乃有大罪、非終、乃惟眚災、適爾。既道極厥辜、時乃不可殺。

王曰わく、嗚呼ああ、封よ、なんじばつつつしあきらかにせよ。ひと小罪しょうざい有るも、あやまちにあらず、すなわついに自ら不典ふてんし、もちうることしかり。つみしょうなる有るも、乃ちころさざるべからず。乃ち大罪だいざい有るも、終に非ず、乃ち眚災せいさいたまたま爾り。すでいてつみきわむれば、れ乃ち殺すべからず。

王は言われた。「ああ、封よ、そなたの刑罰けいばつを慎んで明らかにせよ。人に小さな罪があっても、それが過失ではなく、あくまで最後まで自ら道に外れたことを行い、それを常習じょうしゅうとしているのであれば、その罪が小さくとも、殺さずにはおけない。逆に大きな罪があっても、それが常習じょうしゅうではなく、ただ過失による災いで、たまたまそうなったのであり、その罪の次第を包み隠さず申し述べているのであれば、これは殺してはならない。」

王曰、嗚呼、封、有敘時、乃大明服、惟民其勑懋和。若有疾、惟民其畢棄咎。若保赤子、惟民其康乂。非汝封刑人殺人、無或刑人殺人。非汝封又曰劓刵人、無或劓刵人。

王曰わく、嗚呼ああ、封よ、じょ有りてれ乃ち大いにあきらかにふくせしめば、たみ其れいましめてつとめてせん。やまいにくむがごとくにせば、惟れ民其れことごととがてん。赤子せきしやすんずるが若くにせば、惟れ民其れ康乂こうがいせん。なんじ封のひとけいし人をころすにあらざれば、あるいは人を刑し人を殺すことなかれ。汝封のまた人を劓刵ぎじすと曰うに非ざれば、或は人を劓刵すること無かれ。

王は言われた。「ああ、封よ、政に秩序があって、これを大いに明らかにして民を心服させれば、民は互いに戒め合い、努め励んで和らぐであろう。悪疫を憎み去るように悪を除けば、民はことごとく過ちを捨てるであろう。赤子を守り育てるように民を慈しめば、民は安らかに治まるであろう。そなた封自身が人を刑し人を殺す(正しい裁きによる)のでなければ、勝手に人を刑したり殺したりしてはならない。そなた封自身が『鼻や耳を切る刑に処せ』と命ずるのでなければ、勝手に人を劓刵(鼻切り・耳切りの刑)に処してはならない。」

王曰、外事、汝陳時臬司師、茲殷罰有倫。又曰、要囚、服念五六日、至于旬時、丕蔽要囚。

王曰わく、外事がいじは、なんじのりべて司師ししゅうせしめよ、殷罰いんばつりん有り。また曰わく、要囚ようしゅうは、服念ふくねんすること五六日ごろくにち旬時じゅんじいたるまでして、おおいに要囚をだんぜよ。

王は言われた。「城外(一般の政務)については、そなたはこの法規ほうきの条項を明示して、役人たちに司らせよ。このいん以来の刑罰けいばつには条理がある。」また言われた。「重罪人の処断については、五日六日、さらには十日ほどの間、じっくりと考え抜いてから、はじめて重罪人の判決を下すのだ。」

王曰、汝陳時臬事罰、蔽殷彝、用其義刑義殺、勿庸以次汝封。乃汝盡遜曰時敘、惟曰未有遜事。已、汝惟小子、未其有若汝封之心。朕心朕德、惟乃知。凡民自得罪、寇攘姦宄、殺越人于貨、暋不畏死、罔弗憝。

王曰わく、なんじ臬事げつじばつべ、殷彝いんいだんじ、其の義刑義殺ぎけいぎさつもちい、もちうるに汝封のもってすることなかれ。すなわち汝ことごとしたがいてじょすと曰うも、ただ未だしたがこと有らずと曰え。ああ、汝小子しょうし、未だ其れ汝封のこころごとき有らず。ちんが心ちんとくは、れ乃ちれ。およたみみずかつみ寇攘姦宄こうじょうかんきひと殺越さつえつしてり、つとめておそれざれば、にくまざるし。

王は言われた。「そなたはこの法規ほうきの条項による刑罰けいばつを明示し、いん以来の常法によって断罪し、その道理にかなった刑・道理にかなった処刑を用いよ。用いるにあたって、そなた封の私的な考えの順序で(勝手に)行ってはならない。そなたがすべて法に遜(したが)って秩序立っていると思っても、なお『まだ十分には法に順っていない』と考えるべきである。ああ、そなたは若く、まだそなた封の心ほど(民を思う心を十分に)備えてはいまい。私の心、私の徳を、そなたはよく知るがよい。おおよそ民が自ら罪を犯し、押し込み・かすめ取り・内外から乱を起こし、人を殺し傷つけて財を奪い、ひたすら図太く死をも恐れぬような者は、誰一人として憎まれぬ者はない(=みな厳しく処断される)。」

第四節 王が康叔に德を勉むべきを教ふ

王曰、封、元惡大憝、矧惟不孝不友。子弗祗服厥父事、大傷厥考心、于父不能字厥子、乃疾厥子。于弟弗念天顯、乃弗克恭厥兄、兄亦不念鞠子哀、大不友于弟。惟弔茲、不于我政人得罪、天惟與我民彝大泯亂、曰、乃其速由文王作罰、刑茲無赦。

王曰わく、封よ、元悪げんあく大憝だいたいいわんや不孝不友ふこうふゆうをや。ちちこと祗服ししふくせざれば、大いに厥のこうこころきずつけ、父にいて厥の子をあいするあたわざれば、すなわち厥の子をにくむ。おとうとに于いて天顕てんけんおもわざれば、乃ち厥のあにうやまう能わず、兄も亦厥の鞠子きくしあわれみを念わざれば、大いに弟にゆうならず。これいたりて、政人せいじんに罪をしめずんば、天れ我が民彝みんいと大いに泯乱びんらんあたえん、曰わく、乃ち其れすみやかに文王ぶんおうばつり、茲をけいしてゆるす無かれ、と。

王は言われた。「封よ、大きな悪は多くの怨みを買うものだが、まして不孝・不友の者はなおさらである。子が父の仕事を敬い従わなければ、大いに父の心を傷つけることになる。父もまたその子を慈しむことができなければ、かえってその子を憎むことになる。弟が天の道理を思わなければ、その兄を敬うことができない。兄もまた幼い弟を憐れむ心を思わなければ、大いに弟に対する友愛を欠くことになる。ここに至ってもなお、我が政務担当者たちがこれを罪と見なさなければ、天は我が民の常なる道理に対して大いなる混乱をお与えになるであろう。それゆえ言う、速やかに文王ぶんおうの定められた刑罰けいばつによって、これを罰し、赦してはならない、と。」

不率大戛、矧惟外庶子訓人、惟厥正人越小臣諸節。乃別播敷、造民大譽、弗念弗庸、瘝厥君、時乃引惡、惟朕憝。已、汝乃其速由茲義率殺。

大戛たいかつしたがわざるは、いわんや外庶子がいしょし訓人くんじんれ厥の正人せいじん小臣しょうしん諸節しょせつとをや。すなわべつ播敷はんぷして、たみに大いなるほまれをつくらんとし、おもわずもちいず、きみやまましむれば、れ乃ちあくくなり、ちんにくむところ。ああ、汝乃ち其れ速やかに茲のりてことごところせ。

「大いなる常法に従わない者は(罰せられる)、まして王族の子弟の教育係や役人、その長官や下級役人、諸々の節(割符)を持つ役目の者たちならば、なおさらである。彼らがもし勝手に(王命に背く教えを)言い広めて、民の間に自分の大きな評判を作ろうとし、(君主の政を)思わず用いず、その君主を病み苦しませるならば、これはまさに悪を招き寄せる者であり、私が憎むところである。ああ、そなたは速やかにこの道理によって、こうした者をことごとく処断せよ。」

亦惟君惟長、不能厥家人越厥小臣外正、惟威惟虐、大放王命、乃非德用乂。

またきみちょう家人かじんと厥の小臣しょうしん外正がいせいとをくせず、ぎゃくにして、大いに王命おうめいてなば、すなわとくにしておさむるにあらず。

「また一国の君主や一地方の長たる者が、自分の家中の者や下級の家臣・城外じょうがいの役人をよく統率できず、威圧と暴虐ぼうぎゃくばかりで、大いに王命をなげうつならば、それは徳によって治めているのではない(=厳しく戒めねばならない)。」

汝亦罔不克敬典、乃由裕民、惟文王之敬忌、乃裕民曰、我惟有及、則予一人以懌。

なんじまたのりつつしまざるく、すなわりてたみゆたかにするは、文王ぶんおう敬忌けいきなり。乃ち民を裕かにして曰わく、われおよぶ有らんと。すなわ予一人いちにんもっよろこばん。

「そなたもまた、常なる法をよく敬い守らぬことなく、それによって民を豊かにするのが、文王ぶんおうの敬み慎まれた心である。そうして民を豊かにしてこう言うがよい、『私はきっと(文王ぶんおうの徳に)及ぶことができるように努める』と。そうすれば、この私一人(成王せいおう)も心から喜ぶであろう。」

王曰、封、爽惟民迪吉康、我時其惟殷先哲王德、用康乂民作求。矧今民罔迪、不適、不迪、則罔政在厥邦。

王曰わく、封よ、あきらかにたみ吉康きっこうみちびかんとせば、われれ其れいん先哲王せんてつおうとくをもって、もって民を康乂こうがいもとめをさん。いわんや今の民みちびかるるく、したがわず、迪かれずんば、すなわせいくにきをや。

王は言われた。「封よ、明らかに民を幸福と安寧へ導こうとするなら、私はこのいんの先の賢明けんめいな王たちの徳をもって、民を安んじ治め、それを模範もはんとして求めよう。まして今の民が導かれることなく、(正しい政に)従わず、導かれもしないのであれば、その国に政(まつりごと)が行われているとはいえない。(それだけに、なおさら徳による教化に努めねばならない。)」

第五節 結語

王曰、封、予惟不可不監、告汝德之說于罰之行。今惟民不靜、未戾厥心、迪屢未同、爽惟天其罰殛我、我其不怨。惟厥罪無在大、亦無在多、矧曰其尚顯聞于天。

王曰わく、封よ、われかんがみざるべからず、なんじとくせつばつおこないにげん。今たみしずかならず、未だこころどめず、みちびくことしばしばにして未だおなじからず、あきらかに惟れてん其れ我を罰殛ばっきょくすとも、我其れうらみず。惟れ厥のつみ大なるにること無く、また多きに在ること無し、いわんや其れあらわれて天に聞こえんをや。

王は言われた。「封よ、私はよくよく鑑みなければならない、そなたに徳の説くところを、刑罰けいばつの実行にあたって告げよう。今、民はまだ落ち着かず、その心はまだ定まらず、たびたび導いてもまだ一つにまとまらない、たとえ天が明らかに私を罰し滅ぼされようとも、私はそれを怨みはしない。罪というものは、それが大きいかどうかによるのでもなく、また多いかどうかによるのでもない、まして罪の性質がはっきりと天に聞こえるようなものであれば、なおのことである。」

王曰、嗚呼、封、敬哉。無作怨、勿用非謀非彝蔽時忱。丕則敏德、用康乃心、顧乃德、遠乃猷、裕乃以、民寧、不汝瑕殄。

王曰わく、嗚呼ああ、封よ、つつしめや。うらみをすことなかれ、非謀非彝ひぼうひいもちいてまことおおうことなかれ。おおいにすなわとくさとくし、もっなんじこころやすんじ、乃の徳をかえりみ、乃のみちを遠くし、乃をもちうるをゆたかにせよ、たみやすんじ、汝を瑕殄かてんせざらん。

王は言われた。「ああ、封よ、慎め。怨みを生じさせることなく、間違った計略や道理に外れたことを用いて、その誠実さを覆い隠すことのないように。大いに徳に敏くあり、それによってそなたの心を安んじ、そなたの徳を省み、そなたの計画を遠く見通し、そなたの人の用い方を豊かにせよ。そうすれば民は安らかになり、そなたを損ない絶やすことはないだろう。」

王曰、嗚呼、肆汝小子封。惟命不于常、汝念哉。無我殄享、明乃服命、高乃聽、用康乂民。

王曰わく、嗚呼ああゆえなんじ小子封しょうしほうよ。めいつねいてせず、なんじおもえや。われをしてきょうたしむるなかれ、なんじ服命ふくめいあきらかにし、乃のちょうたかくして、もって民を康乂こうがいにせよ。

王は言われた。「ああ、それゆえ若い封よ。天命てんめいは一つの家系に定まったものではない、心せよ。私に与えられたこの恵み(天命てんめい)を絶やすことのないように、そなたの職務を明らかにし、よく耳を高くして(民の声を)聴き、それによって民を安んじ治めよ。」

王若曰、往哉、封、勿替敬、典聽朕告、汝乃以殷民世享。

王若かく曰わく、けや、封よ、けいすたうることなかれ、ちんげをつねき、なんじすなわ殷民いんみんもっよよけよ。

王はまたこう仰せられた。「行くがよい、封よ、敬いの心を廃れさせることなく、私の告げたことを常に聴き、そなたはいんの民とともに、代々にわたってこの地を享(う)け治めよ。」

③ 酒誥(しゅこう)

殷が酒に溺れて滅んだことを戒めとし、康叔に禁酒の令を発した篇。現存する中国最古の禁酒令として知られる。

王若曰、明大命于妹邦。乃穆考文王、肇國在西土。厥誥毖庶邦庶士、越少正御事、朝夕曰、祀茲酒。惟天降命、肇我民、惟元祀。天降威、我民用大亂喪德、亦罔非酒惟行。越小大邦用喪、亦罔非酒惟辜。

王若かく曰わく、大命たいめい妹邦ばいほうに明らかにす。なんじ穆考ぼくこう文王ぶんおう、国を西土せいどはじむ。庶邦庶士しょほうしょし少正御事しょうせいぎょじとに誥毖こうひして、朝夕ちょうせきに曰わく、さけまつれ、と。てんめいくだし、我がたみはじむるに、惟れ元祀げんしを以てす。天威てんいを降すに、我が民用もって大いに乱れとくうしなうも、亦酒さけを行うにあらざるし。小大しょうだいくにえて用てほろぶるも、亦酒をつみとせざるに非ず。

王はこう仰せられた。「大いなる命を妹邦(衛)に明らかにせよ。そなたの父・文王ぶんおうは、西の地に国を築かれた。文王ぶんおうは多くの国々の士人しじんや、下級官吏かんり、政務担当者に告げ戒め、朝な夕なにこう仰せられた。『祭祀さいしの際にのみこの酒を用いよ』と。天が命を降し、我が民を初めて興されたときも、ただ大いなる祭祀さいしのためにのみ酒を用いさせられた。天が威罰を降されるとき、我が民が大いに乱れ徳を失うのも、酒を用いることが原因でないことはない。大小あらゆる国が滅びるのも、酒を罪の原因としないことはない。」

文王誥教小子有正有事、無彝酒。越庶國、飲惟祀、德將無醉。惟曰我民迪小子惟土物愛、厥心臧。聰聽祖考之彝訓、越小大德、小子惟一。

文王誥教こうきょうして小子しょうしの正有り事有る者に、彝酒いしゅすること無かれ、と。庶国しょこくえて、飲むは惟れまつりのみ、とくまさうこと無かるべし。惟れ我がたみ小子をみちびくに惟れ土物どぶつあいせしむれば、こころしと曰う。さと祖考そこう彝訓いくんき、小大しょうだいとくえて、小子惟れいつにせよ。

文王ぶんおうは若い官吏かんりたちに教え告げられた。『常に酒を飲むことのないように。多くの国々においても、飲酒は祭祀さいしの時に限り、徳ある者は酔うことがないようにせよ』と。我が民が若者たちを導くにあたって、ただ土地の産物を大切にさせれば、その心は善くなると言われた。祖先そせんの常なる教えを聡く聴き、大小のあらゆる徳目を越えて、若者たちはただ心を一つにせよ。」

王曰、封、我聞惟曰、在昔殷先哲王迪畏天顯小民、經德秉哲。自成湯咸至于帝乙、成王畏相惟御事、厥棐有恭、不敢自暇自逸、矧曰其敢崇飲。越在外服、侯甸男衛邦伯、越在內服、百僚庶尹惟亞惟服宗工越百姓里居、罔敢湎于酒。不惟不敢、亦不暇、惟助成王德顯越、尹人祗辟。

王曰わく、封よ、我聞くにれ曰わく、むかしりていん先哲王せんてつおう天顕てんけん迪畏てきい小民しょうみんを、とくてつる。成湯せいとうよりみな帝乙ていいつに至るまで、成王せいおう畏相いそうして惟れ御事ぎょじす、たすくることきょう有り、敢えて自らいとませず自らいつせず、いわんや其れ敢えていんあがむと曰わんや。外服がいふくに在るをえて、侯甸男衛邦伯こうでんだんえいほうはく内服ないふくに在るを越えて、百僚庶尹ひゃくりょうしょいん惟れ亜惟れ服宗工ふくそうこう百姓里居ひゃくせいりきょと、敢えてさけおぼるるし。惟れ敢えてせざるのみならず、亦暇いとまあらず、惟れおうとくあらわるるをたすよび、尹人いんじんきみつつしむ。

王は言われた。「封よ、私はこう聞いている。昔、いんの先の賢明けんめいな王たちは、天の道理を畏れ導き、下々の民に対しては、徳を修め知恵を保たれた。成湯せいとうより帝乙ていいつに至るまで、その代々の王は畏れ助けを受けて政務を執り行い、その補佐ほさ役たちは恭しくよく助け、あえて自分だけの暇や安逸あんいつをむさぼることなく、まして酒を崇めるようなことなど、あろうはずがなかった。国外の諸侯しょこうたちから、国内の多くの役人、上級官吏かんり、下級官吏かんり、そして庶民に至るまで、あえて酒に溺れる者はいなかった。それはあえてしなかっただけでなく、その暇もなかったのであり、ただ王の徳が明らかになるのを助け、役人たちも君主を敬っていたのである。」

我聞亦惟曰、在今後嗣王酣身、厥命罔顯于民、祗保越怨不易。誕惟厥縱淫佚于非彝、用燕喪威儀、民罔不衋傷心。惟荒腆于酒、不惟自息乃逸、厥心疾很、不克畏死。辜在商邑、越殷國滅、無罹。弗惟德馨香祀、登聞于天、誕惟民怨、庶群自酒、腥聞在上。故天降喪于殷、罔愛于殷、惟逸。天非虐、惟民自速辜。

我聞くにまた惟れ曰わく、今の後嗣王(こうしおう、紂王)たけなわにするにりて、めいたみあらわれず、つつしんでたもちてうらみをえず。おおいに惟れ厥のほしいまま非彝ひい淫佚いんいつし、用てえんもて威儀いぎうしない、民衋げきとして心をいためざるし。惟れさけ荒腆こうてんし、惟れ自らいつめず、厥の心疾很しつごんにして、おそるるあたわず。つみ商邑しょうゆうに在り、殷国いんこくの滅ぶにおよぶも、うれうる無し。とく馨香けいこうまつりの、てん登聞とうぶんするをおもわず、誕いに惟れたみうらみ、庶群しょぐんさけほしいままにし、せいかみきこゆ。ゆえ天殷いんそうくだし、殷をあいする罔く、惟れいつす。天虐ぎゃくあらず、惟れたみ自らつみまねけり。

「私はまたこうも聞いている。今の後継ぎの王(ちゅう)は酒に身を任せ、その命令は民に対して明らかにならず、ただ自らの享楽きょうらくを守り続けて怨みを買っても改めようとしなかった。大いに勝手気ままに道理に外れたことに耽り、酒宴のために威儀いぎを失い、民の中に心を痛めぬ者はいなかった。ただ酒に溺れふけり、自らの安逸あんいつをやめようとせず、その心は病み荒み、死をも恐れなくなった。罪はしょうの都にあり、それがいん国の滅亡にまで及んでも、彼はそれを憂うことがなかった。徳の馨しい香りの祭祀さいしが天にまで届くことを思わず、大いに民の怨みを買い、多くの者が酒を勝手気ままにし、その生臭さが天にまで聞こえるほどであった。それゆえ天はいんに滅亡を降し、いんを愛されず、ただ安逸あんいつに流れたのである。天が暴虐ぼうぎゃくだったのではない、ただ民が自ら罪を招いたのだ。」

王曰、封、予不惟若茲多誥。古人有言曰、人無于水監、當于民監。今惟殷墜厥命、我其可不大監撫于時。予惟曰、汝劼毖殷獻臣、侯甸男衛、矧太史友內史友、越獻臣百宗工、矧惟爾事服休服采、矧惟若疇圻父薄違、農父若保、宏父定辟、矧汝剛制于酒。厥或誥曰、群飲、汝勿佚、盡執拘以歸于周、予其殺。

王曰わく、封よ、われかくごと多誥たこうせずんばあらず。古人こじんげん有りて曰わく、ひとみずかんがみる無く、まさたみに監みるべし、と。今惟れいんめいとす、我其れ大いにこれ監撫かんぶせざるべけんや。予惟れ曰わく、なんじいん献臣けんしん侯甸男衛こうでんだんえい劼毖きつひせよ、いわんや太史友たいしゆう内史友ないしゆうおよ献臣百宗工けんしんひゃくそうこう、矧んや惟れなんじこと服休服采ふくきゅうふくさい、矧んや惟れ若疇じゃくちゅう圻父薄違きふはくい農父若保のうほじゃくほ宏父定辟こうほていへき、矧んや汝剛ごうさけせいせよ、と。あるいげて曰わば、群飲ぐんいんす、と。なんじいっすることかれ、ことごと執拘しっこうして以てしゅうかえらしめよ、予其れころさん、と。

王は言われた。「封よ、私はこのように多くを告げねばならない。昔の人はこう言った、『人は水を鏡とするのではなく、民の姿を鏡とすべきである』と。今、いんはその天命てんめいを失った、我らは大いにこれを鑑として戒めなければならないのではないか。私はこう言おう。そなたはいんの登用された臣下たち、諸侯しょこうたちを厳しく戒めよ、まして太史や内史の同僚たち、登用された臣下や多くの重臣たちはなおのこと、まして休息や耕作に従事する者たちはなおのこと、まして辺境や農政、都市造営を司る役人たちはなおのこと、まして酒については断固として制するべきである、と。もし『集団で酒を飲んでいる者がいる』という報告があれば、そなたは見逃すことなく、ことごとく捕らえて周に連れ帰らせよ、私はこれを処刑しよう。」

又惟殷之迪諸臣惟工、乃湎于酒、勿庸殺之、姑惟教之。有斯明享、乃不用我教辭、惟我一人弗恤弗蠲、乃事時同于殺。王曰、封、汝典聽朕毖、勿辯乃司民湎于酒。

またいんみちびける諸臣しょしんこうすなわさけおぼれば、これを殺すことかれ、しばらく之を教えよ。明享めいきょう有らば、乃ち我が教辞きょうじを用いずんば、惟れ我一人いちにんうれえずきよめず、乃のことときさつに同じかるべし。王曰わく、封よ、なんじつねちんいましめを聴き、乃のつかさたみ酒に湎るるをべんずること勿かれ。

「また、いんから周に仕えるようになった臣下や職人たちが、酒に溺れているならば、これを殺すことなく、しばらくは教え諭すがよい。彼らがこの教えを聞いて改まる兆しがあればよいが、もし私の教えの言葉に従わないならば、私は決してこれを見過ごし赦すことはせず、その罪は死刑と同等に扱うべきである。」王は言われた。「封よ、そなたは常に私のこの戒めを聴き、そなたの管轄する民が酒に溺れることについて、言い逃れを許すことのないように。」

④ 梓材(しざい)

木材を用いて器を作る比喩を用いて、康叔に民を慈しみ育てる統治のあり方を説いた篇。

王曰、封、以厥庶民暨厥臣達大家、以厥臣達王、惟邦君。汝若恒越曰、我有師師、司徒司馬司空、尹旅。曰、予罔厲殺人。亦厥君先敬勞、肆徂厥敬勞。肆往、姦宄殺人歷人、宥。肆亦見厥君事、戕敗人、宥。王啟監、厥亂為民。曰、無胥戕、無胥虐、至于敬寡、至于屬婦、合由以容。

王曰わく、封よ、庶民しょみんと厥のしんとを以て大家たいかたっし、厥の臣を以ておうに達するは、邦君ほうくんなり。なんじつねえて曰わば、我に師師しし有り、司徒しと司馬しば司空しくう尹旅いんりょあり、と。曰わく、われはげしく人を殺すことし、と。また厥のきみ先ずつつしんでろうし、ついに厥の敬労けいろうく。肆にきて、姦宄殺人歴人かんきさつじんれきじんも、ゆるす。肆に亦厥の君のことて、戕敗人しょうはいじんも、宥す。王監かんひらき、らんたみためにす。曰わく、そこなうこと無く、胥いしいたぐること無く、敬寡けいかに至るまで、属婦ぞくふに至るまで、わせりて以てれよ、と。

王は言われた。「封よ、庶民とその臣下の声を大夫たちに届け、臣下の声を王にまで届けるのは、諸侯しょこうの役目である。もしそなたが常に越権して『私には多くの官吏かんりがいる、司徒・司馬・司空、尹や旅がいる』と言い、『私は激しく人を殺すことはない』と言うならば、その君主(そなた)はまず敬い慎んで労苦し、その敬いと労苦に赴くべきである。赴いた先で、悪事を働いた者や殺人者、他国から来た罪人であっても、寛大に扱うべきである。またその君主の政務を見て、人を傷つけ害した者であっても、寛大に扱うべきである。王は監督の道を開き、その乱れを民のために治める。互いに傷つけ合うことなく、互いに虐げ合うことなく、身寄りのない者から、家族に連なる女性に至るまで、皆を包み込んで受け入れよ、と仰せになった。」

王其效邦君越御事、厥命曷以。引養引恬。自古王若茲監、罔攸辟。惟曰、若稽田、既勤敷菑、惟其陳修、為厥疆畎。若作室家、既勤垣墉、惟其塗塈茨。若作梓材、既勤樸斫、惟其塗丹雘。

王其邦君ほうくん御事ぎょじとにならわしむるに、めいなにもってせん。きてやしない引きてやすんず。いにしえより王茲かくごとかんがみ、くるところし。れ曰わく、でんかんがうるが若く、すでに勤めて敷菑ふしするも、惟れ其の陳修ちんしゅうして、厥の疆畎きょうけんつくる。室家しっかを作るが若く、既に勤めて垣墉えんようするも、惟れ其の塗塈茨ときしす。梓材しざいを作るが若く、既に勤めて樸斫ぼくしゃくするも、惟れ其の丹雘たんかくる。

「王が諸侯しょこうや政務担当者たちに手本を示すには、どのような命によればよいだろうか。それは民を導き養い、導き安んじることである。いにしえより王はこのように民を鑑み、これを分け隔てることはなかった。たとえば田畑を耕すようなものだ、すでに勤めて土地を切り開いても、さらにこれを整え耕して、その畦や溝を作らねばならない。家を建てるようなものだ、すでに勤めて壁を築いても、さらにこれに壁土を塗り屋根を葺かねばならない。梓の木で器を作るようなものだ、すでに勤めて材木を削っても、さらにこれに朱塗りの彩色を施さねばならない。」

今王惟曰、先王既勤用明德、懷為夾、庶邦享、作兄弟、方來亦既用明德。后式典集、庶邦丕享。皇天既付中國民越厥疆土于先王。肆王惟德用、和懌先後迷民、用懌先王受命。已、若茲監、惟曰、欲至于萬年、惟王子子孫孫永保民。

今王惟れ曰わく、先王せんおう既に勤めて明徳めいとくを用い、なつけてさしはさむとし、庶邦しょほうきょうし、兄弟けいていし、方来ほうらいも亦既に明徳を用う。きみもっ典集てんしゅうし、庶邦丕おおいに享す。皇天こうてん既に中国ちゅうごくたみ疆土きょうどとを先王にさずく。ついに王惟れ徳を用い、迷民めいみん先後せんこうして和懌わえきし、用て先王のめいを受くるをよろこぶ。ああくのごとかんがみは、惟れ曰わく、万年ばんねんに至らんことを欲す、惟れおう子子孫孫ししそんそん永くたみを保たん、と。

今、王はこう仰せられた。「先王方はすでに努めて明らかな徳を用い、民を慈しんでこれを守り抱くようにし、多くの国々はこれに応え、兄弟のように結ばれ、遠方から来る者たちもすでにその明らかな徳を身に受けている。君主はこうして法度を集め整え、多くの国々は大いに応じている。偉大いだいな天はすでに中原ちゅうげんの民とその領土とを先王方にお授けになった。それゆえ王はただ徳を用い、道に迷える民を先立ち導き和ませ、それによって先王の受けられた天命てんめいを喜ばれる。ああ、このように民を鑑みることは、まさに『万年の後にまで至ることを願い、王の子々孫々が永く民を保っていくように』ということなのだ。」