召誥・洛誥 ――洛邑の造営
召誥・洛誥は、周公が東方に新都・洛邑(成周)を造営した経緯を記す2篇です。特に洛誥は、専門の研究者からも「尚書中最も読み解きにくい篇」と評されるほど難解で、成王と周公の対話の時系列や話者の切り替わりが錯綜しています。今回は、原文が確認できた範囲で、造営の経緯と両者の対話の主要部分を収めました。全文の完全な逐語訳ではなく、主要な流れを追った抜粋であることをご了承ください。
惟れ太保周公に先んじて宅を相るに、越れ来る三月に若り、惟れ丙午朏す。越えて三日戊申、太保朝に洛に至り、宅を卜す。厥れ既に卜を得て、則ち経営す。越えて三日庚戌、太保乃ち庶殷を以て位を洛汭に攻む。越えて五日甲寅、位成る。翼日乙卯に若り、周公朝に洛に至り、則ち達く新邑の営を観る。越えて三日丁巳、牲を郊に用いる、牛二。翼日戊午に越えて、乃ち社を新邑に行う、牛一・羊一・豕一。越えて七日甲子、周公乃ち朝に書を用いて庶殷・侯甸男邦伯に命ず。厥れ既に殷庶に命じて、庶殷丕いに作る。
太保(召公)が周公より先に地相を見るために赴き、やがて三月となり、丙午の日に新月が現れた。三日後の戊申の日、太保は朝に洛の地に至り、住むべき場所を占った。占いの結果を得ると、造営に取りかかった。三日後の庚戌の日、太保は殷の遺民たちを率いて、洛水の湾曲部に建物の位置を定めた。五日後の甲寅の日、位置が定まった。翌日の乙卯の日、周公が朝に洛の地に至り、あまねく新都の造営の様子を視察した。三日後の丁巳の日、郊外で天を祀る儀式に牛二頭を用いた。翌日の戊午の日、新都で土地の神を祀る儀式を行い、牛一頭・羊一頭・豚一頭を用いた。七日後の甲子の日、周公は朝に文書をもって、殷の遺民や諸侯たちに命令を下した。殷の民衆に命令が下されると、彼らは大いに造営に取りかかった。
太保乃ち庶邦の冢君を以て出でて幣を取り、乃ち復入りて周公に錫る。曰わく、手を拝し首を稽し、王と公とを旅す。庶殷に誥告し、乃の御事に越ぶ。嗚呼、皇天上帝、厥の元子茲の大国殷の命を改む。惟れ王命を受くれば、無疆の休、亦無疆の恤なり。嗚呼、曷ぞ其れ奈何ぞ敬まざらん。天既に大邦殷の命を遐く終えしめしも、茲の殷多くの先哲王天に在りて、厥の後王・後民に越び、茲に厥の命厥の終わりに服す、智蔵(かく)れて瘝在り。
太保はそこで多くの国々の君主たちと共に外に出て貢物を取り、再び入って周公に献上した。太保は言った。「両手を合わせ頭を下げ、王と公とを称え申し上げます。殷の遺民たちに告げ、そなたら政務担当者にまで及ぼしましょう。ああ、偉大な天と上帝は、その長子であったこの大国・殷の天命をお改めになりました。王が天命を受けられたことは、限りない喜びであると同時に、限りない憂いでもあります。ああ、どうして敬わずにいられましょうか。天はすでに大国・殷の命運を遠く終わらせられましたが、この殷の多くの先の賢明な王たちの霊は天にあって、その後の王や民の運命を見守り、その天命の終わりを甘んじて受け入れました。しかし賢者は隠れ、病弊だけが残っております。」
嗚呼、天も亦四方の民を哀れみ、其れ命を眷みて用て懋む、王其れ疾く徳を敬め。古の先民夏を相るに、天迪きて子を従え保んじ、面く天の若うを稽うるに、今時既に厥の命を墜とせり。今殷を相るに、天迪きて格り保んじ、面く天の若うを稽うるに、今時既に厥の命を墜とせり。今沖子嗣ぐ、則ち壽耇を遺(す)つる無かれ、其れ我が古人の徳を稽えよと曰う、矧んや其れ能く謀を天より稽うる有りと曰わんや。嗚呼、王小なりと雖も、元子なるかな、其れ丕いに小民に諴う能わば、今休ならん。王敢えて後れず、用て民の碞を顧畏せよ。王来りて上帝に紹ぎ、自ら土中に服せよ。
「ああ、天もまた四方の民を哀れみ、その天命を顧みて努められる、王よどうか速やかに徳を敬われますように。いにしえの夏の民を見るに、天はこれを導き、子孫を従わせ安んじられましたが、天の従うところをつぶさに考えれば、今やその天命はすでに失われております。今、殷を見るに、天はこれを導き至らせ安んじられましたが、今やその天命もすでに失われております。今、幼い若君が跡を継がれるにあたり、年老いた賢者たちを見捨てることなく、我らいにしえの人々の徳を考えるべきです、まして天から謀りごとを考える力のある者があるとは、なおのこと言い難いことでしょう。ああ、王はまだ幼くとも、天の長子であられます、大いに小民たちの心にかなうことができれば、今こそ善き時となりましょう。王はあえて遅れることなく、民の心の険しさを顧み畏れられますように。王が来られて上帝の後を継ぎ、自らこの国土の中央にお住まいくださいますように。」
旦(たん、周公)曰わく、其れ大邑を作り、其れ時自り皇天に配し、上下に毖祀し、其れ時自り中に乂まらん。王厥れ成命有りて、民を治むれば、今休ならん。王先ず殷の御事を服せしめ、我が有周の御事に比介せしめよ。性を節すれば、惟れ日に其れ邁まん。王敬んで所を作れば、徳を敬まざるべからず。
周公は言った。「この大都市を築けば、これによって偉大な天にお応えし、天地の神々を謹んでお祀りし、これによって国の中心が治まりましょう。王がその天命を完成させ、民を治められれば、今こそ善き時となりましょう。王はまず殷の政務担当者たちを服させ、我が周の政務担当者たちと共に働かせてください。本性を節度あるものにすれば、日々進歩していくでしょう。王が慎んでこの都を築かれるならば、徳を敬わないわけにはまいりません。」
周公手を拝し首を稽して曰わく、朕子(し、成王)に明辟を復さん。王如し敢えて天の基命定命に及ばずんば、予乃ち胤保し、大いに東土を相て、其れ民の明辟と作ることを基とせん。予惟れ乙卯、朝に洛師に至る。我河朔の黎水を卜し、我乃ち澗水の東・瀍水の西を卜するに、惟れ洛食す。我又瀍水の東を卜するに、亦惟れ洛食す。伻い来たりて、図及び献卜を以てす。
周公は両手を合わせ頭を下げて言った。「私は今、あなたに明君としての政を返上いたします。もしあなたがまだ天の定められた大業を担う自信がおありでなければ、私が引き続きお守りし、大いに東の地を見定めて、民のために明君となる基礎を築いてまいりましょう。私はかつて乙卯の日、朝に洛の地に至りました。私は黄河の北の黎水のあたりを占いましたが、次に澗水の東・瀍水の西を占うと、洛の地が吉と出ました。さらに瀍水の東を占っても、やはり洛の地が吉と出ました。そこで使者を遣わし、地図と占いの結果とを献上いたしました。」
王手を拝し首を稽して、曰わく、公敢えて天の休を敬まざるにあらず、来たりて宅を相て、其れ周の匹休と作す。公既に宅を定め、伻い来たりて、来たりて予が卜の休を視す、恒に吉なり。我二人共に貞なり。公其れ予と万億年天の休を敬わん、手を拝し首を稽して誨言す。
王は両手を合わせ頭を下げて言った。「公はあえて天の恵みを敬われないわけではなく、自ら赴いて地相を見られ、それによって周の吉祥をお示しくださいました。公はすでに住むべき地をお定めになり、使者を遣わして私に占いの吉兆をお示しくださいました、それは常に吉であります。私たち二人はともにその正しさを共有しております。公とともに、私は万年にわたって天の恵みを敬いましょう。」王は両手を合わせ頭を下げて、周公の教えの言葉に応えた。
周公曰わく、王肇めて殷の礼を称え、新邑に祀るに、咸秩ありて文無し。予百工を斉え、伻いて王を周に従わしむ。予惟れ曰わく、庶わくば事有らんことを、と。今王即きて命じて曰わく、功宗を記し、功を以て元祀と作せ、と。惟れ命じて曰わく、汝命を受くること篤弼なり。丕いに功載を視て、乃其れ悉く自ら工を教えよ。孺子其れ朋にせよ、孺子其れ朋にせよ、其れ往け。火の始め燄燄として、厥の灼く攸敘して其れ絶えざるが若くすること無かれ。
周公は言った。「王が初めて殷の礼を称え、新都で祭祀を行われたとき、すべてが秩序正しく行われ、余計な虚飾はございませんでした。私は多くの官吏たちを整え、彼らを遣わして王に周において従わせております。私はただ『どうか成すべき事業が現れますように』と願っておりました。今、王は即位されて命じ、『功績ある者たちを記録し、その功績によって最初の祭祀を行え』と仰せられました。また『そなたは天命を受けて篤く補佐する者である』とも仰せになりました。大いに功績の記録を見て、そなたは自らすべての事業を教え導いてください。若君よ、共に力を合わせてください、若君よ、共に力を合わせてください、赴いてください。火が燃え始めたばかりのときのように勢いだけで、その燃え広がる勢いが順序を保たず絶えてしまうようなことのないように。」
王若曰わく、公明らかに予が沖子を保んず。公丕顕の徳を称え、予小子を以て文武の烈を揚げしめ、天命を奉答し、四方の民を和恒にし、師に居らしむ。宗を惇くして礼を将い、元祀を称秩し、咸秩ありて文無し。惟れ公の徳明らかに上下に光を放ち、四方に勤め施し、旁く穆穆として衡を迓え、文武の勤教に迷わず。予沖子夙夜祀を毖まん。王曰わく、公の功棐迪篤にして、時に若わざる罔し。王曰わく、公よ、予小子其れ退き、周に辟き、公に後を命ぜん。
王はこう仰せられた。「公は明らかに私のような未熟な者を安んじてくださいます。公は大いなる明らかな徳を称え、この私を通じて文王・武王の功業を広め、天命に応え、四方の民を和らげ安んじ、この都に住まわせてくださいました。祖廟を篤く敬い礼を行い、最初の祭祀を執り行い、すべてが秩序正しく虚飾がございませんでした。公の徳は上下に明らかに光を放ち、四方に努め施され、あまねく穏やかに調和をお迎えになり、文王・武王の勤勉な教えに迷うことがありません。この私も朝な夕なに祭祀を慎んでまいりましょう。」王はまた言われた。「公の功績は誠実に人々を導かれ、これに従わぬ者はございません。」王は言われた。「公よ、この私は退いて、周の都に留まり、公にその後を託しましょう。」
戊辰、王新邑に在りて烝す、歳を祭る、文王に騂牛一、武王に騂牛一なり。王作冊逸に命じて冊を祝せしめ、惟れ公の其の後を告げしむ。王賓殺禋して咸格り、王太室に入りて裸す。王周公の後を命じ、作冊逸誥ぐ、十有二月に在り。惟れ周公誕いに文武の受命を保つこと、惟れ七年なり。
戊辰の日、王は新都において冬の大祭を行い、年ごとの祭祀を執り行った。文王には赤毛の牛一頭、武王には赤毛の牛一頭を供えた。王は史官の作冊逸に命じて祝詞の冊書を読ませ、周公にその後継の任を告げさせた。王は賓客として牲を屠り祭祀を行うと、皆が集まり、王は太廟の奥の間に入って鬯酒を地に注ぐ祭りを行った。王が周公にその後継の任を命じたのは、十二月のことであった。周公が大いに文王・武王の受けられた天命をお守りしたのは、実に七年にわたることであった。