書経 周書(五)

召誥・洛誥 ――洛邑の造営

【重要】この読本の性格について

召誥・洛誥は、周公が東方に新都・洛邑(成周)を造営した経緯を記す2篇です。特に洛誥は、専門の研究者からも「尚書中最も読み解きにくい篇」と評されるほど難解で、成王と周公の対話の時系列や話者の切り替わりが錯綜しています。今回は、原文が確認できた範囲で、造営の経緯と両者の対話の主要部分を収めました。全文の完全な逐語訳ではなく、主要な流れを追った抜粋であることをご了承ください。

① 召誥(しょうこう)

成王が洛邑への遷都を望み、召公が先に赴いて地相を見、周公が造営を進める。太保・召公が新都の地で成王に長文の訓戒を捧げる。

惟太保先周公相宅、越若來三月、惟丙午朏。越三日戊申、太保朝至于洛、卜宅。厥既得卜、則經營。越三日庚戌、太保乃以庶殷攻位于洛汭。越五日甲寅、位成。若翼日乙卯、周公朝至于洛、則達觀于新邑營。越三日丁巳、用牲于郊、牛二。越翼日戊午、乃社于新邑、牛一羊一豕一。越七日甲子、周公乃朝用書命庶殷侯甸男邦伯。厥既命殷庶、庶殷丕作。

太保たいほ周公しゅうこうに先んじてたくるに、きた三月さんがついたり、惟れ丙午へいごす。えて三日みっか戊申ぼしん太保朝あしたらくに至り、たくぼくす。れ既に卜を得て、則ち経営けいえいす。越えて三日庚戌こうじゅつ太保乃すなわ庶殷しょいんを以てくらい洛汭らくぜいおさむ。越えて五日甲寅こういん位成る。翼日乙卯よくじついつぼういたり、周公朝に洛に至り、則ちあまね新邑しんゆうえいる。越えて三日丁巳ていしせいこうに用いる、牛二ぎゅうに翼日戊午よくじつぼごに越えて、乃ちしゃを新邑に行う、牛一ぎゅういち羊一よういち豕一しいち。越えて七日甲子こうし、周公乃ち朝にしょを用いて庶殷しょいん侯甸男邦伯こうでんだんほうはくに命ず。厥れ既に殷庶いんしょに命じて、庶殷丕おおいにおこる。

太保(召公)が周公より先に地相を見るために赴き、やがて三月となり、丙午の日に新月が現れた。三日後の戊申の日、太保は朝に洛の地に至り、住むべき場所を占った。占いの結果を得ると、造営に取りかかった。三日後の庚戌の日、太保は殷の遺民たちを率いて、洛水の湾曲部に建物の位置を定めた。五日後の甲寅の日、位置が定まった。翌日の乙卯の日、周公が朝に洛の地に至り、あまねく新都の造営の様子を視察した。三日後の丁巳の日、郊外で天を祀る儀式に牛二頭を用いた。翌日の戊午の日、新都で土地の神を祀る儀式を行い、牛一頭・羊一頭・豚一頭を用いた。七日後の甲子の日、周公は朝に文書をもって、殷の遺民や諸侯たちに命令を下した。殷の民衆に命令が下されると、彼らは大いに造営に取りかかった。

太保乃以庶邦冢君出取幣、乃復入錫周公。曰、拜手稽首、旅王若公。誥告庶殷、越自乃御事。嗚呼、皇天上帝、改厥元子茲大國殷之命。惟王受命、無疆惟休、亦無疆惟恤。嗚呼、曷其奈何弗敬。天既遐終大邦殷之命、茲殷多先哲王在天、越厥後王後民、茲服厥命厥終、智藏瘝在。

太保たいほ乃ち庶邦しょほう冢君ちょうくんを以てでてへいを取り、乃ちまた入りて周公にたてまつる。曰わく、はいこうべけいし、おうこうとをす。庶殷しょいん誥告こうこくし、なんじ御事ぎょじおよぶ。嗚呼ああ皇天上帝こうてんじょうてい元子げんし大国殷だいこくいんめいあらたむ。王命めいを受くれば、無疆むきょうきゅうまた無疆のじゅつなり。嗚呼、なんぞ其れ奈何いかんつつしまざらん。天既に大邦殷だいほういんの命をとおく終えしめしも、茲の殷多くの先哲王せんてつおう天にりて、厥の後王こうおう後民こうみんおよび、茲に厥の命厥の終わりにふくす、蔵(かく)れてかん在り。

太保はそこで多くの国々の君主たちと共に外に出て貢物を取り、再び入って周公に献上した。太保は言った。「両手を合わせ頭を下げ、王と公とを称え申し上げます。殷の遺民たちに告げ、そなたら政務担当者にまで及ぼしましょう。ああ、偉大な天と上帝は、その長子であったこの大国・殷の天命をお改めになりました。王が天命を受けられたことは、限りない喜びであると同時に、限りない憂いでもあります。ああ、どうして敬わずにいられましょうか。天はすでに大国・殷の命運を遠く終わらせられましたが、この殷の多くの先の賢明な王たちの霊は天にあって、その後の王や民の運命を見守り、その天命の終わりを甘んじて受け入れました。しかし賢者は隠れ、病弊だけが残っております。」

嗚呼、天亦哀于四方民、其眷命用懋、王其疾敬德。相古先民有夏、天迪從子保、面稽天若、今時既墜厥命。今相有殷、天迪格保、面稽天若、今時既墜厥命。今沖子嗣、則無遺壽耇、曰其稽我古人之德、矧曰其有能稽謀自天。嗚呼、有王雖小、元子哉、其丕能諴于小民、今休。王不敢後、用顧畏于民碞。王來紹上帝、自服于土中。

嗚呼ああ、天も亦四方しほうたみあわれみ、其れめいかえりみて用てつとむ、王其れとくつつしめ。いにしえ先民せんみんるに、天迪みちびきてしたがやすんじ、あまねく天のしたがうをかんがうるに、今時いま既にめいとせり。今殷いんを相るに、天迪きてきたり保んじ、面く天の若うを稽うるに、今時既に厥の命を墜とせり。今沖子ちゅうしぐ、則ち壽耇じゅこうを遺(す)つる無かれ、其れ我が古人こじんとくかんがえよと曰う、いわんや其れはかりごとを天よりかんがうる有りと曰わんや。嗚呼、王小しょうなりといえども、元子げんしなるかな、其れおおいに小民しょうみんかなう能わば、今休きゅうならん。王敢えておくれず、用てたみがん顧畏こいせよ。王来きたりて上帝じょうていぎ、自ら土中どちゅうふくせよ。

「ああ、天もまた四方の民を哀れみ、その天命を顧みて努められる、王よどうか速やかに徳を敬われますように。いにしえの夏の民を見るに、天はこれを導き、子孫を従わせ安んじられましたが、天の従うところをつぶさに考えれば、今やその天命はすでに失われております。今、殷を見るに、天はこれを導き至らせ安んじられましたが、今やその天命もすでに失われております。今、幼い若君が跡を継がれるにあたり、年老いた賢者たちを見捨てることなく、我らいにしえの人々の徳を考えるべきです、まして天から謀りごとを考える力のある者があるとは、なおのこと言い難いことでしょう。ああ、王はまだ幼くとも、天の長子であられます、大いに小民たちの心にかなうことができれば、今こそ善き時となりましょう。王はあえて遅れることなく、民の心の険しさを顧み畏れられますように。王が来られて上帝の後を継ぎ、自らこの国土の中央にお住まいくださいますように。」

旦曰、其作大邑、其自時配皇天、毖祀于上下、其自時中乂。王厥有成命、治民、今休。王先服殷御事、比介于我有周御事。節性、惟日其邁。王敬作所、不可不敬德。

旦(たん、周公)曰わく、其れ大邑たいゆうを作り、其れこれ皇天こうてんはいし、上下じょうげ毖祀ひしし、其れ時自りちゅうおさまらん。王厥成命せいめい有りて、たみおさむれば、今休きゅうならん。王先ずいん御事ぎょじふくせしめ、我が有周ゆうしゅうの御事に比介ひかいせしめよ。せいせっすれば、に其れすすまん。王敬つつしんでところを作れば、とくを敬まざるべからず。

周公は言った。「この大都市を築けば、これによって偉大な天にお応えし、天地の神々を謹んでお祀りし、これによって国の中心が治まりましょう。王がその天命を完成させ、民を治められれば、今こそ善き時となりましょう。王はまず殷の政務担当者たちを服させ、我が周の政務担当者たちと共に働かせてください。本性を節度あるものにすれば、日々進歩していくでしょう。王が慎んでこの都を築かれるならば、徳を敬わないわけにはまいりません。」

② 洛誥(らくこう)

洛邑の造営を終えた周公が成王に復命し、摂政の任を返上しようとするが、成王は周公になお留まって輔佐するよう請う。書経中もっとも難解とされる篇。

周公拜手稽首曰、朕復子明辟。王如弗敢及天基命定命、予乃胤保、大相東土、其基作民明辟。予惟乙卯、朝至于洛師。我卜河朔黎水、我乃卜澗水東瀍水西、惟洛食。我又卜瀍水東、亦惟洛食。伻來、以圖及獻卜。

周公手はいこうべけいして曰わく、ちん子(し、成王)に明辟めいへきかえさん。王如えててん基命定命きめいていめいに及ばずんば、われすなわ胤保いんほし、大いに東土とうどて、其れたみ明辟めいへきることをもといとせん。予惟乙卯いつぼうあした洛師らくしに至る。我河朔かさく黎水れいすいぼくし、我乃ち澗水かんすいひがし瀍水せんすい西にしを卜するに、惟れらくしょくす。我又瀍水の東を卜するに、亦惟れ洛食す。つかい来たりて、及び献卜けんぼくを以てす。

周公は両手を合わせ頭を下げて言った。「私は今、あなたに明君としての政を返上いたします。もしあなたがまだ天の定められた大業を担う自信がおありでなければ、私が引き続きお守りし、大いに東の地を見定めて、民のために明君となる基礎を築いてまいりましょう。私はかつて乙卯の日、朝に洛の地に至りました。私は黄河の北の黎水のあたりを占いましたが、次に澗水の東・瀍水の西を占うと、洛の地が吉と出ました。さらに瀍水の東を占っても、やはり洛の地が吉と出ました。そこで使者を遣わし、地図と占いの結果とを献上いたしました。」

王拜手稽首、曰、公不敢不敬天之休、來相宅、其作周匹休。公既定宅、伻來、來視予卜休、恆吉。我二人共貞。公其以予萬億年敬天之休、拜手稽首誨言。

王手はいこうべけいして、曰わく、こうえててんきゅうつつしまざるにあらず、来たりてたくて、其れしゅう匹休ひつきゅうす。公既に宅を定め、つかい来たりて、来たりてぼくきゅうしめす、つねきちなり。われ二人ににんともていなり。公其れわれ万億年まんおくねん天の休を敬わん、手を拝し首を稽して誨言かいげんす。

王は両手を合わせ頭を下げて言った。「公はあえて天の恵みを敬われないわけではなく、自ら赴いて地相を見られ、それによって周の吉祥をお示しくださいました。公はすでに住むべき地をお定めになり、使者を遣わして私に占いの吉兆をお示しくださいました、それは常に吉であります。私たち二人はともにその正しさを共有しております。公とともに、私は万年にわたって天の恵みを敬いましょう。」王は両手を合わせ頭を下げて、周公の教えの言葉に応えた。

周公曰、王肇稱殷禮、祀于新邑、咸秩無文。予齊百工、伻從王于周。予惟曰、庶有事。今王即命曰、記功宗、以功作元祀。惟命曰、汝受命篤弼。丕視功載、乃汝其悉自教工。孺子其朋、孺子其朋、其往。無若火、始燄燄、厥攸灼敘弗其絕。

周公曰わく、王肇はじめていんれいとなえ、新邑しんゆうまつるに、みなちつありてぶん無し。われ百工ひゃっこうそろえ、つかいて王をしゅうしたがわしむ。予惟れ曰わく、こいねがわくばこと有らんことを、と。今王即きて命じて曰わく、功宗こうそうし、こうを以て元祀げんしせ、と。惟れ命じて曰わく、なんじ命を受くること篤弼とくひつなり。おおいに功載こうさいて、なんじ其れことごとく自らこうを教えよ。孺子じゅし其れともにせよ、孺子其れ朋にせよ、其れけ。の始め燄燄えんえんとして、ところじょして其れ絶えざるがごとくすること無かれ。

周公は言った。「王が初めて殷の礼を称え、新都で祭祀を行われたとき、すべてが秩序正しく行われ、余計な虚飾はございませんでした。私は多くの官吏たちを整え、彼らを遣わして王に周において従わせております。私はただ『どうか成すべき事業が現れますように』と願っておりました。今、王は即位されて命じ、『功績ある者たちを記録し、その功績によって最初の祭祀を行え』と仰せられました。また『そなたは天命を受けて篤く補佐する者である』とも仰せになりました。大いに功績の記録を見て、そなたは自らすべての事業を教え導いてください。若君よ、共に力を合わせてください、若君よ、共に力を合わせてください、赴いてください。火が燃え始めたばかりのときのように勢いだけで、その燃え広がる勢いが順序を保たず絶えてしまうようなことのないように。」

王若曰、公明保予沖子。公稱丕顯德、以予小子揚文武烈、奉答天命、和恆四方民、居師。惇宗將禮、稱秩元祀、咸秩無文。惟公德明光于上下、勤施于四方、旁作穆穆迓衡、不迷文武勤教。予沖子夙夜毖祀。王曰、公功棐迪篤、罔不若時。王曰、公、予小子其退、即辟于周、命公後。

王若かく曰わく、こう明らかに沖子ちゅうしやすんず。公丕顕ひけんとくとなえ、予小子われしょうしを以て文武ぶんぶれつげしめ、天命てんめい奉答ほうとうし、四方しほうたみ和恒わこうにし、らしむ。そうあつくしてれいおこない、元祀げんし称秩しょうちつし、みなちつありてぶん無し。れ公のとく明らかに上下じょうげひかりを放ち、四方しほうに勤めほどこし、あまね穆穆ぼくぼくとしてこうむかえ、文武ぶんぶ勤教きんきょうまよわず。われ沖子ちゅうし夙夜しゅくやまつりつつしまん。王曰わく、公のこう棐迪篤ひてきとくにして、これしたがわざるし。王曰わく、公よ、予小子われしょうし其れ退しりぞき、しゅうき、公にあとを命ぜん。

王はこう仰せられた。「公は明らかに私のような未熟な者を安んじてくださいます。公は大いなる明らかな徳を称え、この私を通じて文王・武王の功業を広め、天命に応え、四方の民を和らげ安んじ、この都に住まわせてくださいました。祖廟を篤く敬い礼を行い、最初の祭祀を執り行い、すべてが秩序正しく虚飾がございませんでした。公の徳は上下に明らかに光を放ち、四方に努め施され、あまねく穏やかに調和をお迎えになり、文王・武王の勤勉な教えに迷うことがありません。この私も朝な夕なに祭祀を慎んでまいりましょう。」王はまた言われた。「公の功績は誠実に人々を導かれ、これに従わぬ者はございません。」王は言われた。「公よ、この私は退いて、周の都に留まり、公にその後を託しましょう。」

戊辰、王在新邑烝、祭歲、文王騂牛一、武王騂牛一。王命作冊逸祝冊、惟告公其後。王賓殺禋咸格、王入太室裸。王命周公後、作冊逸誥、在十有二月。惟周公誕保文武受命、惟七年。

戊辰ぼしん王新邑しんゆうりてじょうす、さいを祭る、文王ぶんおう騂牛せいぎゅういち武王ぶおうに騂牛一なり。王作冊逸さくさついつに命じてさくしゅくせしめ、れ公の其ののちを告げしむ。王賓ひん殺禋さついんしてみないたり、王太室たいしつに入りてらいす。王周公しゅうこうのちを命じ、作冊逸さくさついつぐ、十有二月じゅうゆうにがつに在り。惟れ周公誕おおいに文武ぶんぶ受命じゅめいたもつこと、惟れ七年しちねんなり。

戊辰の日、王は新都において冬の大祭を行い、年ごとの祭祀を執り行った。文王には赤毛の牛一頭、武王には赤毛の牛一頭を供えた。王は史官の作冊逸に命じて祝詞の冊書を読ませ、周公にその後継の任を告げさせた。王は賓客として牲を屠り祭祀を行うと、皆が集まり、王は太廟の奥の間に入って鬯酒を地に注ぐ祭りを行った。王が周公にその後継の任を命じたのは、十二月のことであった。周公が大いに文王・武王の受けられた天命をお守りしたのは、実に七年にわたることであった。