書経 周書(六)

多士・無逸・君奭

この読本について

洛邑に移された殷の遺臣たちへの訓戒(多士)、周公が成王に安逸を戒め歴代の聖王の在位年数を例に説いた篇(無逸)、そして周公が召公(奭)に共に周を支えようと語りかけた篇(君奭)――周初の政治思想を代表する3篇です。無逸は特に、為政者の心得を説いた古典として広く読まれてきました。

① 多士(たし)

洛邑が完成し、殷の遺臣(頑民)が移されたのち、周公が王命をもって彼らに訓戒した篇。

惟三月、周公初于新邑洛、用告商王士。王若曰、爾殷遺多士、弗弔旻天、大降喪于殷。我有周佑命、將天明威、致王罰、敕殷命終于帝。肆爾多士、非我小國敢弋殷命。惟天不畀允罔固亂、弼我、我其敢求位。惟帝不畀、惟我下民秉為、惟天明畏。

三月さんがつ、周公初めて新邑洛しんゆうらくいて、もっ商王士しょうおうしに告ぐ。王若かく曰わく、なんじいんのこれる多士たしよ、旻天びんてんとむらわず、大いにそうを殷にくだす。われ有周ゆうしゅう佑命ゆうめいたもち、てん明威めいいおこない、王罰おうばついたし、殷のめいちょくしてていわらしむ。ついに爾ら多士よ、我が小国しょうこく敢えて殷の命をるにあらず。惟れ天畀あたえず、まこと固乱こらんく、我をたすく、我其れ敢えてくらいを求めんや。惟れ帝畀えず、惟れ我が下民かみん秉為へいいす、惟れ天明畏めいいす。

三月、周公は初めて新都・洛の地において、殷の元役人たちに告げた。王(周公が代弁)はこう仰せられた。「そなたら殷の遺臣たちよ、偉大な天は殷を憐れまず、大いなる滅びを殷に降された。我ら周はその天の助けと命を受け、天の明らかな威光を執行し、王としての罰を下し、殷の天命を天帝によって終わらせられた。それゆえ、そなたら遺臣たちよ、我が小さき国があえて殷の天命を奪い取ったのではない。天がお与えにならなかったのであり、まことに乱れがあったからこそ、我らを助けられたのだ、我らがどうしてあえて自ら位を求めたりしようか。天帝がお与えにならなかったのであり、我が下々の民が力を発揮しただけのこと、それは天の明らかな畏るべき意志である。」

我聞曰、上帝引逸。有夏不適逸、則惟帝降格、嚮于時夏。弗克庸帝、大淫泆、有辭。惟時天罔念聞、厥惟廢元命、降致罰。乃命爾先祖成湯革夏、俊民甸四方。自成湯至于帝乙、罔不明德恤祀。亦惟天丕建、保乂有殷、殷王亦罔敢失帝、罔不配天其澤。在今後嗣王、罔顯于天、矧曰其有聽念于先王勤家。誕淫厥泆、罔顧于天顯民祗。惟時上帝不保、降若茲大喪。

我聞くに曰わく、上帝じょうていいつく、と。いつかざる有れば、則ち惟れ帝格かくを降し、の夏にむかう。ていもちうるあたわず、大いに淫泆いんいつにして、有り。惟れこの天念聞ねんぶんすることく、れ惟れ元命げんめいはいし、ばつ降致こうちす。すなわなんじ先祖成湯せんそせいとうに命じてあらため、俊民しゅんみん四方しほうおさめしむ。成湯せいとうより帝乙ていいつに至るまで、とくを明らかにしまつりうれえざるし。また惟れ天丕おおいにて、いん保乂ほがいし、殷王いんおうも亦敢えてていを失うこと罔く、天にはいせざること罔く其のたくあり。今の後嗣王こうしおうりては、天にあらわれざりき、いわんや其れ先王せんおう勤家きんか聴念ちょうねんする有りと曰わんや。おおいにいつふけり、天顕てんけん民祗みんしかえりみざりき。惟れこの上帝保やすんぜず、くのごとき大喪たいそうを降せり。

「私はこう聞いている。『上帝は安逸を長く許すことはない』と。夏が安逸に流れなかった間は、天帝は良き治世をもたらし、この夏に心を寄せられた。しかし夏の桀王が天帝の道を用いることができず、大いにみだらな安逸にふけり、口実ばかりを並べるようになった。それゆえこの天は思いも聞き入れることもなく、その大いなる天命を廃し、罰を降された。そこで、そなたらの先祖である成湯に命じて夏を改め、優れた人材に四方を治めさせられた。成湯より帝乙に至るまで、徳を明らかにし祭祀を大切にしない者はいなかった。天も大いにこれを建て、殷を保護し治められ、殷の王たちも天帝の意にあえて背くことなく、天にかなわぬことがなく、その恩沢を受けた。しかし今の後継ぎの王(紂)にあっては、その徳が天に明らかにならなかった、まして先王方が国家のために勤めた志を聴き入れることなどあろうはずがない。大いにみだらな安逸にふけり、天の道理と民の敬うべきことを顧みなかった。それゆえこの上帝はこれを保護されず、このような大いなる滅びを降されたのだ。」

王曰、多士、昔朕來自奄、予大降爾四國民命。我乃明致天罰、移爾遐逖、比事臣我宗、多遜。王曰、告爾殷多士、今予惟不爾殺、予惟時命有申。今朕作大邑于茲洛、予惟四方罔攸賓。亦惟爾多士攸服、奔走臣我、多遜。爾乃尚有爾土、爾乃尚寧幹止。爾克敬、天惟畀矜爾。爾不克敬、爾不啻不有爾土、予亦致天之罰于爾躬。今爾惟時宅爾邑、繼爾居、爾厥有幹有年于茲洛、爾小子乃興、從爾遷。

王曰わく、多士たしよ、むかしちんえんり来たり、われ大いになんじ四国しこく民命みんめいを降せり。我乃すなわち明らかに天罰てんばつを致し、爾を遐逖かてきに移し、ことしてそうしんたらしむ、多くしたがえり。王曰わく、爾らいんの多士に告げん、今予われれ爾を殺さず、予惟れこのめいかさぬる有り。今朕ちん大邑たいゆうらくつくるは、予惟れ四方しほうひんするところければなり。亦惟れ爾ら多士のふくする攸、奔走ほんそうして我に臣たり、多く遜えり。爾乃ちお爾の有り、爾乃ち尚お寧幹ねいかんとどまらん。爾克つつしまば、天惟れ爾を畀矜きょうせん。爾克く敬まずんば、爾啻ただに爾の土をたもたざるのみならず、予も亦天のばつを爾のいたさん。今爾惟れこの爾のゆうり、爾のきょぎ、爾厥かん有りねん有りて茲の洛に、爾の小子しょうし乃ちおこり、爾に従いてうつらん。

王は言った。「多くの元役人たちよ、昔、私が奄の地から帰った際、私は大いにそなたら四国の民の命運を降した。私はそこで明らかに天罰を執行し、そなたらを遠方に移し、事を整えて我が宗家に臣従させた、そなたらは多くこれに従った。」王は言った。「そなたら殷の元役人たちに告げよう、今、私はそなたらを殺すことはしない、私はこの命令を重ねて言おう。今、私がこの大都市を洛の地に築くのは、四方に朝貢する場所がなかったからだ。またそなたら元役人たちが服従し、奔走して我に臣従し、多く従ってくれたからでもある。そなたらはなお自分の土地を持ち、なお安らかに落ち着くことができよう。そなたらがよく敬い慎めば、天はそなたらを憐れみ助けられるだろう。そなたらがよく敬い慎まなければ、そなたらは自分の土地を保てないだけでなく、私もまた天の罰をそなたらの身に下すことになろう。今、そなたらはこの邑に住まい、そなたらの暮らしを継続し、この洛の地で幹となる仕事と豊かな年を迎え、そなたらの子孫も興り、そなたらに従ってここに移り住むであろう。」

② 無逸(ぶいつ)

周公が成王に、安逸に流れることの戒めを説いた篇。殷の中宗・高宗・祖甲、周の文王を例に、勤勉な統治と長寿の関係を説く。

周公曰、嗚呼、君子所其無逸。先知稼穡之艱難、乃逸、則知小人之依。相小人、厥父母勤勞稼穡、厥子乃不知稼穡之艱難、乃逸乃諺既誕。否則侮厥父母曰、昔之人、無聞知。

周公曰わく、嗚呼ああ君子くんしいつすること無きにれ。先ず稼穡かしょく艱難かんなんを知りて、すなわち逸すれば、則ち小人しょうじんる所を知る。小人をるに、父母ふぼ勤労きんろうして稼穡するも、厥の子乃ち稼穡の艱難を知らず、乃ち逸し乃ちげんすでたんなり。しからずんば則ち厥の父母をあなどりて曰わく、むかしひと聞知ぶんち無し、と。

周公は言った。「ああ、君子たる者は安逸に流れぬことを心がけるべきだ。まず農耕の苦労を知ってから安逸を得るならば、それによって庶民が何を頼りに生きているかを知ることができる。庶民を見るに、その父母は苦労して農耕に励んでいるが、その子は農耕の苦労を知らず、安逸に流れ、放埓な言葉を吐くようになる。そうでなければ、その父母を侮って『昔の人には知恵などなかった』と言うようになる。」

周公曰、嗚呼、我聞曰、昔在殷王中宗、嚴恭寅畏、天命自度、治民祗懼、不敢荒寧。肆中宗之享國、七十有五年。其在高宗、時舊勞于外、爰暨小人。作其即位、乃或亮陰、三年不言。其惟不言、言乃雍。不敢荒寧、嘉靖殷邦。至于小大、無時或怨。肆高宗之享國、五十有九年。

周公曰わく、嗚呼ああ、我聞くに曰わく、むかし殷王中宗いんおうちゅうそうりて、厳恭寅畏げんきょういんいし、天命てんめい自らはかり、たみおさむるに祗懼しくし、敢えて荒寧こうねいせず。ついに中宗のくにくること、七十有五年しちじゅうゆうごねんなり。其の高宗こうそうに在りては、ときもとよりそとろうし、ここ小人しょうじんおよぶ。其のくらいくにあたりて、乃ちあるい亮陰りょうあんし、三年言げんせず。其れ惟れ言せざるも、言えば乃ちやわらぐ。敢えて荒寧せず、殷邦いんぽう嘉靖かせいす。小大しょうだいに至るまで、ときあるいうらむ無し。ついに高宗の国を享くること、五十有九年ごじゅうゆうくねんなり。

周公は言った。「ああ、私はこう聞いている。昔、殷の中宗王は、厳粛で恭しく敬い畏れ、自ら天命をよく測り、民を治めるにあたっては敬い恐れ、あえて怠り安逸に流れることがなかった。それゆえ中宗が国を治められたのは、七十五年にも及んだ。高宗については、若い頃から民間で苦労を重ね、庶民と共に過ごしていた。その位に即いたときには、喪に服して三年もの間、言葉を発しなかった。言葉を発しなかったが、いざ発すればそれは人々を和らげるものであった。あえて怠り安逸に流れることなく、殷の国を良く安んじられた。身分の上下を問わず、その治世を怨む者はいなかった。それゆえ高宗が国を治められたのは、五十九年にも及んだ。」

其在祖甲、不義惟王、舊為小人。作其即位、爰知小人之依、能保惠于庶民、不敢侮鰥寡。肆祖甲之享國、三十有三年。自時厥後、立王生則逸。生則逸、不知稼穡之艱難、不聞小人之勞、惟耽樂之從。自時厥後、亦罔或克壽、或十年、或七八年、或五六年、或四三年。

其の祖甲そこうに在りては、ならずして惟れおうたりとし、もとより小人しょうじんり。其の位に即くに作りて、ここに小人の依る所を知り、庶民しょみん保恵ほけいし、敢えて鰥寡かんかを侮らず。ついに祖甲の国を享くること、三十有三年さんじゅうゆうさんねんなり。こののち自り、王を立つるに生まれながらにして則ち逸す。生まれながらにして則ち逸すれば、稼穡かしょくの艱難を知らず、小人のろうを聞かず、惟れ耽楽たんらくこれに従う。時の厥の後自り、亦或あるい寿じゅくするく、或は十年じゅうねん、或は七八年しちはちねん、或は五六年ごろくねん、或は四三年しさんねんなり。

「祖甲については、(兄を差し置いて即位するのは)義に反すると考えて王位を辞退し、長らく民間で庶民として過ごした。その位に即いたときには、庶民の頼るところをよく知っており、よく庶民を保護し慈しみ、あえて身寄りのない者を侮ることがなかった。それゆえ祖甲が国を治められたのは、三十三年にも及んだ。この時以降に立てられた王たちは、生まれながらにして安逸を得るようになった。生まれながらにして安逸を得ると、農耕の苦労を知らず、庶民の労苦を聞かず、ただ享楽にふけるようになった。この時以降、王たちの中には長く天寿を全うできる者は稀となり、ある者は十年、ある者は七、八年、ある者は五、六年、ある者は三、四年しか在位できなかった。」

周公曰、嗚呼、厥亦惟我周太王王季、克自抑畏。文王卑服、即康功田功。徽柔懿恭、懷保小民、惠鮮鰥寡。自朝至于日中昃、不遑暇食、用咸和萬民。文王不敢盤于游田、以庶邦惟正之供。文王受命惟中身、厥享國五十年。

周公曰わく、嗚呼ああまたれ我がしゅう太王たいおう王季おうきく自らおさおそる。文王ぶんおう卑服ひふくし、康功こうこう田功でんこうく。徽柔懿恭きじゅういきょうにして、小民しょうみん懐保かいほし、鰥寡かんか恵鮮けいせんす。あした自り日中昃にっちゅうしょくに至るまで、しょく遑暇こうかあらず、もっ万民ばんみん咸和かんわす。文王敢えて游田ゆうでんたのしまず、庶邦しょほうを以てただせいきょうとす。文王命めいを受くること惟れ中身ちゅうしんの国をくること五十年ごじゅうねんなり。

周公は言った。「ああ、また我が周の太王・王季も、よく自らを抑え畏れ慎まれた。文王は質素な衣服を身につけ、道普請や田畑の仕事にまで自ら携わられた。柔和で美しく恭しくあり、小民たちを懐かしみ保護し、身寄りのない者たちに恵みを施された。朝から日が傾く頃まで、食事の暇もないほどに、万民を和やかにされた。文王はあえて遊びの狩猟を楽しむことなく、諸国からの貢物もただ正当なものだけをお受けになった。文王が天命を受けられたのは人生の半ばであり、その国を治められたのは五十年に及んだ。」

周公曰、嗚呼、繼自今嗣王、則其無淫于觀于逸于游于田、以萬民惟正之供。無皇曰、今日耽樂。乃非民攸訓、非天攸若、時人丕則有愆。無若殷王受之迷亂、酗于酒德哉。

周公曰わく、嗚呼ああいま嗣王しおう、則ち其れかんゆうでんふけること無く、万民ばんみんを以てただせいきょうとせよ。いとまありとして曰わこと無かれ、今日こんにち耽楽たんらくせん、と。乃ちたみおしうるところあらず、てんしたがう攸に非ず、時人じじんおおいに則ちあやまち有らん。殷王受(いんおうじゅ、紂王)の迷乱めいらんし、酒徳しゅとくおぼれしがごとくすること無かれ。

周公は言った。「ああ、今より後を継ぐ王たちは、見物や遊興や狩猟にふけることなく、万民からはただ正当な貢物だけをお受けください。『今日は暇があるから享楽にふけろう』などと言うことのないように。それは民が教えるところではなく、天が従うところでもない、そのような人には大いに過ちが生じるでしょう。殷王の受(紂王)が迷い乱れ、酒の魔力に溺れたようになることのないように。」

周公曰、嗚呼、我聞曰、古之人猶胥訓告、胥保惠、胥教誨、民無或胥譸張為幻。此厥不聽、人乃訓之、乃變亂先王之正刑、至于小大。民否則厥心違怨、否則厥口詛祝。周公曰、嗚呼、自殷王中宗、及高宗、及祖甲、及我周文王、茲四人迪哲。厥或告之曰、小人怨汝詈汝、則皇自敬德。厥愆、曰、朕之愆、允若時。不啻不敢含怒。此厥不聽、人乃或譸張為幻、曰、小人怨汝詈汝、則信之。則若時、不永念厥辟、不寬綽厥心、亂罰無罪、殺無辜、怨有同、是叢于厥身。周公曰、嗚呼、嗣王其監于茲。

周公曰わく、嗚呼ああ、我聞くに曰わく、いにしえひとあい訓告くんこくし、あい保恵ほけいし、あい教誨きょうかいし、たみあい譸張ちゅうちょうしてげんこと無し、と。かずんば、ひとすなわこれおしえ、乃ち先王せんおう正刑せいけい変乱へんらんし、小大しょうだいに至らん。たみしからずんば則ち厥の心違怨いえんし、否らずんば則ち厥のくち詛祝そしゅくせん。周公曰わく、嗚呼、殷王中宗いんおうちゅうそうり、高宗こうそうに及び、祖甲そこうに及び、我がしゅう文王ぶんおうに及び、四人よにんてつしたがう。あるいは之に告げて曰わく、小人しょうじんなんじうらみ汝をののしる、と。則ちおおいに自らとくつつしむ。あやまちを、ちんの愆ちなりと曰いて、まことかくごとくす。ただに敢えていかりをふくまざるのみならず。此れ厥れ聴かずんば、人乃ち或は譸張ちゅうちょうしてげんを為し、小人汝を怨み汝を詈ると曰わば、則ち之を信ぜん。則ちかくの若くならば、永く厥のきみおもわず、厥のこころ寛綽かんしゃくにせず、ばつみだしてつみ無きを罰し、つみ無きを殺し、うらおなじき有らば、是れ厥のあつまらん。周公曰わく、嗚呼、嗣王しおう其れこれかんがみよ、と。

周公は言った。「ああ、私はこう聞いている。『いにしえの人々は互いに教え告げ合い、互いに保護し恵み合い、互いに教え諭し合い、民が互いに欺き惑わすようなことはなかった』と。もしこの言葉を聴き入れなければ、人々は勝手にでたらめを教え合うようになり、先王の定めた正しい刑法を乱すようになり、身分の上下を問わずそれが広がるであろう。民はそうでなくとも心の中で怨み背き、そうでなくとも口では呪いの言葉を吐くようになる。」周公は言った。「ああ、殷の中宗王より、高宗、祖甲、そして我が周の文王に至るまで、この四人は道理に従われた。もし誰かが彼らに『民があなたを怨みあなたを罵っております』と告げれば、彼らは大いに自ら徳を敬み慎まれた。その過ちを『これは私の過ちである』と言って、まさにそのように受け止められた。あえて怒りを抱かなかっただけでなく、それ以上のことをなさった。もしこの姿勢を聴き入れなければ、人々はでたらめを言って惑わし、『民があなたを怨みあなたを罵っております』と言えば、それを信じてしまうであろう。もしそのようになれば、長く自分の君主としての務めを思わず、心を寛大にせず、罰を乱して罪無き者を罰し、罪無き者を殺し、怨みが重なり合えば、これはやがてその身に集まってくるであろう。」周公は言った。「ああ、後を継ぐ王たちよ、どうかこのことをよくご覧になりますように。」

③ 君奭(くんせき)

周公が、共に周を支えてきた召公(奭)に向けて、殷代の賢臣たちの例を挙げながら、共に王朝を支え続けようと語りかける篇。

周公若曰、君奭。弗弔、天降喪于殷。殷既墜厥命、我有周既受。我不敢知曰厥基永孚于休、若天棐忱、我亦不敢知曰其終出于不祥。嗚呼、君已曰時我、我亦不敢寧于上帝命、弗永遠念天威越我民、罔尤違惟人。在我後嗣子孫、大弗克恭上下、遏佚前人光在家、不知天命不易、天難諶、乃其墜命、弗克經歷嗣前人恭明德。在今予小子旦、非克有正、迪惟前人光、施于我沖子。

周公若かく曰わく、君奭くんせきよ。とむらわず、てんそういんくだす。殷既すでめいとし、我が有周ゆうしゅう既に受く。我敢えて厥のもとい永くきゅうかなうと知ると曰わず、天棐忱ひしんごとくならば、我も亦敢えて其の終わり不祥ふしょうずと知ると曰わず。嗚呼ああきみすでこれわれと曰わば、我も亦敢えて上帝じょうていめいやすんぜず、永遠えいえん天威てんいおもい我がたみおよぼさずんばあらず、とがたがうことひとにあり。我が後嗣こうし子孫しそんりて、大いに上下じょうげうやまあたわず、前人ぜんじんひかりいえ遏佚あついつせしめば、天命てんめいやすからざるを知らず、てんしんがたく、乃ち其れめいを墜とし、前人の恭明徳きょうめいとく経歴けいれきあたわず。今予小子旦われしょうしたんりて、克くせい有るにあらず、みちびくは惟れ前人ぜんじんひかり、我が沖子ちゅうしほどこす。

周公はこう仰せられた。「君奭よ。天は殷を憐れまず、滅びを降されました。殷はすでにその天命を失い、我らが周はすでにこれを受け継ぎました。私はあえて、その基業が永遠に幸いに適うと知っているとは申しません。もし天の助けが誠実でないならば、私もまたあえて、その終わりが不吉なものにならないと知っているとは申しません。ああ、あなたがすでに『これは私たちのことだ』と仰せになるならば、私もまたあえて上帝の命に安住することなく、永遠に天の威光を思い、我が民にまでこれを及ぼさなければなりません、咎めも違いもなく、ただ人の行い次第なのです。我らの後を継ぐ子孫にあって、大いに天地を敬うことができず、先人の輝きを家の中に押しとどめてしまうならば、天命の容易ならぬことを知らず、天は信じ難く、ついにはその命を失い、先人の恭しく明らかな徳を受け継ぐことができなくなるでしょう。今、この私・旦のような未熟な者にあっては、よく正しい道を成せるわけではございません、ただ先人の輝きに導かれて、これを我らの幼い王にお伝えしているのです。」

公曰、君奭、在昔上帝割申勸寧王之德、其集大命于厥躬。惟文王尚克修和我有夏、亦惟有若虢叔、有若閎夭、有若散宜生、有若泰顛、有若南宮括。

公(周公)曰わく、君奭よ、むかしりて上帝じょうていきてかさねて寧王(ねいおう、文王)の徳をすすめ、其の大命たいめいあつむ。文王尚く我が有夏ゆうか修和しゅうわし、亦惟れ虢叔かくしゅくごとき有り、閎夭こうようの若き有り、散宜生さんぎせいの若き有り、泰顛たいてんの若き有り、南宮括なんきゅうかつの若き有り。

周公は言った。「君奭よ、昔、上帝は繰り返し文王の徳をお勧めになり、その大いなる天命をその御身にお集めになりました。文王がよく我が中原の地を修め和らげることができたのは、虢叔、閎夭、散宜生、泰顛、南宮括のような優れた臣下たちがいたからでもあります。」

今在予小子旦、若游大川、予往暨汝奭其濟。小子同未在位、誕無我責收、罔勖不及。耇造德不降我則、鳴鳥不聞、矧曰其有能格。公曰、嗚呼、君肆其監于茲。我受命于疆惟休、亦大惟艱。告君、乃猷裕我、不以後人迷。公曰、君、告汝、朕允保奭。其汝克敬以予監于殷喪大否、肆念我天威。予不允惟若茲誥、予惟曰、襄我二人、汝有合哉。天休茲至、惟時二人弗戡。其汝克敬德、明我俊民、在讓後人于丕時。嗚呼、篤棐時二人、我式克至于今日休。我咸成文王功于不怠、丕冒海隅出日、罔不率俾。

今予われ小子旦しょうしたんりて、大川たいせんおよぐがごとし、われきてなんじせきと其れわたらん。小子しょうしともに未だくらいらず、おおいに我を責めおさむる無く、つとめざるに及ぶかれ。耇造こうぞうとく我にくだらずんば、鳴鳥めいちょう聞かず、いわんや其れいたる有りと曰わんや。公曰わく、嗚呼ああ君肆つとめて其れこれかんがみよ。我天命てんめいさかいに受くること惟れきゅうなるも、亦大いに惟れかたし。君に告ぐ、なんじはかりて我をゆたかにし、後人こうじんを以てまよわしむることかれ。公曰わく、君よ、汝に告げん、ちんまことせきやすんず。其れ汝克つつしみてわれと以ていんそう大否たいひを監み、ついに我が天威てんいおもえ。予允まことくのごとげをするにあらずんば、予惟れ曰わく、我二人ににんたすくるに、なんじがっする有りや、と。天休てんきゅうここに至るも、惟れこの二人戡えず。其れ汝克くとくを敬み、我が俊民しゅんみんを明らかにし、後人こうじんおおいなるときゆずるにれ。嗚呼、あつこの二人をたすけずんば、我式もって克く今日こんにちきゅうに至らんや。我咸みな文王ぶんおうこうおこたらざるに成し、おおいに海隅かいぐうずるまでをおおい、したがしたがわざるし。

「今、この未熟な私・旦にとって、それはまるで大河を泳いで渡るかのようです、私はあなた奭とともに渡ってまいりましょう。私たちはまだ十分な地位にありません、大いに私を責め正し、努めが及ばぬことのないようにしてください。年老いた賢者の徳が私に降りてこなければ、瑞鳥の鳴き声さえ聞こえません、まして良き兆しが訪れるなどとどうして言えましょうか。」周公は言った。「ああ、あなたよ、努めてこのことをよくご覧ください。我らが国境の内に天命を受けたことは慶ばしいことですが、それはまた大いに困難なことでもあります。あなたに告げます、どうか私を助け豊かにし、後の世の人々を迷わせることのないように。」周公はまた言った。「あなたよ、あなたに告げましょう、私はまことにあなた奭を大切に思っております。あなたがよく慎み、私とともに殷の滅亡という大きな不幸を鑑とし、我らへの天の威光を心に留めてください。私がまことにこのような告げをするのは他でもありません、私はただ、我ら二人が助け合うことに、あなたも同じ思いであるかを問いたいのです。天の恵みがここに至っても、我ら二人だけではこれに堪えられないのです。あなたがよく徳を敬い、我が優れた人材を明らかにし、後の世の人々に大いなる好機を残してくださるように。ああ、篤くこの二人が助け合わなければ、どうして今日の慶びに至ることができましょうか。我らは皆、文王の功業を怠ることなく成し遂げ、大いに海の果て、日の昇る地に至るまでを覆い、従わぬ者はございません。」