蔡仲之命・多方・立政
反乱を起こした蔡叔の子・蔡仲を諸侯に立て直す命(蔡仲之命)、東の奄国討伐後に多くの諸侯へ告げた誥(多方)、そして周公が成王に人材登用の要諦を説いた篇(立政)――周初の統治体制確立を伝える3篇です。「皇天無親、惟徳是輔」(蔡仲之命)は後世広く引用される名句です。
惟れ周公冢宰に位し、百工を正す。群叔流言せしかば、乃ち管叔を商に致辟し、蔡叔を郭鄰に囚え、車七乗を以てし、霍叔を庶人に降し、三年歯せず。蔡仲克く庸に徳を祗み、周公以て卿士と為す。叔(しゅく、蔡叔)卒す、乃ち諸を王に命じて蔡に邦せしむ。
周公が冢宰の位にあって、多くの官吏を正しく治めていたとき、管叔・蔡叔ら諸叔が流言を広めたため、管叔を商の地で処刑し、蔡叔を郭鄰の地に幽閉して七台の車を与え、霍叔を庶人の身分に落とし、三年間官職に就かせなかった。蔡叔の子・蔡仲はよく常に徳を慎み守っていたので、周公はこれを卿士として登用した。蔡叔が没すると、王はこの蔡仲に命じて蔡の国を治めさせることとした。
王若曰わく、小子胡よ、惟れ爾徳に率いて行いを改め、克く厥の猷を慎めり。肆に予爾を東土に侯とすることを命ず、往きて乃の封に即け、敬めや。爾尚お前人の愆ちを蓋い、惟忠に惟れ孝にせよ。爾乃ち跡を自身に邁め、克く勤めて怠ること無く、以て憲を乃の後に垂れよ。乃の祖文王の遺訓に率い、爾の考(こう、蔡叔)の王命に違いしが若くすること無かれ。
王はこう仰せられた。「若き胡(蔡仲)よ、そなたは徳に従って行いを改め、よくその道を慎んできた。それゆえ私はそなたを東の地の諸侯とすることを命じよう、赴いてそなたの封地に就け、慎むように。そなたはどうか先人(父・蔡叔)の過ちを覆い隠し、ただ忠義と孝行のみを心がけよ。そなた自身の歩みを進め、よく勤めて怠ることなく、その手本を後の世に残しなさい。そなたの祖父・文王の遺された教えに従い、そなたの父が王命に背いたようなことのないように。」
皇天親無く、惟徳是れ輔く。民心常無く、惟れ恵之に懐く。善を為すこと同じからざるも、同じく治に帰す。悪を為すこと同じからざるも、同じく乱に帰す。爾其れ戒めよや。厥の初めを慎み、厥の終りを惟えば、終わり以て困しまず。厥の終わりを惟わずんば、終わり以て困窮せん。乃の績を懋め、乃の四鄰を睦まじくし、以て王室を蕃り、以て兄弟を和し、小民を康済せよ。中自り率い、聡明を作して旧章を乱すこと無かれ。乃の視聴を詳らかにし、側言を以て厥の度を改むること罔かれ。則ち予一人汝を嘉せん。王曰わく、嗚呼、小子胡よ、汝往けや。朕が命を荒棄すること無かれ。
「偉大な天には特に親しむ相手というものはなく、ただ徳ある者にのみ味方する。民の心も定まったものではなく、恵み深い者にこそ懐くものだ。善行の内容はさまざまであっても、いずれも治世に帰結する。悪行の内容はさまざまであっても、いずれも乱世に帰結する。そなたはどうか戒めよ。その始めを慎み、その終わりを思うならば、終わりにおいて困ることはない。その終わりを思わなければ、終わりにおいて困窮するであろう。そなたの功績に努め、そなたの周辺の国々と睦まじくし、それによって王室を守り、兄弟と和み、小民を安んじ救いなさい。中庸の道に従い、小賢しい知恵を働かせて古来の法度を乱すことのないように。そなたの見聞を詳らかにし、偏った言葉によってその法度を改めることのないように。そうすればこの私一人がそなたを称えよう。」王は言われた。「ああ、若き胡よ、そなたは赴くがよい。私のこの命を怠り捨てることのないように。」
惟れ五月丁亥、王奄自り来たり、宗周に至る。周公曰わく、王若曰わく、猷爾ら四国多方に告ぐ、惟れ爾ら殷侯尹民よ。我惟れ大いに爾らの命を降せり、爾罔くんば知らざらんや。惟れ天純を畀えず、乃ち惟れ爾ら多方の義民を以て、克く多享を永くせず。惟れ夏の恭多士、大いに克く明らかに民を保享せず、乃ち胥惟れ民を虐げ、百為に至るまで、大いに克く開けず。乃ち惟れ成湯、克く爾ら多方を以て簡ばれ、夏に代わりて民主と作れり。
五月丁亥の日、王は奄の地から帰り、宗周に至った。周公は言った。「王はこう仰せられます。ああ、そなたら四方の国々よ、そなたら殷の諸侯・役人たちに告げよう。我らは大いにそなたらの運命を左右する命を下したが、そなたらはこれを知らぬはずがあろうか。天は純粋な徳を夏には与えられなかった、そこで天はそなたら多くの国々の義ある民をもって、その長きにわたる繁栄を続けさせなかった。夏の恭しい多くの臣下たちは、大いに民を明らかに保護し養うことができず、互いに民を虐げ、あらゆることにおいて大いに事を開くことができなかった。そこで成湯こそが、そなたら多くの国々によって選ばれ、夏に代わって民の主となったのである。」
以て帝乙に至るまで、徳を明らかにして罰を慎まざる罔く、亦克く用て勧む。今爾の辟に至りては、克く爾ら多方を以て天の命を享けざりき。嗚呼、王若曰わく、爾ら多方に誥告す、天庸て夏を有つを釈てしめしに非ず、天庸て殷を有つを釈てしめしに非ず、乃ち惟れ爾らの辟爾ら多方を以て、大いに天の命を淫図し、屑かにも辞有り。天惟れ五年子孫を須暇し、誕いに民主と作せしも、念聴す可き罔し。惟れ我が周王霊承に旅い、克く堪えて徳を用い、惟れ神天を典る。天惟れ式て我に教うるに休を用てし、簡びて殷の命を畀え、爾ら多方を尹めしむ。
「帝乙に至るまでは、徳を明らかにし刑罰を慎まぬ王はなく、それによってよく民を励ましてきた。しかし今そなたらの君主(紂)に至っては、そなたら多くの国々の力をもって天命を享受することができなかった。ああ、王はこう仰せられます。そなたら多くの国々に告げよう、天は夏を治める資格をお捨てさせたのではなく、殷を治める資格をお捨てさせたのでもない、ただそなたらの君主が、そなたら多くの国々の力を用いて、大いに天命をみだりに図り、いささかも弁解ばかりを重ねたからである。天は五年もの間、その子孫を猶予されたが、大いに民の主とされても、聴き入れるべきことを聴き入れなかった。ただ我が周王のみが、霊妙な導きに従い、よく徳を用いることに堪え、神と天とをお司りになった。天はこうして我らに恩恵をもって教え、選んで殷の天命をお与えになり、そなたら多くの国々を治めさせられたのである。」
王曰わく、猷爾ら有方多士と殷の多士とに告ぐ。今爾ら奔走して我に臣たること五祀を監とし、越び惟れ胥伯小大多正有り、爾ら克く臬せざる罔し。爾ら乃ち時洛邑自り、尚お永く力めて爾の田を畋れ、天惟れ爾に畀え矜れみ、我が有周惟れ其れ大いに介して爾に賚り、迪簡して王庭に在らしめん。尚お爾の事にし、服大僚に在り。
王は言った。「ああ、そなたら諸国の官吏、そして殷の官吏たちに告げよう。今そなたらは奔走して我らに臣従して五年になる、そなたらの中には多くの様々な官職に就く者もいる、そなたらはよく法にかなっている。そなたらはこの洛邑から、なお永く努めてそなたらの田を耕せ、天はそなたらを憐れみお与えになり、我らが周は大いに助け、そなたらに恩恵を賜り、抜擢して王の宮廷に置くこともあろう。なお職務に励めば、高位の役職に就くこともあろう。」
王曰わく、嗚呼、多士よ、爾ら克く忱に我が命を勧めずんば、爾も亦則ち克く享けざらん、凡そ民惟れ享けずと曰わん。爾ら乃ち惟れ逸にし惟れ頗り、大いに王命に遠ざかれば、則ち惟れ爾ら多方天の威を探るとし、我則ち天の罰を致し、爾らの土を離逖せしめん。王曰わく、我多誥せんとするに非ず、我惟れ祗んで爾らの命を告ぐるのみ。又曰わく、時惟れ爾らの初め、克く敬んで和せずんば、則ち我を怨むこと無かれ。
王は言った。「ああ、官吏たちよ、そなたらがよく誠実に我が命に励まなければ、そなたらもよく享受することができなくなる、あらゆる民が『享受できない』と言うようになるであろう。そなたらがもし安逸にふけり偏りに流れ、大いに王命から遠ざかれば、そなたら多くの国々は天の威光に挑もうとしているとみなされ、私は天の罰を執行し、そなたらをその土地から遠く引き離すことになろう。」王は言った。「私は多くを告げようとしているのではない、私はただ慎んでそなたらへの命令を告げているだけである。」また言った。「今こそがそなたらの新たな始まりである、よく敬い和することができなければ、私を怨むことのないように。」
周公若曰わく、手を拝し首を稽し、嗣天子王に告ぐ。用て咸王に戒め、曰わく王の左右常伯・常任・準人・綴衣・虎賁に、と。周公曰わく、嗚呼、茲を休し、恤いを知る鮮きかな。古の人迪くに惟れ夏有り、乃ち室大いに競う有り、俊を籲びて上帝を尊び、忱恂を九徳の行いに迪知す。
周公はこう仰せられた。「両手を合わせ頭を下げ、跡を継がれた天子・王にお告げいたします。」そしてこれをもって王の側近の常伯・常任・準人・綴衣・虎賁のすべてに戒めを与えた。周公は言った。「ああ、この人材登用の大切さを称えても、その憂いを本当に知る者は少ないものです。いにしえの夏の人々は、家々が大いに賢者を競い合って求め、優れた人材を呼び集めて上帝を尊び、誠実さを九つの徳の実践において深く知ろうとしました。」
桀の徳惟れ乃ち往任を作さず、是れ惟れ暴徳にして、後罔し。亦越よび成湯陟るに、丕いに上帝の耿命を釐め、乃ち三有宅を用いて、克く宅に即き、三有俊と曰いて、克く俊に即く。厳として惟れ丕式とし、克く三宅三俊を用いる。其の商邑に在りては、用て厥の邑に協い、其の四方に在りては、用て丕式もて徳を見わす。嗚呼、其の受(じゅ、紂王)の徳暋なるに在りては、惟れ刑を羞むる暴徳の人、厥の邦に同じくし、乃ち惟れ庶の逸徳を習う人、厥の政に同じくす。帝欽んで之を罰し、乃ち我が有夏をして、商の受命に式り、万姓を奄甸せしむ。
「夏の桀王の徳は、昔からの人材登用を行わず、これはただ暴虐な徳であり、後継ぎもございませんでした。また成湯が即位されると、大いに上帝の輝かしい命をお治めになり、三種の官職に適した人材を用いて、よくその職に就かせ、三種の優れた人材と称して、よくその俊才を登用されました。厳しく大いなる法とし、よく三つの官職と三種の俊才を用いられました。商の都においてはその邑によく調和し、四方の国々においては大いなる法によって徳を明らかにされました。ああ、受(紂王)の徳が乱れましたとき、刑罰を好む暴虐な者たちがその国に集まり、様々な放縦な徳を習う者たちがその政治に集まりました。天帝は謹んでこれを罰し、我が中原の地をして、商の受けた天命に従わせ、万民を覆い治めさせられたのです。」
亦越よび文王・武王、克く三有宅心を知り、灼らかに三有俊心を見て、以て敬んで上帝に事え、民の長伯を立てらる。政を立つるに、任人・準夫・牧、三事を作す。文王庶言を兼ぬる攸罔く、庶獄庶慎は、惟れ有司の牧夫にあり、是れ訓用して違う。庶獄庶慎は、文王敢えて茲を知ること罔し。亦越び武王、率ね惟れ功を敉で、敢えて厥の義徳を替れしめず、率ね惟れ容徳に謀り従い、以て並せて此の丕丕の基を受く。
「また文王・武王も、よく三種の官職に適した人材の心をお知りになり、明らかに三種の俊才の心をご覧になり、それによって謹んで上帝にお仕えになり、民の長たる者をお立てになりました。政治を確立するにあたっては、人材の任用官・法度の準拠官・牧民官の三つの職務を設けられました。文王はあらゆる訴訟に自らすべて介入されることなく、多くの訴訟や慎重を要する事案は、担当の役人や牧民官に任せられ、これを教え導いて、意見が食い違うこともございました。多くの訴訟や慎重を要する事案について、文王はあえてこれを一つ一つご存知になろうとはされませんでした。また武王も、おおむね功業を成し遂げ、あえてその正義の徳を廃れさせることなく、おおむね寛容の徳を謀り従い、それによって並んでこの大いなる基業をお受けになりました。」
嗚呼、孺子王たり、今より継ぎて、我其れ政を立て事を立てん、準人牧夫、我其れ克く灼らかに厥の若を知り、丕いに乃ち乱を俾い、我が受民を相け、我が庶獄庶慎を和す。時に則ち之を間つる勿かれ、一話一言自り。我則ち末に惟れ成徳の彦にして、以て我が受民を乂めん。嗚呼、予旦已に人の徽言を受けて咸告ぐ。孺子王たり、今より継ぎて文子文孫、其れ庶獄庶慎を誤ること勿かれ、惟正是れ之を乂めよ。
「ああ、若君は王であらせられます、今よりこれを継ぎ、我らは政治を確立し事業を確立してまいりましょう。人材の任用官や牧民官については、我らがよく明らかにその適否を知り、大いに混乱を救い、我らが受け継いだ民を助け、我らの訴訟や慎重を要する事案を和らげてまいりましょう。この時こそ、これを一言一句たりとも隔てることのないようにしてください。私は最後には徳を成した賢者たちによって、我らが受け継いだ民を治めてまいりましょう。ああ、私・旦はすでに人々の美しい言葉を受け、これをすべてお伝えいたします。若君は王であらせられます、今よりこれを継ぐ子々孫々は、多くの訴訟や慎重を要する事案を誤ることなく、ただ正しい担当者にこれをお治めさせなさいませ。」
今文子文孫、孺子王たり、其れ庶獄を誤ること勿かれ、惟れ有司の牧夫にあり。其れ克く爾が戎兵を詰し、以て禹の跡に陟り、方く天下に行きて、海表に至るまで、服せざる有ること罔からしめよ。以て文王の耿光を覲、以て武王の大烈を揚げよ。嗚呼、今より継ぎて後王政を立つるに、其れ惟れ克く常人を用いよ。
「今、文王・武王の子孫よ、若君は王であらせられます、どうか多くの訴訟を誤ることのないように、それはただ担当の役人・牧民官の任とすべきです。よくそなたの軍備を整え、禹の踏まれた足跡を辿り、あまねく天下を巡り、海の彼方に至るまで、服従せぬ地のないようになさいませ。それによって文王の輝かしい光を仰ぎ、武王の大いなる功業を称えなさいませ。ああ、今より後を継ぐ王たちが政治を確立するにあたっては、どうかよく常なる有徳の人材を用いてください。」