書経 周書(七)

蔡仲之命・多方・立政

この読本について

反乱を起こした蔡叔の子・蔡仲を諸侯に立て直す命(蔡仲之命)、東の奄国討伐後に多くの諸侯へ告げた誥(多方)、そして周公が成王に人材登用の要諦を説いた篇(立政)――周初の統治体制確立を伝える3篇です。「皇天無親、惟徳是輔」(蔡仲之命)は後世広く引用される名句です。

① 蔡仲之命(さいちゅうのめい)

反乱に加担した蔡叔の死後、その子・蔡仲が徳を修めたことを認められ、諸侯として立てられる。「皇天無親、惟徳是輔」の名句を含む。

惟周公位冢宰、正百工。群叔流言、乃致辟管叔于商、囚蔡叔于郭鄰、以車七乘、降霍叔于庶人、三年不齒。蔡仲克庸祗德、周公以為卿士。叔卒、乃命諸王邦之蔡。

周公しゅうこう冢宰ちょうさいくらいし、百工ひゃっこうただす。群叔ぐんしゅく流言りゅうげんせしかば、すなわ管叔かんしゅくしょう致辟ちへきし、蔡叔さいしゅく郭鄰かくりんとらえ、車七乗しゃしちじょうを以てし、霍叔かくしゅく庶人しょじんくだし、三年さんねんせず。蔡仲さいちゅうつねとくつつしみ、周公以て卿士けいしす。叔(しゅく、蔡叔)しゅっす、乃ちこれおうに命じてさいくにせしむ。

周公が冢宰の位にあって、多くの官吏を正しく治めていたとき、管叔・蔡叔ら諸叔が流言を広めたため、管叔を商の地で処刑し、蔡叔を郭鄰の地に幽閉して七台の車を与え、霍叔を庶人の身分に落とし、三年間官職に就かせなかった。蔡叔の子・蔡仲はよく常に徳を慎み守っていたので、周公はこれを卿士として登用した。蔡叔が没すると、王はこの蔡仲に命じて蔡の国を治めさせることとした。

王若曰、小子胡、惟爾率德改行、克慎厥猷。肆予命爾侯于東土、往即乃封、敬哉。爾尚蓋前人之愆、惟忠惟孝。爾乃邁跡自身、克勤無怠、以垂憲乃後。率乃祖文王之遺訓、無若爾考之違王命。

王若かく曰わく、小子胡しょうしこよ、なんじとくしたがいておこないを改め、みちを慎めり。ついわれ爾を東土とうどこうとすることを命ず、きてなんじほうけ、つつしめや。爾尚前人ぜんじんあやまちをおおい、ただちゅうに惟れこうにせよ。爾乃ちあと自身じしんすすめ、克くつとめておこたること無く、以てのりを乃ののちれよ。乃の文王ぶんおう遺訓いくんしたがい、爾の考(こう、蔡叔)の王命おうめいたがいしがごとくすること無かれ。

王はこう仰せられた。「若き胡(蔡仲)よ、そなたは徳に従って行いを改め、よくその道を慎んできた。それゆえ私はそなたを東の地の諸侯とすることを命じよう、赴いてそなたの封地に就け、慎むように。そなたはどうか先人(父・蔡叔)の過ちを覆い隠し、ただ忠義と孝行のみを心がけよ。そなた自身の歩みを進め、よく勤めて怠ることなく、その手本を後の世に残しなさい。そなたの祖父・文王の遺された教えに従い、そなたの父が王命に背いたようなことのないように。」

皇天無親、惟德是輔。民心無常、惟惠之懷。為善不同、同歸于治。為惡不同、同歸于亂。爾其戒哉。慎厥初、惟厥終、終以不困。不惟厥終、終以困窮。懋乃攸績、睦乃四鄰、以蕃王室、以和兄弟、康濟小民。率自中、無作聰明亂舊章。詳乃視聽、罔以側言改厥度。則予一人汝嘉。王曰、嗚呼、小子胡、汝往哉。無荒棄朕命。

皇天こうてんしん無く、ただとくたすく。民心みんしんつね無く、惟れけいこれなつく。ぜんすこと同じからざるも、同じくす。あくを為すこと同じからざるも、同じくらんに帰す。なんじ其れいましめよや。はじめを慎み、厥のおわりをおもえば、終わり以てくるしまず。厥の終わりを惟わずんば、終わり以て困窮こんきゅうせん。なんじせきつとめ、乃の四鄰しりんむつまじくし、以て王室おうしつまもり、以て兄弟けいていし、小民しょうみん康済こうさいせよ。ちゅうしたがい、聡明そうめいして旧章きゅうしょうみだすこと無かれ。乃の視聴しちょうつまびらかにし、側言そくげんを以て厥のを改むることかれ。則ちわれ一人いちにんなんじよみせん。王曰わく、嗚呼ああ小子胡しょうしこよ、汝往けや。ちんめい荒棄こうきすること無かれ。

「偉大な天には特に親しむ相手というものはなく、ただ徳ある者にのみ味方する。民の心も定まったものではなく、恵み深い者にこそ懐くものだ。善行の内容はさまざまであっても、いずれも治世に帰結する。悪行の内容はさまざまであっても、いずれも乱世に帰結する。そなたはどうか戒めよ。その始めを慎み、その終わりを思うならば、終わりにおいて困ることはない。その終わりを思わなければ、終わりにおいて困窮するであろう。そなたの功績に努め、そなたの周辺の国々と睦まじくし、それによって王室を守り、兄弟と和み、小民を安んじ救いなさい。中庸の道に従い、小賢しい知恵を働かせて古来の法度を乱すことのないように。そなたの見聞を詳らかにし、偏った言葉によってその法度を改めることのないように。そうすればこの私一人がそなたを称えよう。」王は言われた。「ああ、若き胡よ、そなたは赴くがよい。私のこの命を怠り捨てることのないように。」

② 多方(たほう)

奄国討伐から帰った成王が、殷の遺民や諸侯たちに向けて、夏・殷の滅亡を教訓とし、周への服従を求めた誥。

惟五月丁亥、王來自奄、至于宗周。周公曰、王若曰、猷告爾四國多方、惟爾殷侯尹民。我惟大降爾命、爾罔不知。惟天不畀純、乃惟以爾多方之義民、不克永于多享。惟夏之恭多士、大不克明保享于民、乃胥惟虐于民、至于百為、大不克開。乃惟成湯、克以爾多方簡、代夏作民主。

五月丁亥ごがつていがいおうえんり来たり、宗周そうしゅうに至る。周公しゅうこう曰わく、王若かく曰わく、ああなんじ四国しこく多方たほうに告ぐ、れ爾ら殷侯尹民いんこういんみんよ。われ惟れ大いに爾らのめいくだせり、爾罔くんば知らざらんや。惟れ天純じゅんあたえず、すなわち惟れ爾ら多方たほう義民ぎみんを以て、多享たきょうを永くせず。惟れ恭多士きょうたし、大いに克く明らかにたみ保享ほきょうせず、乃ちあい惟れ民をしいたげ、百為ひゃくいに至るまで、大いに克くひらけず。乃ち惟れ成湯せいとう、克く爾ら多方を以てえらばれ、に代わりて民主みんしゅれり。

五月丁亥の日、王は奄の地から帰り、宗周に至った。周公は言った。「王はこう仰せられます。ああ、そなたら四方の国々よ、そなたら殷の諸侯・役人たちに告げよう。我らは大いにそなたらの運命を左右する命を下したが、そなたらはこれを知らぬはずがあろうか。天は純粋な徳を夏には与えられなかった、そこで天はそなたら多くの国々の義ある民をもって、その長きにわたる繁栄を続けさせなかった。夏の恭しい多くの臣下たちは、大いに民を明らかに保護し養うことができず、互いに民を虐げ、あらゆることにおいて大いに事を開くことができなかった。そこで成湯こそが、そなたら多くの国々によって選ばれ、夏に代わって民の主となったのである。」

以至于帝乙、罔不明德慎罰、亦克用勸。今至于爾辟、弗克以爾多方享天之命。嗚呼、王若曰、誥告爾多方、非天庸釋有夏、非天庸釋有殷、乃惟爾辟以爾多方、大淫圖天之命、屑有辭。天惟五年須暇之子孫、誕作民主、罔可念聽。惟我周王靈承于旅、克堪用德、惟典神天。天惟式教我用休、簡畀殷命、尹爾多方。

以て帝乙ていいつに至るまで、とくを明らかにしてばつを慎まざるく、亦克もっすすむ。今爾なんじきみに至りては、克く爾ら多方たほうを以て天の命をけざりき。嗚呼ああ王若かく曰わく、爾ら多方に誥告こうこくす、てんもったもつをてしめしにあらず、天庸ていんを有つを釈てしめしに非ず、乃ちれ爾らのきみ爾ら多方たほうを以て、大いに天の命を淫図いんとし、いささかにも有り。天惟れ五年ごねん子孫しそん須暇しゅかし、おおいに民主みんしゅせしも、念聴ねんちょうき罔し。惟れ我が周王しゅうおう霊承れいしょうしたがい、克くえてとくを用い、惟れ神天しんてんつかさどる。天惟れもって我に教うるにきゅうもってし、えらびて殷の命をあたえ、爾ら多方をおさめしむ。

「帝乙に至るまでは、徳を明らかにし刑罰を慎まぬ王はなく、それによってよく民を励ましてきた。しかし今そなたらの君主(紂)に至っては、そなたら多くの国々の力をもって天命を享受することができなかった。ああ、王はこう仰せられます。そなたら多くの国々に告げよう、天は夏を治める資格をお捨てさせたのではなく、殷を治める資格をお捨てさせたのでもない、ただそなたらの君主が、そなたら多くの国々の力を用いて、大いに天命をみだりに図り、いささかも弁解ばかりを重ねたからである。天は五年もの間、その子孫を猶予されたが、大いに民の主とされても、聴き入れるべきことを聴き入れなかった。ただ我が周王のみが、霊妙な導きに従い、よく徳を用いることに堪え、神と天とをお司りになった。天はこうして我らに恩恵をもって教え、選んで殷の天命をお与えになり、そなたら多くの国々を治めさせられたのである。」

王曰、猷告爾有方多士暨殷多士。今爾奔走臣我監五祀、越惟有胥伯小大多正、爾罔不克臬。尔乃自時洛邑、尚永力畋爾田、天惟畀矜爾、我有周惟其大介賚爾、迪簡在王庭。尚爾事、有服在大僚。

王曰わく、ああなんじ有方多士ゆうほうたしいん多士たしとに告ぐ。今爾ら奔走ほんそうしてわれしんたること五祀ごしかんとし、およ胥伯しょはく小大多正しょうだいたせい有り、爾らげつせざるし。爾ら乃ちこの洛邑らくゆうり、お永くつとめて爾のでんれ、天惟れ爾にあたあわれみ、我が有周ゆうしゅう惟れ其れ大いにかいして爾にたまわり、迪簡てきかんして王庭おうていに在らしめん。尚お爾のことにし、ふく大僚たいりょうに在り。

王は言った。「ああ、そなたら諸国の官吏、そして殷の官吏たちに告げよう。今そなたらは奔走して我らに臣従して五年になる、そなたらの中には多くの様々な官職に就く者もいる、そなたらはよく法にかなっている。そなたらはこの洛邑から、なお永く努めてそなたらの田を耕せ、天はそなたらを憐れみお与えになり、我らが周は大いに助け、そなたらに恩恵を賜り、抜擢して王の宮廷に置くこともあろう。なお職務に励めば、高位の役職に就くこともあろう。」

王曰、嗚呼、多士、爾不克勸忱我命、爾亦則惟不克享、凡民惟曰不享。爾乃惟逸惟頗、大遠王命、則惟爾多方探天之威、我則致天之罰、離逖爾土。王曰、我不惟多誥、我惟祗告爾命。又曰、時惟爾初、不克敬于和、則無我怨。

王曰わく、嗚呼ああ多士たしよ、なんじまことに我がめいすすめずんば、爾も亦則ち克くけざらん、およたみ惟れ享けずと曰わん。爾ら乃ち惟れいつにし惟れかたより、大いに王命おうめいとおざかれば、則ち惟れ爾ら多方たほう天のさぐるとし、我則ち天のばついたし、爾らの離逖りてきせしめん。王曰わく、我多誥たこうせんとするにあらず、我惟れつつしんで爾らのめいを告ぐるのみ。又曰わく、これ惟れ爾らのはじめ、克くつつしんでせずんば、則ち我をうらむこと無かれ。

王は言った。「ああ、官吏たちよ、そなたらがよく誠実に我が命に励まなければ、そなたらもよく享受することができなくなる、あらゆる民が『享受できない』と言うようになるであろう。そなたらがもし安逸にふけり偏りに流れ、大いに王命から遠ざかれば、そなたら多くの国々は天の威光に挑もうとしているとみなされ、私は天の罰を執行し、そなたらをその土地から遠く引き離すことになろう。」王は言った。「私は多くを告げようとしているのではない、私はただ慎んでそなたらへの命令を告げているだけである。」また言った。「今こそがそなたらの新たな始まりである、よく敬い和することができなければ、私を怨むことのないように。」

③ 立政(りっせい)

周公が成王に、賢明な人材を登用して政治を確立することの重要性を、夏・商の故事を引きながら説いた篇。

周公若曰、拜手稽首、告嗣天子王矣。用咸戒于王、曰王左右常伯、常任、準人、綴衣、虎賁。周公曰、嗚呼、休茲、知恤鮮哉。古之人迪惟有夏、乃有室大競、籲俊尊上帝、迪知忱恂于九德之行。

周公若かく曰わく、はいこうべけいし、嗣天子王してんしおうぐ。もっみな王にいましめ、曰わくおう左右さゆう常伯じょうはく常任じょうにん準人じゅんじん綴衣ていい虎賁こほんに、と。周公曰わく、嗚呼ああこれよみし、うれいを知るすくなきかな。いにしえひとみちびくに有り、すなわしつ大いにきそう有り、しゅんびて上帝じょうていとうとび、忱恂しんじゅん九徳きゅうとくおこないに迪知てきちす。

周公はこう仰せられた。「両手を合わせ頭を下げ、跡を継がれた天子・王にお告げいたします。」そしてこれをもって王の側近の常伯・常任・準人・綴衣・虎賁のすべてに戒めを与えた。周公は言った。「ああ、この人材登用の大切さを称えても、その憂いを本当に知る者は少ないものです。いにしえの夏の人々は、家々が大いに賢者を競い合って求め、優れた人材を呼び集めて上帝を尊び、誠実さを九つの徳の実践において深く知ろうとしました。」

桀德惟乃弗作往任、是惟暴德、罔後。亦越成湯陟、丕釐上帝之耿命、乃用三有宅、克即宅、曰三有俊、克即俊。嚴惟丕式、克用三宅三俊。其在商邑、用協于厥邑、其在四方、用丕式見德。嗚呼、其在受德暋、惟羞刑暴德之人、同于厥邦、乃惟庶習逸德之人、同于厥政。帝欽罰之、乃伻我有夏、式商受命、奄甸萬姓。

けつとくすなわ往任おうにんさず、れ惟れ暴徳ぼうとくにして、のちし。亦越またおよび成湯せいとうのぼるに、おおいに上帝じょうてい耿命こうめいおさめ、乃ち三有宅さんゆうたくを用いて、たくき、三有俊さんゆうしゅんと曰いて、克くしゅんに即く。げんとして惟れ丕式ひしきとし、克く三宅三俊さんたくさんしゅんを用いる。其の商邑しょうゆうに在りては、用てゆうかない、其の四方しほうに在りては、用て丕式ひしきもてとくあらわす。嗚呼ああ、其の受(じゅ、紂王)の徳暋びんなるに在りては、惟れけいすすむる暴徳ぼうとくひとくにに同じくし、乃ち惟れもろもろ逸徳いつとくならう人、厥のまつりごとに同じくす。ていつつしんでこればつし、乃ち我が有夏ゆうかをして、しょう受命じゅめいのっとり、万姓ばんせい奄甸えんでんせしむ。

「夏の桀王の徳は、昔からの人材登用を行わず、これはただ暴虐な徳であり、後継ぎもございませんでした。また成湯が即位されると、大いに上帝の輝かしい命をお治めになり、三種の官職に適した人材を用いて、よくその職に就かせ、三種の優れた人材と称して、よくその俊才を登用されました。厳しく大いなる法とし、よく三つの官職と三種の俊才を用いられました。商の都においてはその邑によく調和し、四方の国々においては大いなる法によって徳を明らかにされました。ああ、受(紂王)の徳が乱れましたとき、刑罰を好む暴虐な者たちがその国に集まり、様々な放縦な徳を習う者たちがその政治に集まりました。天帝は謹んでこれを罰し、我が中原の地をして、商の受けた天命に従わせ、万民を覆い治めさせられたのです。」

亦越文王武王、克知三有宅心、灼見三有俊心、以敬事上帝、立民長伯。立政、任人、準夫、牧、作三事。文王罔攸兼于庶言、庶獄庶慎、惟有司之牧夫、是訓用違。庶獄庶慎、文王罔敢知于茲。亦越武王、率惟敉功、不敢替厥義德、率惟謀從容德、以並受此丕丕基。

亦越またおよび文王ぶんおう武王ぶおう三有宅心さんゆうたくしんを知り、あきらかに三有俊心さんゆうしゅんしんて、以てつつしんで上帝じょうていつかえ、たみ長伯ちょうはくを立てらる。まつりごとを立つるに、任人にんじん準夫じゅんぷぼく三事さんじす。文王庶言しょげんぬるところく、庶獄庶慎しょごくしょしんは、有司ゆうし牧夫ぼくふにあり、訓用くんようしてたがう。庶獄庶慎は、文王敢えてこれを知ること罔し。亦越び武王、おおむね惟れこうで、敢えて義徳ぎとくすたれしめず、率ね惟れ容徳ようとくはかり従い、以てあわせて丕丕ひひもといを受く。

「また文王・武王も、よく三種の官職に適した人材の心をお知りになり、明らかに三種の俊才の心をご覧になり、それによって謹んで上帝にお仕えになり、民の長たる者をお立てになりました。政治を確立するにあたっては、人材の任用官・法度の準拠官・牧民官の三つの職務を設けられました。文王はあらゆる訴訟に自らすべて介入されることなく、多くの訴訟や慎重を要する事案は、担当の役人や牧民官に任せられ、これを教え導いて、意見が食い違うこともございました。多くの訴訟や慎重を要する事案について、文王はあえてこれを一つ一つご存知になろうとはされませんでした。また武王も、おおむね功業を成し遂げ、あえてその正義の徳を廃れさせることなく、おおむね寛容の徳を謀り従い、それによって並んでこの大いなる基業をお受けになりました。」

嗚呼、孺子王矣、繼自今、我其立政立事、準人牧夫、我其克灼知厥若、丕乃俾亂、相我受民、和我庶獄庶慎、時則勿有間之、自一話一言。我則末惟成德之彥、以乂我受民。嗚呼、予旦已受人之徽言咸告。孺子王矣、繼自今文子文孫、其勿誤于庶獄庶慎、惟正是乂之。

嗚呼ああ孺子じゅしおうたり、今よりぎて、我其れまつりごとを立てことを立てん、準人牧夫じゅんじんぼくふ、我其れあきらかにじゃくを知り、おおいに乃ちらんすくい、我が受民じゅみんたすけ、我が庶獄庶慎しょごくしょしんす。ときに則ちこれへだつるかれ、一話一言いちわいちげんり。我則ちすえに惟れ成徳せいとくげんにして、以て我が受民じゅみんおさめん。嗚呼、予旦われたんすでひと徽言きげんを受けてみな告ぐ。孺子じゅし王たり、今より継ぎて文子文孫ぶんしぶんそん、其れ庶獄庶慎しょごくしょしんあやまることかれ、ただせいこれおさめよ。

「ああ、若君は王であらせられます、今よりこれを継ぎ、我らは政治を確立し事業を確立してまいりましょう。人材の任用官や牧民官については、我らがよく明らかにその適否を知り、大いに混乱を救い、我らが受け継いだ民を助け、我らの訴訟や慎重を要する事案を和らげてまいりましょう。この時こそ、これを一言一句たりとも隔てることのないようにしてください。私は最後には徳を成した賢者たちによって、我らが受け継いだ民を治めてまいりましょう。ああ、私・旦はすでに人々の美しい言葉を受け、これをすべてお伝えいたします。若君は王であらせられます、今よりこれを継ぐ子々孫々は、多くの訴訟や慎重を要する事案を誤ることなく、ただ正しい担当者にこれをお治めさせなさいませ。」

今文子文孫、孺子王矣、其勿誤于庶獄、惟有司之牧夫。其克詰爾戎兵、以陟禹之跡、方行天下、至于海表、罔有不服。以覲文王之耿光、以揚武王之大烈。嗚呼、繼自今後王立政、其惟克用常人。

今文子文孫ぶんしぶんそん孺子じゅしおうたり、其れ庶獄しょごくあやまることかれ、有司ゆうし牧夫ぼくふにあり。其れなんじ戎兵じゅうへいただし、以てあとのぼり、あまね天下てんかに行きて、海表かいひょうに至るまで、ふくせざる有ることからしめよ。以て文王ぶんおう耿光こうこう、以て武王ぶおう大烈たいれつげよ。嗚呼ああ、今より継ぎて後王こうおうまつりごとを立つるに、其れ惟れ克く常人じょうじんを用いよ。

「今、文王・武王の子孫よ、若君は王であらせられます、どうか多くの訴訟を誤ることのないように、それはただ担当の役人・牧民官の任とすべきです。よくそなたの軍備を整え、禹の踏まれた足跡を辿り、あまねく天下を巡り、海の彼方に至るまで、服従せぬ地のないようになさいませ。それによって文王の輝かしい光を仰ぎ、武王の大いなる功業を称えなさいませ。ああ、今より後を継ぐ王たちが政治を確立するにあたっては、どうかよく常なる有徳の人材を用いてください。」