康王之誥・畢命・君牙
康王の即位を告げる誥(康王之誥、顧命の続き)、畢公が成周の東郊を治めるにあたっての康王の訓戒(畢命)、そして穆王が君牙を大司徒に任命した命(君牙)――康王・穆王期の周王朝を伝える3篇です。
王(おう、康王)出でて、応門の内に在り。太保西方の諸侯を率い、応門の左に入り、畢公東方の諸侯を率い、応門の右に入り、皆黄朱の乗を布く。賓圭と幣とを奉ずと称え、曰わく、一二の臣衛敢えて壌奠を執る、と。皆再拝稽首す。王義もて徳を嗣ぎ、答拝す。太保曁び芮伯咸進み、相揖し、皆再拝稽首す。曰わく、敢えて敬んで天子に告ぐ、皇天大邦殷の命を改め、惟れ周の文武誕いに羑若を受け、克く西土を恤う。惟れ新陟の王賞罰を畢協し、厥の功を戡定し、用て後人に敷遺して休ならしむ。今王之を敬めや、六師を張皇し、我が高祖の寡命を壊ること無かれ、と。
王(康王)が退出して、応門の内にお立ちになった。太保は西方の諸侯たちを率いて応門の左から入り、畢公は東方の諸侯たちを率いて応門の右から入り、皆黄色い馬に朱の飾りをつけた車を並べた。賓客たちは璧の玉と貢物を捧げ持つと称して、「私ども臣下・藩屏の者たちが、あえて地の産物を捧げます」と言った。皆二度拝礼し頭を下げた。王は正しく徳を継承され、返礼された。太保と芮伯が共に進み出て、互いに一礼し、皆二度拝礼し頭を下げた。「あえて謹んで天子に申し上げます。偉大な天は大国・殷の天命をお改めになり、周の文王・武王は大いに天の善き導きをお受けになり、よく西の地を憂い治められました。新たに即位された先の王(成王)は賞罰を公平に整え、その功業を固め定め、それによって後の世の人々に恵みを残されました。今、王よこれをお慎みください、六軍を大いに整え、我が高祖の遺された尊い命を損なうことのないように。」
惟れ十有二年、六月庚午、朏す。越えて三日壬申、王朝に宗周自り歩き、豊に至る。成周の衆を以て、畢公に命じて東郊を保釐せしむ。王曰わく、嗚呼、父師よ、邦の安危は、惟れ茲の殷士にあり。剛ならず柔ならず、厥の徳允に修まれり。惟れ周公克く厥の始めを慎み、惟れ君陳克く厥の中を和し、惟れ公(こう、畢公)克く厥の終わりを成せり。三后心を協せ、同じく道に厎り、道政治に洽く、沢生民を潤し、四夷左衽まで、咸頼らざる罔く、予小子永く多福を膺く。
十二年、六月庚午の日、新月が現れた。三日後の壬申の日、王は朝、宗周から歩みを進め、豊の地に至った。成周の民衆をもって、畢公に命じてこの東郊の地を保護し治めさせた。王は言われた。「ああ、父師よ、国の安危は、まさにこの殷の遺臣たちにかかっております。剛でもなく柔でもなく、その徳はまことによく修まっております。周公はよくその始まりを慎み、君陳はよくその中頃を調和させ、あなた(畢公)はよくその終わりを成し遂げてくださいました。この三代にわたる方々が心を合わせ、同じく道理に至り、その道は政治にあまねく行き渡り、恩沢は万民を潤し、異民族の地に至るまで、皆頼らぬところはなく、私はこの若輩の身ながら永く多くの福を受けております。」
王曰わく、嗚呼、父師よ、今予祗んで公に命ずるに周公の事を以てす、往けや。淑慝を旌別し、厥の宅里を表わし、善悪を彰癉し、之に風声を樹てよ。訓典に率わずんば、厥の井疆を殊にし、克く畏慕せしめよ。郊圻を申画し、封守を慎固にし、以て四海を康んぜよ。政は恒有るを貴び、辞は体要を尚び、惟異を好むに非ず。商俗靡靡として、利口惟れ賢とし、余風未だ殄えず、公其れ念えや。我聞くに曰わく、世禄の家、鮮く克く礼に由る、と。荡を以て徳を陵ぐは、実に天道に悖る。化を敝りて奢麗なるは、万世流を同じくす。
王は言われた。「ああ、父師よ、今、私は謹んで、あなたに周公が果たされた事業をお任せいたします、赴いてください。善良な者と邪悪な者を区別し、その住まいの善悪を表し、善を明らかにし悪を戒め、良き気風を打ち立ててください。教えの法度に従わぬ者があれば、その村里を分離し、よく敬い慕わせるようにしてください。郊外の境界を改めて画定し、境界の守りを慎み固め、それによって天下を安んじてください。政治は常なる法を貴び、言葉は要点を貴び、ただ奇異なことを好んではなりません。商(殷)の風俗はだらしなく、口先の巧みさを賢いこととし、その余風がまだ絶えておりません、あなたはどうかこれを心に留めてください。私はこう聞いております、『代々禄を受け継ぐ家では、礼によって行動する者が少ない』と。放縦さによって徳を凌駕するのは、まことに天の道理に反することです。教化を破って贅沢華美に流れれば、末代までその悪しき流れは変わりません。」
茲の殷の庶士、寵に席ること惟れ旧く、侈を怙みて義を滅ぼし、美を人に服す。驕淫矜侉にして、将に悪に由りて終わらんとす。放心を収むと雖も、之を閑ぐこと惟れ艱し。富に資りて能く訓うれば、惟れ以て年を永くせん。惟れ徳惟れ義、時乃ち大訓なり。古訓に由らずんば、何を以てか其れ訓えん。
「この殷の多くの士人たちは、寵愛に慣れることが久しく、贅沢に頼って正義を滅ぼし、その美々しさを人々に見せびらかしています。驕り高ぶり誇り誇張し、まさに悪しき結末を迎えようとしています。たとえ放縦な心を引き締めても、これを防ぐことは実に困難です。しかし富を用いてよく教え導けば、それによって長く命脈を保つことができるでしょう。ただ徳とただ正義こそが、まさに大いなる教えなのです。古の教えによらなければ、何によって教えを施しましょうか。」
王若曰わく、嗚呼、君牙よ、惟れ乃祖乃父、世篤く忠貞にして、王家に労を服し、厥れ成績有り、太常に紀せらる。惟れ予小子文武成康の遺緒を嗣守し、亦惟れ先正の臣、克く左右して四方を乱めしむ。心の憂危、虎尾を蹈むが若く、春冰を渉るがごとし。
王(穆王)はこう仰せられた。「ああ、君牙よ、そなたの祖父も父も、代々忠実誠実であり、王家のために労苦を尽くし、その功績があって、太常の旗にその名が記されている。私はこの若輩の身で、文王・武王・成王・康王の遺された事業を受け継ぎ守っており、また、先の代の忠臣たちのように、よく左右で私を助け四方を治めてくれる者を必要としている。私の心の憂いと危うさは、虎の尾を踏むかのようであり、春の薄氷を渡るかのようだ。」
今爾に命じて予が翼とし、股肱心膂と作す。乃の旧服を纘ぎ、祖考を忝むること無かれ。弘く五典を敷き、式て民則を和せよ。爾の身克く正しければ、敢えて正しからざる罔し。民心中無く、惟れ爾の中にあり。夏暑雨なれば、小民惟れ怨咨すと曰い、冬祁寒なれば、小民も亦惟れ怨咨すと曰う。厥れ惟れ艱きかな、其の艱きを思いて以て其の易きを図れば、民乃ち寧んぜん。
「今、そなたに命じて私の翼とし、手足であり心を支える力とする。そなたの代々の職務を継ぎ、そなたの祖父や父を辱めることのないように。広く五つの人倫の教えを広め、それによって民の生活の規範を調和させよ。そなた自身がよく正しければ、正しからぬ者はいなくなる。民の心には一定の基準がなく、ただそなたの示す中庸によって定まるのだ。夏に暑い雨が続けば、庶民は嘆き怨み、冬に厳しい寒さが続けば、庶民もまた嘆き怨む。これは実に困難なことだ、その困難さを思って安易な道を図れば、民はようやく安らかになるであろう。」