書経 周書(九)

康王之誥・畢命・君牙

この読本について

康王の即位を告げる誥(康王之誥、顧命の続き)、畢公が成周の東郊を治めるにあたっての康王の訓戒(畢命)、そして穆王が君牙を大司徒に任命した命(君牙)――康王・穆王期の周王朝を伝える3篇です。

① 康王之誥(こうおうのこう)

即位した康王が、参集した諸侯たちに誥を発した記録。前篇「顧命」の続きにあたる。

王出、在應門之內。太保率西方諸侯、入應門左、畢公率東方諸侯、入應門右、皆布乘黃朱。賓稱奉圭兼幣、曰、一二臣衛敢執壤奠。皆再拜稽首。王義嗣德、答拜。太保曁芮伯咸進、相揖、皆再拜稽首。曰、敢敬告天子、皇天改大邦殷之命、惟周文武誕受羑若、克恤西土。惟新陟王畢協賞罰、戡定厥功、用敷遺後人休。今王敬之哉、張皇六師、無壞我高祖寡命。

王(おう、康王)でて、応門おうもんうちり。太保たいほ西方せいほう諸侯しょこうひきい、応門のひだりに入り、畢公ひつこう東方とうほうの諸侯を率い、応門のみぎに入り、皆黄朱こうしゅじょうく。ひんけいへいとをほうずととなえ、曰わく、一二いちに臣衛しんえいえて壌奠じょうてんる、と。皆再拝稽首さいはいけいしゅす。王義もてとくぎ、答拝とうはいす。太保曁およ芮伯ぜいはくみな進み、相揖あいゆうし、皆再拝稽首す。曰わく、敢えてつつしんで天子てんしに告ぐ、皇天こうてん大邦殷だいほういんめいを改め、しゅう文武ぶんぶおおいに羑若ゆうじゃくを受け、西土せいどうれう。惟れ新陟しんちょくおう賞罰しょうばつ畢協ひっきょうし、こう戡定かんていし、もっ後人こうじん敷遺ふいしてきゅうならしむ。今王之これつつしめや、六師りくし張皇ちょうこうし、我が高祖こうそ寡命かめいやぶること無かれ、と。

王(康王)が退出して、応門の内にお立ちになった。太保は西方の諸侯たちを率いて応門の左から入り、畢公は東方の諸侯たちを率いて応門の右から入り、皆黄色い馬に朱の飾りをつけた車を並べた。賓客たちは璧の玉と貢物を捧げ持つと称して、「私ども臣下・藩屏の者たちが、あえて地の産物を捧げます」と言った。皆二度拝礼し頭を下げた。王は正しく徳を継承され、返礼された。太保と芮伯が共に進み出て、互いに一礼し、皆二度拝礼し頭を下げた。「あえて謹んで天子に申し上げます。偉大な天は大国・殷の天命をお改めになり、周の文王・武王は大いに天の善き導きをお受けになり、よく西の地を憂い治められました。新たに即位された先の王(成王)は賞罰を公平に整え、その功業を固め定め、それによって後の世の人々に恵みを残されました。今、王よこれをお慎みください、六軍を大いに整え、我が高祖の遺された尊い命を損なうことのないように。」

② 畢命(ひつめい)

康王が畢公に、成周の東郊に残る殷の遺民の治めを託し、風俗の教化と法度の徹底を説いた篇。

惟十有二年、六月庚午、朏。越三日壬申、王朝步自宗周、至于豐。以成周之衆、命畢公保釐東郊。王曰、嗚呼、父師、邦之安危、惟茲殷士。不剛不柔、厥德允修。惟周公克愼厥始、惟君陳克和厥中、惟公克成厥終。三后協心、同厎于道、道洽政治、澤潤生民、四夷左衽、罔不咸賴、予小子永膺多福。

十有二年じゅうゆうにねん六月庚午ろくがつこうごす。えて三日壬申さんじつじんしんおうあした宗周そうしゅうき、ほうに至る。成周せいしゅうしゅうを以て、畢公ひつこうに命じて東郊とうこう保釐ほりせしむ。王曰わく、嗚呼ああ父師ふしよ、くに安危あんきは、殷士いんしにあり。ごうならずじゅうならず、とくまことおさまれり。惟れ周公しゅうこうく厥の始めを慎み、惟れ君陳くんちん克く厥のちゅうし、惟れ公(こう、畢公)克く厥の終わりを成せり。三后さんこうこころあわせ、同じくみちいたり、道政治せいちあまねく、たく生民せいみんうるおし、四夷しい左衽さじんまで、みなたよらざるく、われ小子しょうし永く多福たふくく。

十二年、六月庚午の日、新月が現れた。三日後の壬申の日、王は朝、宗周から歩みを進め、豊の地に至った。成周の民衆をもって、畢公に命じてこの東郊の地を保護し治めさせた。王は言われた。「ああ、父師よ、国の安危は、まさにこの殷の遺臣たちにかかっております。剛でもなく柔でもなく、その徳はまことによく修まっております。周公はよくその始まりを慎み、君陳はよくその中頃を調和させ、あなた(畢公)はよくその終わりを成し遂げてくださいました。この三代にわたる方々が心を合わせ、同じく道理に至り、その道は政治にあまねく行き渡り、恩沢は万民を潤し、異民族の地に至るまで、皆頼らぬところはなく、私はこの若輩の身ながら永く多くの福を受けております。」

王曰、嗚呼、父師、今予祗命公以周公之事、往哉。旌別淑慝、表厥宅里、彰善癉惡、樹之風聲。弗率訓典、殊厥井疆、俾克畏慕。申畫郊圻、愼固封守、以康四海。政貴有恆、辭尚體要、不惟好異。商俗靡靡、利口惟賢、餘風未殄、公其念哉。我聞曰、世祿之家、鮮克由禮。以蕩陵德、實悖天道。敝化奢麗、萬世同流。

王曰わく、嗚呼ああ父師ふしよ、今予われつつしんでこうに命ずるに周公しゅうこうことを以てす、けや。淑慝しゅくとく旌別せいべつし、宅里たくりあらわし、善悪ぜんあく彰癉しょうたんし、これ風声ふうせいてよ。訓典くんてんしたがわずんば、厥の井疆せいきょうことにし、畏慕いぼせしめよ。郊圻こうき申画しんかくし、封守ほうしゅ慎固しんこにし、以て四海しかいやすんぜよ。まつりごとつね有るをたっとび、体要たいようたっとび、ただこのむにあらず。商俗しょうぞく靡靡びびとして、利口りこう惟れけんとし、余風よふういまえず、公其れおもえや。我聞くに曰わく、世禄せろくいえすくなく克くれいる、と。とうを以てとくしのぐは、じつ天道てんどうもとる。やぶりて奢麗しゃれいなるは、万世ばんせいりゅうを同じくす。

王は言われた。「ああ、父師よ、今、私は謹んで、あなたに周公が果たされた事業をお任せいたします、赴いてください。善良な者と邪悪な者を区別し、その住まいの善悪を表し、善を明らかにし悪を戒め、良き気風を打ち立ててください。教えの法度に従わぬ者があれば、その村里を分離し、よく敬い慕わせるようにしてください。郊外の境界を改めて画定し、境界の守りを慎み固め、それによって天下を安んじてください。政治は常なる法を貴び、言葉は要点を貴び、ただ奇異なことを好んではなりません。商(殷)の風俗はだらしなく、口先の巧みさを賢いこととし、その余風がまだ絶えておりません、あなたはどうかこれを心に留めてください。私はこう聞いております、『代々禄を受け継ぐ家では、礼によって行動する者が少ない』と。放縦さによって徳を凌駕するのは、まことに天の道理に反することです。教化を破って贅沢華美に流れれば、末代までその悪しき流れは変わりません。」

茲殷庶士、席寵惟舊、怙侈滅義、服美于人。驕淫矜侉、將由惡終。雖收放心、閑之惟艱。資富能訓、惟以永年。惟德惟義、時乃大訓。不由古訓、于何其訓。

いん庶士しょしちょうることふるく、たのみてを滅ぼし、ひとふくす。驕淫矜侉きょういんきょうかにして、まさあくりて終わらんとす。放心ほうしんおさむといえども、これふせぐことかたし。とみりておしうれば、惟れ以てとしながくせん。惟れとく惟れこれすなわ大訓たいくんなり。古訓こくんらずんば、なにを以てか其れ訓えん。

「この殷の多くの士人たちは、寵愛に慣れることが久しく、贅沢に頼って正義を滅ぼし、その美々しさを人々に見せびらかしています。驕り高ぶり誇り誇張し、まさに悪しき結末を迎えようとしています。たとえ放縦な心を引き締めても、これを防ぐことは実に困難です。しかし富を用いてよく教え導けば、それによって長く命脈を保つことができるでしょう。ただ徳とただ正義こそが、まさに大いなる教えなのです。古の教えによらなければ、何によって教えを施しましょうか。」

③ 君牙(くんが)

穆王が君牙を大司徒に任命し、代々忠義に篤い家柄への信頼と、民を治める心構えを説いた篇。

王若曰、嗚呼、君牙、惟乃祖乃父、世篤忠貞、服勞王家、厥有成績、紀于太常。惟予小子嗣守文武成康遺緒、亦惟先正之臣、克左右亂四方。心之憂危、若蹈虎尾、渉于春冰。

王若かく曰わく、嗚呼ああ君牙くんがよ、なんじなんじ世篤よよあつ忠貞ちゅうていにして、王家おうかろうふくし、成績せいせき有り、太常たいじょうせらる。惟れわれ小子しょうし文武成康ぶんぶせいこう遺緒いしょ嗣守ししゅし、亦惟れ先正せんせいしん左右さゆうして四方しほうおさめしむ。こころ憂危ゆうき虎尾こびむがごとく、春冰しゅんぴょうわたるがごとし。

王(穆王)はこう仰せられた。「ああ、君牙よ、そなたの祖父も父も、代々忠実誠実であり、王家のために労苦を尽くし、その功績があって、太常の旗にその名が記されている。私はこの若輩の身で、文王・武王・成王・康王の遺された事業を受け継ぎ守っており、また、先の代の忠臣たちのように、よく左右で私を助け四方を治めてくれる者を必要としている。私の心の憂いと危うさは、虎の尾を踏むかのようであり、春の薄氷を渡るかのようだ。」

今命爾予翼、作股肱心膂。纘乃舊服、無忝祖考。弘敷五典、式和民則。爾身克正、罔敢弗正。民心罔中、惟爾之中。夏暑雨、小民惟曰怨咨。冬祁寒、小民亦惟曰怨咨。厥惟艱哉、思其艱以圖其易、民乃寧。

今爾なんじに命じてよくとし、股肱心膂ここうしんりょす。なんじ旧服きゅうふくぎ、祖考そこうはずかしむること無かれ。ひろ五典ごてんき、もっ民則みんそくせよ。なんじただしければ、えて正しからざるし。民心みんしんちゅう無く、れ爾のちゅうにあり。なつ暑雨しょうなれば、小民しょうみん惟れ怨咨えんしすと曰い、ふゆ祁寒きかんなれば、小民も亦惟れ怨咨すと曰う。れ惟れかたきかな、其の艱きを思いて以て其のやすきをはかれば、たみ乃ちやすんぜん。

「今、そなたに命じて私の翼とし、手足であり心を支える力とする。そなたの代々の職務を継ぎ、そなたの祖父や父を辱めることのないように。広く五つの人倫の教えを広め、それによって民の生活の規範を調和させよ。そなた自身がよく正しければ、正しからぬ者はいなくなる。民の心には一定の基準がなく、ただそなたの示す中庸によって定まるのだ。夏に暑い雨が続けば、庶民は嘆き怨み、冬に厳しい寒さが続けば、庶民もまた嘆き怨む。これは実に困難なことだ、その困難さを思って安易な道を図れば、民はようやく安らかになるであろう。」