説命上・説命中・説命下・高宗肜日・微子
殷の高宗(武丁)が名宰相・傅説を得た経緯とその教え(説命上中下)、雉の異変に事寄せて高宗を諫めた祖己の言葉(高宗肜日)、そして紂王の無道を見た庶兄・微子が出処進退を思い悩む場面(微子)――商末の政治思想を伝える5篇です。残る盤庚上中下は、書経随一の難解篇として最後にじっくり取り組みます。
王憂いに宅り、亮陰三祀。既に喪を免れて、其れ惟言わず。群臣咸王に諫じて曰わく、嗚呼、之を知るを明哲と曰い、明哲実に則を作す。天子惟れ万邦に君たり、百官式を承く。王の言は惟れ命を作す、言わずんば臣下令を稟(う)くる攸罔し、と。
王(高宗)は喪に服し、三年間、廬に籠って沈黙を守られた。喪が明けてからも、なお言葉を発しようとされなかった。群臣は皆、王を諫めて言った。「ああ、物事をわきまえることを明哲と申します、明哲な人こそが法則を打ち立てるものです。天子は万国の君主であり、百官はその式に従います。王の言葉こそが命令となるのです、王が言葉を発せられなければ、臣下は命令を受けるすべがございません。」
王庸て書を作りて以て誥げて曰わく、台を以て四方を正すに、惟徳類せざらんことを恐る。茲故に言わず。恭黙して道を思うに、夢に帝予に良弼を賚り、其れ予に代わりて言わしむ、と。乃ち厥の象を審らかにし、形を以て旁く天下に求めしむ。説傅巌の野に築くこと、惟れ肖たり。爰に立てて相と作す。王諸を其の左右に置く。
王はそこで書を作って告げられた。「私が四方を正すにあたり、ただ自らの徳が先王方に及ばぬことを恐れている。それゆえ言葉を発さずにいたのだ。恭しく沈黙して道を思ううちに、夢に上帝が私に良き補佐役を賜り、私に代わって語らせようとされた。」そこでその夢に見た姿を詳しく描かせ、その姿絵をもとに天下あまねく探させた。説という者が傅巌の野で土木工事をしており、その姿がまさに夢の姿に似ていた。そこでこれを立てて宰相とし、王は彼を側近に置かれた。
之に命じて曰わく、朝夕誨えを納れ、以て台の徳を輔けよ。金の若くならば、汝を用て礪ぎ石と作さん。巨川を済るが若くならば、汝を用いて舟楫と作さん。歳大旱の若くならば、汝を用いて霖雨と作さん。乃の心を啓き、朕が心を沃せ。薬瞑眩せずんば、厥の疾瘳えず。跣にして地を視ずんば、厥の足用て傷かん。惟れ乃の僚と曁に、心を同じくせざる罔く、以て乃の辟を匡せ。先王に率い、我が高后に迪いて、以て兆民を康んぜしめよ。嗚呼、予が時命を欽まば、其れ惟れ終わり有らん。
王は説に命じて言われた。「朝な夕なに教えを差し出し、私の徳を助けよ。私が金属であるならば、そなたを砥石としよう。私が大河を渡ろうとするならば、そなたを舟や櫂としよう。日照りの年であるならば、そなたを恵みの長雨としよう。そなたの心を開いて、私の心を潤してほしい。薬がめまいを起こすほど強く効かなければ、その病は癒えない。裸足で足元を見なければ、その足は傷つくものだ。そなたの同僚たちと共に、心を一つにして、この君主(私)を正してほしい。先王方に従い、我が高祖の教えに倣って、万民を安んじよ。ああ、私のこの命をよく謹んで受けてくれれば、きっと善き終わりを迎えられるであろう。」
説王に復えて曰わく、惟れ木は縄に従えば則ち正しく、后は諫に従えば則ち聖なり。后克く聖なれば、臣命ぜざるも其れ承く、疇か敢えて王の休命に祗若せざらん、と。
説は王にお答えして言った。「木は墨縄に従えばまっすぐになり、君主は諫言に従えば聖明になります。君主がよく聖明であれば、臣下は命じられずともその意を汲んで従うものです、誰があえて王のこの善き仰せに敬い従わずにいられましょうか。」
惟れ説百官を総べ、乃ち王に進みて曰わく、嗚呼、明王天道を奉若し、邦を建て都を設け、后王君公を樹て、承くるに大夫師長を以てす。惟れ逸豫せず、惟れ以て民を乂む。惟れ天聡明にして、惟れ聖時に憲り、惟れ臣欽若し、惟れ民従いて乂まる。惟れ口は羞を起こし、惟れ甲冑は戎を起こす。惟れ衣裳は笥に在り、惟れ干戈は厥の躬を省みよ。王惟れ茲を戒め、允に茲を克く明らかにせば、乃ち休ならざる罔し。
説は百官を統括する立場から、王に進み出て申し上げた。「ああ、明君は天の道を謹んで奉じ、国を建て都を設け、諸侯や君公を立て、大夫や長官にその補佐をさせます。ただ安逸を貪ることなく、ひたすら民を治めることに努めます。天は聡明であり、聖人はその天の道に則り、臣下は謹んでこれに従い、民もまたそれに従って治まるのです。うかつな言葉は恥を招き、無用な甲冑は戦を招きます。官服は箱に納めて軽々しく与えず、武器の使用は自らの行いを省みてからになさいませ。王がこれらのことを戒め、誠実に明らかになさるならば、善からぬことはございません。」
惟れ治乱は庶官に在り。官は私昵に及ばさず、惟れ其の能にす。爵は悪徳に及ばさず、惟れ其の賢にす。善を慮りて以て動き、動くは惟れ厥の時なり。其の善有るも、厥の善を喪う。其の能を矜れば、厥の功を喪う。惟れ事を事とすれば乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。寵を啓きて侮りを納るる無かれ、過ちを恥じて非を作すこと無かれ。惟れ厥の居る攸、政事惟れ醇なり。祭祀に黷せば、時を欽まずと謂う、礼煩なれば則ち乱れ、神に事うれば則ち難し。
「政治の治乱は多くの官吏たちのあり方にかかっております。官職は私的に親しい者に与えず、ただその能力に応じてお与えください。爵位は不徳の者に与えず、ただその賢さに応じてお与えください。善いことをよく考えてから行動し、行動は時宜にかなうようになさいませ。善行があっても、それを誇ればその善さを失います。能力を誇れば、その功績を失います。物事を事として真剣に取り組めば備えができ、備えがあれば憂いはありません。寵愛を安易に開いて侮りを招くことなく、過ちを恥じて誤魔化しをすることのないように。そうすればその居られるところ、政治はすべて純粋なものとなりましょう。祭祀を軽々しく行えば、これを敬わないと申します。礼が煩雑になれば乱れ、神にお仕えするのも難しくなります。」
王曰わく、旨なるかな、説よ、乃の言惟れ服すべし。乃言良からずんば、予行いに聞くこと罔けん、と。説拝し稽首して曰わく、之を知るの艱きに非ず、之を行うは惟れ艱し。王忱に艱しとせずんば、允に先王(せんおう)の成徳に協わん。惟れ説言わずんば、厥の咎有り、と。
王は言われた。「まことに良き言葉だ、説よ、そなたの言葉には従うべきである。そなたの言葉が良くなければ、私はそれを実行することを聞き入れなかったであろう。」説は拝礼し頭を下げて言った。「知ることが難しいのではなく、それを実行することこそが難しいのです。王がまことにこれを難しいこととして受け止められるならば、まことに先王方の完成された徳にかなうことでしょう。もし私がこれを申し上げなければ、その咎は私にございます。」
王曰わく、来れ、汝説よ。台小子旧甘盤に学び、既に乃ち荒野に遯れ、河に入りて宅り、河自り亳に徂き、厥の終わりに曁びて顕らかなること罔かりき。爾惟れ朕が志を訓え、酒醴を作るが若くならば、爾惟れ麴糵たれ。和羹を作るが若くならば、爾惟れ塩梅たれ。爾交予を修め、予を棄つること罔かれ、予惟れ克く乃の訓えに邁まん。
王は言われた。「参れ、そなた説よ。私は幼き頃、甘盤という師に学んだが、その後、荒野に身を隠し、黄河のほとりに住まい、そこから亳に赴いたものの、ついに学問を明らかにすることができなかった。そなたはどうか私の志を導いてくれ。酒を醸すのであれば、そなたは麹となってくれ。吸い物を作るのであれば、そなたは塩や梅酢となってくれ。そなたは私を絶えず正し、見捨てることのないように、私はよくそなたの教えに従って進もう。」
説曰わく、王よ、人多聞を求むるは、時惟れ事を建つるなり。古訓に学びて乃ち獲る有り、事古に師とせずして、以て世を永くすること克うるは、説の聞く攸に匪ず。惟れ学は志を遜え、時敏に務むれば、厥の修め乃ち来らん。允に茲を懐えば、道厥の躬に積む。惟れ斅うるは学の半ばなり、終始念いて学に典にすれば、厥の徳修まりて覚らず。
説は申し上げた。「王よ、人が広く物事を聞き知ろうとするのは、それによって事業を打ち立てるためです。古の教えに学んでこそ得るものがあります。物事を古の道に則らずに、それで長く世を保てるということは、私の聞いたことがございません。学問というものは、自分の意固地な思いを抑えて謙虚になり、絶えず励むことに努めれば、その修養はおのずと身についてまいります。まことにこのことを心に留めるならば、道はその身のうちに積み重なっていきます。人に教えることは学びの半ばに過ぎません、終始これを思い、常に学問に努められれば、その徳は知らず知らずのうちに修まっていくでしょう。」
先王(せんおう)の成憲に監みれば、其れ永く愆つこと無からん。惟れ説式て克く欽承し、旁く俊乂を招き、庶位に列ねよ。王曰わく、嗚呼、説よ、四海の内、咸朕が徳を仰ぐは、時乃の風なり。股肱は惟れ人、良臣は惟れ聖なり。昔先正保衡、我が先王を作し、乃ち曰わく、予厥の后をして惟れ堯舜たらしむること克わずんば、其の心愧恥すること、市に撻たるるが若し、と。一夫獲ざれば、則ち曰わく、時予の辜なり、と。我が烈祖を佑け、皇天に格る。爾尚わくば明らかに予を保ち、阿衡をして美を有商に専らにせしむること罔からしめよ。
「先王方の成し遂げられた法をよくご覧になれば、末永く過ちを犯すことはございません。この説がよくこれを謹んで受け継ぎ、あまねく優れた人材を招いて、多くの官職に列してまいります。」王は言われた。「ああ、説よ、天下の人々が皆、私の徳を仰ぎ慕うのは、これはそなたの感化によるものだ。手足となる者はただの人材だが、良き臣下は聖人に等しいものだ。昔、先の宰相・保衡(伊尹)は我が先王(湯)をお助けし、こう言ったという。『もし私が我が君を堯や舜のような聖王にできなければ、その恥ずかしさは市場で鞭打たれるかのようだ』と。たった一人の民でさえその居場所を得られなければ、『これは私の罪である』と言ったという。こうして我が偉大な先祖を助け、その徳は皇天にまで届いたのだ。そなたもどうか、明らかに私を支え、阿衡(伊尹)だけが商において美名を独占するようなことがないようにしてくれ。」
高宗肜日、越に雊雉有り。祖己曰わく、惟れ先ず王を格し、厥の事を正さん、と。乃ち王に訓えて曰わく、惟れ天下民を監て、厥の義を典とす。年を降すに永き有り永からざる有るは、天民を夭するに非ず、民中ごろに命を絶つなり。民徳に若わざる有れば、罪を聴かず。天既に命を孚にして、厥の徳を正すに、乃ち曰わく、其れ台を如何せん、と。嗚呼、王は民を敬むを司る、天胤に非ざる罔し、祀を典るに昵きに豊かなること無かれ、と。
高宗(武丁)の祭祀の日、そこに雉が鳴くという異変が起きた。祖己は言った。「まず王のお心を正し、この事を正さねばならぬ。」そこで王に教えて申し上げた。「天は下々の民をご覧になり、その道義を常としておられます。天が与える寿命に長い短いがあるのは、天が民を早死にさせるのではなく、民が自ら中途でその命を絶ってしまうからです。民の中に徳に従わぬ者がいれば、天はその罪を裁こうとされます。天がすでに天命を確かなものとし、王の徳を正そうとされ、『これを私(王)はどうしたものか』と仰せになっているのです。ああ、王は民を敬うことをお司りになる方、みな天の子孫でないものはございません。祭祀を司るにあたり、身近な者ばかりに手厚くすることのないようになさいませ。」
微子若曰わく、父師よ少師よ、殷其れ或た四方を乱正すること弗からんとす。我が祖厎遂して上に陳なるも、我用て酒に沈酗し、用て厥の徳を下に乱敗す。殷小大と無く、草竊姦宄を好む。卿士師師度に非ず、凡そ辜罪有るも、乃ち恒に獲らるること罔し。小民方に興り、相敵讎を為す。今殷其れ淪喪せんとす、大水を渉るが若く、其れ津涯無し。殷遂に喪びて、越に今に至る、と。
微子はこう言った。「父師(箕子)よ、少師(比干)よ、殷はもはや四方を治め正すことができなくなりました。我が祖先はその功業を成し遂げ上代に名を連ねましたが、私ども(今の商)は酒に溺れ乱れ、その徳を下々にまで乱し損なってしまいました。殷は身分の上下を問わず、盗みや悪事を好むようになりました。卿や大夫たちもまた法度を乱し、およそ罪ある者があっても、常に捕らえられることがありません。下々の民までもが立ち上がり、互いに敵対し合うようになりました。今、殷はまさに沈み滅びようとしております、大水を渡るかのように、岸辺も見えません。殷はついに滅ぶのでしょう、今この時に至るまで。」
曰わく、父師よ少師よ、我其れ発して狂に出でんか、吾が家耄して荒に遯れんか。今爾指告すること無くんば、予顛隮せん、之を之何にせん、と。父師若曰わく、王子よ、天毒く災を殷邦に降し荒さんとするに、方に興りて酒に沈酗し、乃ち畏るべきを畏れず、其の耇長旧位有る人に咈る。今殷の民乃ち神祗の犧牷牲用を攘竊して、以て容れて将に食わんとするも、災無し。降りて殷の民を監るに、用て乂讎斂し、敵讎を召きて怠らず。罪一に合するも、多く瘠せて詔ぐる罔し。商今其れ災有らば、我興りて其の敗を受けん。商其れ淪喪せば、我臣僕為ること罔けん。王子(おうし)に詔げて出でしめ、我を迪くこと旧子を刻むと云う。王子出でずんば、我乃ち顛隮せん。自ら靖んじ、人自ら先王に献ぜよ、我行遯を顧みず、と。
微子は続けて言った。「父師よ、少師よ、私は思い切って気が狂れたふりをして出奔すべきでしょうか、それともこの一族もろとも老いさらばえて荒野に隠遁すべきでしょうか。今、あなた方が私に指し示し告げてくださらなければ、私はこのまま転落してしまいます、これをどうすればよいのでしょうか。」父師(箕子)はこう言った。「王子よ、天はひどく殷の国に災いを降し荒れ果てさせようとしていますのに、王はまさに立ち上がって酒に溺れ乱れ、畏れるべきことを畏れず、年老いた元からの重臣たちにも背いております。今、殷の民は神々への供物を盗み取り、それを平然と食していながら、何の咎めもございません。降ってきて殷の民を見れば、互いに争い奪い合い、敵対心をあおり続けて怠ることがありません。罪は一つに帰しますのに、多くの民は痩せ衰え、これを訴える術さえございません。もし商が今、災いに遭うのであれば、私はそれに立ち向かい、その禍を受けましょう。しかし商がこのまま滅び去るのであれば、私はその臣下として仕えるつもりはございません。王子には、殷から出て行かれるようお勧めいたします、それが昔から言われる『子を刻む』(先祖の血脈を後世に残す)ということかと存じます。王子がここから出て行かれなければ、私どももろとも転落してしまいましょう。それぞれが自らの心を安んじ、おのおの先王の御霊に己の身を捧げるまでのこと、私はもはや出奔することの是非を顧みるつもりはございません。」